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源光行の周辺 (2) 甲斐源氏の【南部光行】(信濃三郎光行) 1165年生まれ

2024-11-11 | 九里バラバラ情報
源光行は、まだ他にも存在する。
加賀美氏から南部氏となった【南部光行】である。
此の人の息実長が波木井氏となり、日蓮の支援者、そして弟子であった。

wikipediaより実長と日蓮の関係を写すと以下のようであった。
「文永6年(1269年)頃、鎌倉での辻説法を聞いて深く感銘し日蓮に帰依した。文永11年(1274年)には、流罪を解かれ佐渡国から鎌倉に戻った日蓮を波木井郷へ招き入れ、まもなく領内の身延山中に草庵を造営し外護の任にあたった。弘安4年(1281年)、十間四面の堂宇を建立寄進し「妙法華院久遠寺」と命名、また実長も出家し法寂院日円と号した。弘安5年(1282年)9月、病身の日蓮は病気療養の為常陸の湯に向かう途中現在の東京都大田区池上に着くと病体が更に悪化し、実長への9ヶ年の感謝と死期の近いことを知らせる最後の手紙を送っている(『波木井殿御報』)。10月13日朝、61歳の生涯を閉じた日蓮の遺言通り遺骨を身延の澤に埋葬し実長を中心に六老僧等で護った。」

この源光行の妹に大弐局がいる。
富木常忍の母下総局とともに、頼家・実朝の介添え人・乳母・養育係となっていた人物でもあるか?
また、此の大弐局は大井朝光とのつながりも密である。
そして大井朝光の母は上総広常の娘である。

更に大井朝光の娘は出雲源氏の佐々木泰清の妻となっている。
隠岐時清の母である。
更に時清の妻は大曽根長経の娘で、長経の父は安達長泰である。

こちらの源・南部光行は富木常忍の周辺に近いような気もする。


 






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