紀伊国屋正三郎、川渕正三郎、更にその周辺に 庄三郎、がいる。
その川渕正三郎が九里家に養子として入り、その九里家に高須家から養子に入ったのが「龍作」であった。
そして、龍作は学費を五代友厚にみてもらっていたのだが、その後友厚の長女武子の婿養子として「五代龍作」と成るのである。
高須に実の兄がいる。高須五十規(いつき)である。
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紀伊国屋正三郎に話を戻そう。
この人物は、堂島、米取引に関係していたため、米売買仕切書が残っているのだろうか。
お米の売買は重いために紙だけで取引としていたそうで、運ぶ段になってから米俵が登場していたようである。
活気のある堂島の様子が描かれている。↓
https://www.jpx.co.jp/dojima/ja/index.html
上のアドレスの表によると、明治二年~四年 「米価騰貴の原因として堂島米市場における取引を禁止」されていた時期もあったようなのである。
http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/1711/doujimakome.pdf
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56562
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川渕正三郎は【五代友厚秘史】の中で「通商司頭取格川渕正三郎代紀伊国屋長兵衛」とある。
そこで、通商司とはどのようなものなのか…wikipediaによると「貿易事務管理機構」という事である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%95%86%E5%8F%B8