万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

資本主義は自由主義ではない-企業に‘物権’は設定できるのか?

2023年06月12日 12時11分18秒 | 統治制度論
 今日、多くの人々が、資本主義とは自由主義であると信じ切っていることでしょう。確かに、共産主義諸国に見られた統制経済や計画経済と見比べますと、資本主義には様々な自由が認められています。契約の自由、職業選択の自由、営業の自由など、その多くはフランス革命の成果ともされていますが、個人の経済活動の自由は広範囲に認められており、資本主義は自由主義とする印象を強めています。しかしながら、この図式、本当に正しいのでしょうか。

 昨日、6月11日付けの『日経新聞』朝刊2面の社説には、「企業の成長支える買収制度を整えよう」、とする記事が掲載されておりました。同社説を簡単に要約すれば、‘日本の経済規模や成熟度からすれば、日本企業は成長志向の企業買収を増し、政府も買収制度の整備を急ぐべきである’というものです。実際に、経済産業省も、今月8日に「企業買収における行動指針案」を公表し、パブリックコメントの募集を開始しているそうです。しかしながら、より根源的な問題として、企業買収という行為の正当性については、これまで真剣に議論されてきたことが殆どなかったように思えます。

 企業買収とは、企業が発行している株式の取得を手段とした企業の買取行為です。このことから、(1)企業は売買の対象となり得るのか、(2)株主は企業に対してどのような権利を持つのが妥当なのか、(3)買収が正当な行為であるならば、企業の合意なき買収は許されるのか、そして(4)株式会社という形態は人類社会にとって望ましいのか、といった基本的な諸問題が提起されてきます。これらの問題は、何れも資本主義の根幹に関わることであり、人類にとりましての望ましい経済システムのあり方を根底から問うとも言えましょう。そして、この問題は、今日、深刻さを増している世界経済フォーラムと言った‘巨大な株主達’による世界支配の行方とも関連しているのです。

 それでは最初に、(1)の企業は売買の対象となり得るのか、という問題について考えてみることとします。法の役割の一つに、各自の独立的な存在としての‘人格’を護るというものがあります。ここで言う法による保護の対象となる‘人格’には、人である‘自然人’に限られているわけではなく、国家や企業を含む‘法人’も含まれます。人格の尊重とは、自己決定権を有する主体性の尊重をも意味しますので、近現代にあっては、とりわけ倫理、道徳、人道等に照らしてその重要性が認識されています。

 例えば、個人レベルでは、他者から所有権を設定されて売買の対象ともなり、法的にも一個の独立した‘人格’としては認められない奴隷売買や人身売買などは、近代以降、撲滅すべき悪しき行為とされています。今日、基本的な自由と権利の保障が普遍的な価値とされているのも、過去の歴史にあって‘人格’を否定され、自由を奪われた奴隷的な境遇にあった人々が存在したからに他なりません。また、国家レベルで見ましても、現在の国民国家体系は、それを構成する各国の並立的な独立性を基礎としています。このため、国際法にあっては、各国は独立した法人格を有するとされ、国際社会において主権平等や内政不干渉といった国家の独立性を保障する原則が成立しているのです。近代以降の所謂“植民地支配”が厳しく批判されるに至ったのも、奴隷制と同様に、他国が主体性を奪いう行為を倫理、道徳、人道に照らして悪=利己的他害行為と見なしたからなのでしょう。この点は、村落と言った共同体でも同様であり、これらの様々な人々が活動の場とするコミュニティーや自治体には物権は成立しません。

 かくして、個人レベルであれ、国家レベルであれ、各々の‘人格’あるいは‘主体性’が法によって厚く保護されることとなったのですが、経済の世界だけは、全く逆の動きを見せているように思えます。何故ならば、企業は、法人格としては認められてはいても、実質的にはその独立性や自立性は、株主の存在によって常に脅かされているからです。‘企業は株主のもの’という概念は今日若干薄まってはいるものの、現実には、株券の発行は自らに所有権を設定するような行為となります。言い換えますと、個人レベルでの奴隷の立場と同様に、企業には、所有権が設定されてしまうのです。

 しかも、契約の自由は、株式の売買を介した買収には及びません。たとえ企業が買収に同意しなくとも、TOBであれ、何であれ、株式の一方的な取得による「敵対的買収」や「合意なき買収」が一先ずは可能なのです。言い換えますと、取得側の一方的な意思によって企業側は‘身売り’をしなければならなくなるのですから、株式会社とは、極論を言えば奴隷的な境遇にある、あるいは、物権が設定されている存在にあると言えましょう。そして、グローバルな金融財閥の配下と化した各国の政府とも、自国の企業の主体性を保護するよりも、今般の日本国政府と同様に、むしろ企業売買の活性化策を推進しているのです(つづく)。

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