土岐氏 = 隠岐氏 = 舟木氏
婚姻関係があると思っている「乾氏」
佐目という場所で、顔見知りであった可能性もある「多賀氏」「久徳氏」
「昔ノ舊(旧・ふる)キ好身(よしみ)ヲ尋…」とweb情報にあった。
淡海温故録
http://3-gin.net/d-mituhide-kouza1.html
近江八幡にいた九里員秀が「舟木庄代官」であったこと。
九里種信の土地の売渡状に元者は…と書かれているのが「起」かも知れない事。
土岐氏と同じく「夢窓疎石」と関りがある事。
明智光秀は加藤清正とも近い関係という。
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忘れそうなのでmemo
進士氏の血が入っていたので、明智光秀は食膳の用意をさせられていたのでは…?
進士流
https://bimikyushin.com/chapter_3/03_ref/shinji.html
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三銀蔵さんのページは、とても面白い!
三銀蔵さんのページに「久徳氏」がやはり九里六左衛門のことでは…
私の知っている九里六左衛門も、有馬氏のもとで天草の戦いに出ている
https://note.com/3_gin/m/md067be1f4215/hashtag/813836
『淡海温故録』に
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昔ノ旧キ好身ヲ尋当国ノ先/方共ヲ頼ミケレトモ外ハ一人モ同心セス、多賀新左衛門、久徳六左衛門、阿閉淡路/守、小川土佐守、後藤喜三郎、池田伊予守六人ハ運尽テ同心シ、山崎ノ/一戦ニ没落シ皆零落ニ及ケル
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この中の「久徳六左衛門」、全国の久徳さんのルーツの村の歴史が書いてある本です。
『久徳史・久徳こぼればなし』抜粋
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胡官神社の社家には久徳左京があり、後に明智光秀の仮に加わった郷士の中には多賀新左衛門と共に久徳六郎左衛門尉という人が居る。六郎左衛門尉については、落城の時、「息一人あり、観音寺の証人あり故ありて助かり、尾形(佐々木家)より憐愍ありて(れんびん・なさけをかけられ)養育され成人す。久徳六郎左衛門是也。信長公に仕へて立身す。然るところ明智光秀に犬上衆旧き好しみある故、頼まれて山崎一戦に加はり、没落して日影浪人となり西国にゆく。有馬家中に属す。」と書にある。後に正保年中(1644~1647年)有馬玄蕃頭内、久徳井兵衛よりの書状が霊仙寺にあったらしい。この久徳井兵衛こそ六郎左衛門尉の子孫になるのではなかろうか。