万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

王室・皇室の権威の行方

2022年09月13日 14時03分32秒 | 国際政治
民主主義の時代の到来が、統治者であった君主の存在意義を失わせる結果を招いたことは、偽らざる事実です。それにも拘わらず、今日、イギリスをはじめ世界各国において君主が存在しているのは、多くの人々が、統治ではない別の領域における役割を認めてきたからなのでしょう。

もっとも、権力と権威の分離は、民主主義が広がった近現代に始まった訳ではありません。日本国の歴史を振り返りますと、『魏志倭人伝』の邪馬台国に関する記述は、大和朝廷成立以前にあって既に祭政二元体制が存在していたことを示唆しています。中世ヨーロッパにあっても、世俗の君主達が統治を行なう一方で、教皇は、国境を越えて宗教的な精神世界に君臨する権威でした。近代以降には、法の支配がいち早く確立した英国にあって、‘国王は君臨すれども統治せず’とする格言が生まれています。権力と権威との分離は、むしろ、人類の知恵に基づく上手な棲み分け方法、あるいは、国を纏めるための手段であったのかもしれません。

 このことは、現代にあっては、人類普遍の価値として民主主義が統治の正当性を与える一方で、権威については、統治の分野ほどには、民主化が徹底されている訳ではないことを示しています。世襲の立憲君主国の国王しかり、日本国の天皇しかり、そして、ローマ教皇しかりと言えましょう。立憲君主国の世俗の君主は、イギリスの格言の表現を借りれば‘君臨’すること、即ち、権威とし国家を代表し、国家や国民を纏めることに存在意義があるのであり、この役割を果たすためには、民主主義の原則を厳格に適用する必要性は低いと認識されているのです。なお、スコットランドでのエリザベス2世の葬送の様子は、イギリスという国が、一人の君主がイングランド王とスコットランド王を兼ねる同君連合であることを改めて思い起こさせます(国家統合の役割を果たすと共に、コモンウェルスの枠組みでは国際統合の役割をも担う・・・)。

 そして、権威というものが、たとえ制度化によって永続性を備えていたとしても、それが、権威を権威として認める側の心理に依拠しており、超越性に基づく救心型の構図を採る限り、その本質において不安定で脆弱な存在でもあります。言い換えますと、権威の失墜や喪失が制度そのものを根底から揺るがしかねないのです。とりわけ、君主は世襲のポストですので、この座に座る人のパーソナリティーや人格によって、人々の認識が大きく変わってきます。エリザベス2世亡き後、イギリスでは、共和制支持者による活動が活発化するとも予想されており、世論調査にあっても、若年層では王制の維持を望むのは凡そ3分の1程度に過ぎないそうです。

 王室であれ、皇室であれ、今日にあっては、婚姻によって代を重ねるにつれて血統による高貴さは薄れる一方であり、国民に対して絶対的な超越性を主張することは極めて困難となっています(この点、チャールズⅢ世の子息達の配偶者が明白にユダヤ系や黒人系となるために王統の希薄化はより深刻かもしれない・・・)。また、王族や皇族の個人的な振る舞いやスキャンダルに眉をしかめる国民も多く、これも日英共通の現象です。時代の流れにあって人々の意識が変化すれば、国家統合や国民統合の役割を果たすことも難しくなるのであり、伝統に由来する安定性の観点から民主主義に優先して認められてきた世襲による地位の継承、あるいは、権威そのものの存在に対しても、自ずと疑問符が付いてしまうのです。

 それでは、現代という時代にあって、政府あるいは王室や皇室は、権威の揺らぎに抗うことはできるのでしょうか。仮に国民に権威として認めさせようとすれば、メディア等を介したイメージ操作によって世論を誘導するか、強引に上から強制するしかなくなります。しかしながら、世論誘導であっても、自由主義国でこの手法を用いますと、報道がどこか北朝鮮風味とならざるを得ません。英国であれ、日本国であれ、王族や皇族について報じる際には、必ずや誇張された美辞麗句や暗に国民に共感を求める言葉が添えられており(‘国民から○○の声’という表現も多い・・・)、違和感や白々しい印象を与えています。また、新興宗教団体等を動員力として用いているとの指摘もあり、その不自然さに、国民は、お芝居を観せられているような感覚に襲われるのです。

 もう一つの方法は、今般、エリザベス2世を踏襲してチャールズ新国王が即位に際して述べたように、国民への奉仕を誓うというものです。中世の封建契約に際しては、主君に対して家臣が忠誠と奉仕を誓いましたので、現代では、主従関係が逆転していることとなります。近代にあっては、啓蒙君主として知られるプロイセンのフリードリッヒ大王が自らを「国家第一の僕」と述べましたが、民主主義が定着した現代では、君主は、自らを「国民第一の僕」、すなわち、国民の奉仕者として位置づけることにより、国民の支持を得るのです。もっとも、この方法でも、行動が伴わなければ、権威、否、超越性や求心力の低下は避けられないのかもしれません。

 何れにしましても、ネットが普及した情報化時代を迎え、権威一般の維持が極めて難しい時代にあって、君主制もまた、その維持が困難な状況に直面しているようです。‘民主制は共和制なり’、あるいは、‘君主は僕なり’といった、本来、悪しき二重思考となりがちな二律背反を曲がりなりにも両立させてきたイギリスの体制は、果たして、今後、どのような方向に向かうのでしょうか。それは、国王の権威がイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドによって構成される国家、並びに、コモンウェルスを束ねてきただけに、将来における同国の国家及び国家連合の統合の形態をも問うているように思えるのです。

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