非常に面白い記事(1-3)を見つけたので、ここに貼らせていただきます。
佐野三家の出自について
https://katana04.blog.fc2.com/blog-entry-848.html
中国関係論説資料(googlebooks)
「日本書紀」によれば、吉士長丹は唐の高宗皇帝にまみえて「多得文書宝物(多く文春宝物を得たり)」という実績で、帰国後に天皇より「呉」の姓を賜わり、位階も相当あがったそうです。「呉」という姓がおそらく呉神社との接点になるのでしょう。
鑑真幻影 (googlebooks で、一部読めます。)
自分の記事だが、ココと繋がってくるのだと思う。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/1444418b1d259b6664bd98bb82a1766b
そして、オサダ氏(訳語田・他田・長田)と吉志(吉士)氏とが関係するのだろうか?
訳語田幸玉宮(磐余訳語田宮)
訳語田幸玉宮の所在地については、従来、桜井市太田とする説と桜井市戒重とする二説があった。
しかし、戒重村はかって他田庄と呼ばれ、また、戒重村の小字「和佐田(わさだ)」は明治以前「他田(おさだ)」であった。
そしてこの春日神社は古くは他田宮(長田宮)と称したことなどからこの地域が考えられる。」
訳語田宮は後、大津皇子の邸宅となっており、皇子はこの訳語田舎(おさだのいえ)
で死を賜った。
訳田幸玉宮跡については、この神社付近(戒重説)と桜井市太田付近(太田説)の二説があります。 太田説については「大和志」などで太田地区にある天照御魂檸社を、式内大社「他田坐天照御魂神社」とするところからきています。
一方、戒重説については、「扶桑略記」「帝王編年記」に磐余訳田宮とあり、磐余地域であった事を示し、戒重村はかって他田(おさだ)庄と呼ばれ、小字の和佐田(わさだ)は明治以前は他田(おさだ)で春日神社もかって他田宮(長田宮)と呼ばれていたことから、戒重を訳語田宮とする考えが有力です。
他田氏(おさだし)とは、日本の氏族のひとつで、神武天皇の皇子神八井耳命を祖とする多氏に属する古代氏族とされる。
http://kamnavi.jp/mn/nara/osada.htm
他田坐天照御魂神社 ↑
訳語田宮があったのではないかと思われる戒重。
もう一つの説 太田付近
ともに、宇陀に近い。