時代は様々だが、ランダムで思いつくままに書いてみる。先ほどもう一つに書いたことがヒントとなっている。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
以前書いた記事も
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/788564a68f9d66775ee231c7b1933a35
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/c863de0d23f41a4adf6382d2428d5b01
土岐光定は隠岐守であり、土岐頼定は隠岐孫二郎と呼ばれる事。
隠岐氏が能州守護畠山氏の被官であった事。
その隠岐氏と同じ被官に加治氏がいたこと。(佐々木の隠岐氏かもしれないし、土岐の隠岐氏かもしれない)
加治実秀が大友実秀であること。
大友経家娘は中原親能の妻となった事。(それ以前は頼朝の妾)=利根局
中原能直は大友を名乗っていた事。
利根局と実秀は兄弟姉妹である事。
大友経家は、波多野氏であること。
波多野=大友であり、中原氏と婚姻関係があり、大友は加治氏とつながっていること。
波多野忠綱の母は、宇都宮宗綱の娘であること。
波多野有経が初代松田有経であること。
大友能直は、相模国愛甲郡古庄の郷司の近藤能成(古庄能成とも)の息であること。
私の予想では、
この中に富城蓮忍がいること。
そして、九里とつながっているのではないかと思われる隠岐氏である。(六角家臣団より)
その隠岐氏が「興」とも漢字で書けることと「散位源行真申詞記」とつながるのだ。
「興定」という苗字ではなく、で「隠岐 定三郎」ではないだろうか?
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/光定
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
以前書いた記事も
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/788564a68f9d66775ee231c7b1933a35
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/c863de0d23f41a4adf6382d2428d5b01
土岐光定は隠岐守であり、土岐頼定は隠岐孫二郎と呼ばれる事。
隠岐氏が能州守護畠山氏の被官であった事。
その隠岐氏と同じ被官に加治氏がいたこと。(佐々木の隠岐氏かもしれないし、土岐の隠岐氏かもしれない)
加治実秀が大友実秀であること。
大友経家娘は中原親能の妻となった事。(それ以前は頼朝の妾)=利根局
中原能直は大友を名乗っていた事。
利根局と実秀は兄弟姉妹である事。
大友経家は、波多野氏であること。
波多野=大友であり、中原氏と婚姻関係があり、大友は加治氏とつながっていること。
波多野忠綱の母は、宇都宮宗綱の娘であること。
波多野有経が初代松田有経であること。
大友能直は、相模国愛甲郡古庄の郷司の近藤能成(古庄能成とも)の息であること。
私の予想では、
この中に富城蓮忍がいること。
そして、九里とつながっているのではないかと思われる隠岐氏である。(六角家臣団より)
その隠岐氏が「興」とも漢字で書けることと「散位源行真申詞記」とつながるのだ。
「興定」という苗字ではなく、で「隠岐 定三郎」ではないだろうか?
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/光定