江州津田の入江にて白い菖蒲の花が咲いたと現地の地頭である乾兵部少輔実忠が観音寺城へ申し上げる。(江源武鑑)
信長公御先祖ノ津田ハ北津田也天文永緑ノ城主ハ乾兵部少輔実忠在住也 (近江史料シリーズ)
「織田氏の先祖親実は、 近江津田郷出身にして、越前織田荘の劔神社の神官忌部(いむべ)氏を継ぐ」
「重盛次男資盛一族と海に没す、孤児あり其母懐中に深く匿して江州津田郷に来る、越前織田神職忌部権正彼孤児請受て養子し織田村帰る 是津田権太夫親実と云」(『剣大明神略縁起(二)』(織田文化歴史館)
https://www.town.echizen.fukui.jp/otabunreki/panel/03.html
諸説あるが、織田家にとって「津田」は大切な場所であったようだ。
古くは「紀氏」がいて、その中にも「忌部氏」もいた事が、関係してくるのかもしれない。
でも「織田氏」ではなく「乾氏」を探さなくては!
丹波柏原藩でも津田氏がいて、幕末の写真が残っている。
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忘れないようにmemo
小山氏の中にも「乾氏」
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/0eb74b0f1df136f7c704a3655531e62b
鳥取藩史第一巻に以下のような記述があること。
『将軍義澄没落後、乾太郎兵衛京都を去り、摂津島下郡に住し、孫平右衛門長次に至る。長次初め将軍義輝に従ひしが、後信輝に仕へ、兵部大輔と称す。
元亀元年公に従い姉川戦役に奮闘し、信長の勧賞に与る。天正八年摂津花熊に戦ひ、又功を立て百石を給 ...』
乾氏館 度会郡大紀町金輪 乾兵部 不明。