万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日英関係の二重性

2022年09月09日 13時15分05秒 | 国際政治
 昨晩、イギリスのエリザベス女王逝去のニュースが全世界を駆け巡ることとなりました。シンプソン事件により急遽王位継承者第1位に浮上し、以後、波乱に満ちた生涯を歩むこととなったのですが、凡そ96年に及ぶ長き人生の最後は静かに幕を閉じたようです。一つの時代が終わったような感を受けるのですが、エリザベス女王の逝去は、謎に多き日英関係の歴史を改めて検証する機会となるかもしれません。

イギリスという国は、遠く地球儀の反対側に位置している日本国にとりましても無縁ではありません。とりわけ明治維新とイギリスとの関係は、イギリスの特定のグループが得意とする二重思考の実験の一つではなかったかと疑われるほどです。明治維新とは、西欧列強による植民地化を防ぎ、志士たちの奮闘と自己改革により日本国が独立性を維持した歴史に稀に見る偉業とされながら、その反面、維新のヒーローたちの背後には、イギリス留学の経歴を有する長州ファイブをはじめ常にイギリス系の金融・経済勢力の陰が見え隠れしていました。日本の偉人伝に常にその名が見え、国民的な人気を博してきた坂本龍馬にしても、武器商人にして、長州ファイブを公私にわたり支援したジャーディン・マセソン商会の代理人であったトーマス・グラバーとの関係は周知の事実です。アーネスト・サトウの暗躍もよく知られています。維新のヒーロー達を育てて背後から明治維新を操り、王政復古の名の下で間接支配体制を敷いたのはイギリス系金融・経済勢力とする見方も成り立つのであり、この側面は、英領に組み込まれたインドやミャンマーほどにはあからさまではないにせよ、日本国の‘植民地化’として理解されましょう。つまり、明治維新には、‘伝統は革新なり’、あるいは、‘独立は従属なり’というダブルシンキングの構図が見えるのです。

同構図の視点から明治以降の皇室を観察しますと、近代日本国のもう一つの姿が浮かび上がっています。例えば、明治天皇から上皇までの歴代天皇は、英国国王よりガーター勲章を授与されています。ガーター騎士団とは、アーサー王伝説に登場する円卓の騎士団に由来し、百年戦争を背景として、1344年にエドワード3世が創設したものです(‘円卓’とは、中心となる国王は別としても、騎士達の立場が対等であることの表現・・)。中世の封建時代にあっては、叙勲は、それを授ける君主を主君とする騎士団に参加する、すなわち、家臣となることを意味します。現代にあっては、ドイツ皇帝のヴィルヘルム1世やオーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世も授与されているように、同勲章の授与には封建的な主従関係は伴わないとされてはいますが、明治維新の経緯を思い起こしますと、日本国の天皇は、事実上、英国国王の家臣という立場にあるのかもしれません。ここにも、‘君主は家臣なり’という二重思考を見出すことができるのです。

二重思考を表裏として捉えるならば、近代、否、戦国時代以降の日英関係につきましては、表の部分のみが公式の歴史として描かれてきたように思えます。しかしながら、今日、事実は、むしろ裏面にあるのではないか、とする懐疑的な見方が内外にあって広がってきております。裏面なくして理解し得ない不可解な現象や過去の事実の暴露、並びに、伝統の真逆への変質等を目の当たりにすれば、誰もが権威を疑わざるを得ないからです。既存の権威が凋落する今日、およそ70年間にわたって君臨してきた英国女王の逝去は、同傾向にさらに拍車をかけることになるかもしれません。そして、それは、権威を以て定説化されてきたカバーストーリーとしての過去の‘歴史’を、客観的に見直すきっかけとなるかもしれないのです。

なお、エリザベス2世の逝去の直前に、バッキンガム宮殿の上空には‘二重の虹’がかかったと報じられております。自然現象であるのか、それとも、意図的な演出であるのか、虹が二重であっただけに、この不可思議な現象には興味を引かれるのです。

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