http://himagine1110.web.fc2.com/keizu/hatano.htm
遠義 1082年生-1155年
比企遠光 1110年より 比企郡司として京より下向 とある。
比企尼の夫遠宗は遠光の祖父に当たるようで、
秦野市史研究第19号によりますと
「比企氏は比企郡司の家系ですが波多野三郎が比企郡司となって比企遠光を名乗り、武蔵比企氏の祖になったことが比企郡川島町にある金剛寺の「比企氏系図」が明らかにしておりました。秦野市史編纂調査委員でもあられる藤井先生にとってこれは新な発見でした ...」
更に、義家、義朝の乳母夫も、もしかすると波多野氏から出ていたのだろうか?
比企能員を頼家の乳母夫としたことにも、その流れがそうさせたのではないだろうか?
今まで、私は頭が中原氏で一杯だったが、この佐伯氏・波多野氏も九里氏におおいに関係がありそうである。
他の方に九里氏は秀郷流だったのでは?といわれていたのだが、今やっと、その中にいたような気がしている。
比企氏系図の話なんかどこにも書いていなかったです。
やっぱり図書館が開いていなかったのが、残念ですね。
(´・ω・`)?
明日は、挙兵ですね。えいえいおーで楽しみです。上総広常と千葉常胤らは登場する?
拙句
旗揚げは寒さも寒し冬の暮
本当ですね! この金剛寺でしたね。
えいえいおー 冬の寒さも吹き飛んで
あまりご無理をせずに、お願いいたします~!
私も志木に住んでいた時に歴史が好きだったら…と思う日々です。