横山氏 姓氏家系大辞典より書き出している。
3.武蔵国造族説
文字がつぶれていたり、薄くて判読できないところもある。
『横山猪股□党は、小野系図に拠るも、七党系図より云ふも、小野姓であって、敏達天皇の皇子春日親王後裔、小野朝臣篁より出ずとなっている。
小野氏を春日皇子の後裔とするの非なるは、従来屡々(しばしば)述べたところであって、今更論ずるまでもないが、篁の後裔とすることも果たして事実であろうか。
之を説明する前に、横山党の祖義隆の祖時資の父なる孝泰に至る系図を載せると次の如くである。
篁ー保衡ー忠範ー義村ー忠時…(前記事の2、と同じである。)」
時代が篁から八代子孫であるはずの孝泰なのだが、その時代には小野郷も既にあり、小野神社もある。孝泰が武蔵守となり、初めて此の地に来たために、小野氏が此の地に出来たとは云えないと思う。~との見解が示されている。
また、小野神社の祭神も本社祭神を「武蔵国造祖兄武日命祖神」としている。
3.武蔵国造族説
文字がつぶれていたり、薄くて判読できないところもある。
『横山猪股□党は、小野系図に拠るも、七党系図より云ふも、小野姓であって、敏達天皇の皇子春日親王後裔、小野朝臣篁より出ずとなっている。
小野氏を春日皇子の後裔とするの非なるは、従来屡々(しばしば)述べたところであって、今更論ずるまでもないが、篁の後裔とすることも果たして事実であろうか。
之を説明する前に、横山党の祖義隆の祖時資の父なる孝泰に至る系図を載せると次の如くである。
篁ー保衡ー忠範ー義村ー忠時…(前記事の2、と同じである。)」
時代が篁から八代子孫であるはずの孝泰なのだが、その時代には小野郷も既にあり、小野神社もある。孝泰が武蔵守となり、初めて此の地に来たために、小野氏が此の地に出来たとは云えないと思う。~との見解が示されている。
また、小野神社の祭神も本社祭神を「武蔵国造祖兄武日命祖神」としている。