万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

株式会社の起源から考える資本主義の問題-例外の標準化

2023年06月13日 12時35分20秒 | 統治制度論
 今日、株式会社の形態は、企業の典型的なモデルとして全世界の諸国において採用されています。誰もが同形態に疑いを抱くこともなく、あたかも空気の如くの当然の存在と見なしていると言っても過言ではありません。しかしながら、よく考えてみますと、経済に採りまして、必ずしも株式会社が最適の形態であるとは言えないはずです。何故ならば、経済活動を行なう主体性としての権利が十分に保護されておらず、株主という存在によって完全なる所有とまでは行かないまでも、そのコントロール下に置かれてしまうからです。言い換えますと、株式会社とは、他者から拘束を受ける極めて不自由な境遇にあるのです。

 それでは、何故、このような不自由なモデルが誕生し、かつ、全世界に広がってしまったのでしょうか。株式会社の起源は、1602年に設立されたオランダ東インド会社にあるとされています。アジア地域での貿易を独占的に担う東インド会社とは、まさしく大航海時代の申し子であり、17世紀初頭より、オランダのみならず、イギリス、フランス、スウェーデンといった西欧諸国は、競うようにして東インド会社を設立しています。もっとも、国王から特許状を下付された勅許会社ではあっても、政府の直営ではなく、会社自体は富裕な商人達によって設立・運営されていました。当時のオランダには、異端審問から逃れるためにスペインやオランダからユダヤ人が多数移住してきており、東インド会社とは、その誕生の時からユダヤ金融との繋がりが認められるのです(1597年には、アムステルダムの市当局はシナゴークの建設を許可する・・・)。

 さて、大航海時代における貿易には、嵐で船が難破したり、海賊に襲われる可能性もあり、如何に富裕であったとしても、一人の商人や資産家が背負うにはリスクが高すぎました。そこで考案されたのが、貿易事業を小分けに債権化し、リスクを分散・分有するという方式です。ここに、事業が失敗した際には責任を負う一方で、株主が事業権を有すると共に、利益に預かる、すなわち、配当金を受け取る権利を有するとする、株式会社の原型を見出すことができます。

 しかしながら、株式会社の誕生の経緯を見ますと、現代という時代にあって、同形態が、果たして今日そして未来の経済活動組織のモデルに相応しいのか、あるいは、経済において最適の形態なのか、疑問も沸いてきます。何故ならば、東インド会社とは、極めて例外的な存在であったからです。

 第1に、海洋を航行して行なわれる遠隔貿易という事業は、出資者&経営者と実際に事業を行なう人々が分離しがちです。小規模の沿岸貿易であれば、船主が自己資金で回船業などを営み、自ら船に乗り込むこともあるのでしょうが、大海原を航行するには高い造船技術を以て建造されたガレオン船等の大型船舶を要するからです。また、船長を始め航海士、機関士、通信士といった船に乗り込む人々にも、高い専門的な知識や技術が求められます(ジョブ型雇用の起源・・・)。グローバルに事業を展開する貿易事業であるからこそ、出資者&経営者は、自らは働かず、具体的な事業計画を策定し、それを実行組織に対して指図する立場となるのです。

 第2に、出資の対象が高リスクの貿易事業であったことから、出資者は、単なる‘お金貸し’ではなくなります。他者にお金を貸す場合、債権者の側は、一般的には債務者から利息を受け取ります。しかしながら、高リスク事業、しかも、全世界を対象とした事業であったために、株主は、経営権にも介入し得る存在となったのです。資本主義を論じるに際しては、キリスト教やイスラム教にあって利息を取る行為が戒められているため、利息の是非が問題とされる傾向にありますが、資本主義の本質的な問題は、お金を貸す行為に配当を受ける権利のみならず、企業の所有権や経営権が付随してしまうことにあるように思えます。

 第3に、貿易事業のリスクの高さが債権の小口化、即ち、株式の発行という手法が誕生した背景にあるのですが、このことは、債権の譲渡や売買により、創業や起業とは全く関わらなかった人であっても株主の権利を行使し得ることを意味します。ここに、出資者と経営者の分離という二つ目の分離を見出すことができます。その一方で、後に証券市場が発展しますと、起業や事業拡大のための資金調達の手段であった株式の発行は、やがて配当金や売買益を追求する人々にとりましてはビジネスチャンスともなります。言い換えますと、企業に関わる諸権利が企業外にも広く分散し、新たな利害関係者(ステークホルダー)も出現する形で金融業も発展するのです。この結果、一人の私人がお金さえあれば国境を越えて複数の企業に対して権利を有し、かつ、ジョージ・ソロス氏のように財力を有する私人が通貨危機を仕組んだり、バブルや恐慌を引き起こすこともできるようになりました。

 以上に企業形態の視点から主要な問題点について述べてきましたが、株式会社をめぐっては、株主、経営者、そして、そこで働く社員という3つのグループの関係性に注目しますと、三者は凡そ分離しています。こうした分離は、世界大に貿易ネットワークの構築された大航海時代を背景に登場した東インド会社に起源を遡るからなのでしょう。そして、‘グローバル・スタンダード’と‘村落共同体’あるいは’村社会’とも揶揄されてきた日本型企業形態との間の摩擦も、この側面から理解されるのです(’村’は自治の場ではあっても売買の対象とはなり得ない・・・)。岸田首相は‘新しい資本主義’を提唱しておりますが、資本主義に内在する様々な問題が極めて例外的な組織形態を標準化させた結果であるとしますと、全人類にとりましてより善き企業形態、並びに、安定した経済を実現するためには、株主の権利の妥当性を含めた株式会社の形態の問題について原点に返った議論が必要なように思えるのです。

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