万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

中国共産党と創価学会

2024年02月28日 13時51分28秒 | 国際政治
 唯物論者である共産主義者と唯神論者にして唯心論者である宗教家は、水と油のような印象を受けます。神や天国、そして魂の存在をめぐって、両者は、全く逆の立場にあるからです。こうした正反対の関係からしますと、中国共産党と日本国の創価学会との関係は、まことに奇異に見えると共に、理解しがたい現象ともなります。犬猿の仲であるはずの両者がにこやかに握手し、歯の浮くような言葉でお互いを褒め合っているのですから。

 共産党が宗教を否定するイデオロギー団体、創価学会を仏を信じる宗教団体とする表層的な見方からしますと、中国共産党と創価学会の友好関係はあり得ないことなのです。しかしながら、両者ともに仮面を被っているに過ぎないとしますと、この不可思議な関係も不可思議ではなくなります。両者は、ある一つの目的において共闘関係にあるとも言えましょう。そして、その両者を結びつけている目的とは、真の意味での神の否定です。超越者にして善なる存在としての。

 中国共産党を見ましても、同党は、必ずしも全ての宗教を弾圧したわけではありません。例えば、民間において根付いている伝統的な道教などについては、基本的にはそのまま放置していました。民間信仰については、現世御利益を願う世俗的な側面が強いからなのでしょう。その一方で、共産党が目の敵にするのは、人々が共産党をも超える存在として神や仏を崇拝する宗教です。この場合、共産主義との間に人心をめぐるライバル関係が生じ、かつ、この世にあっても、共産党が強いる共産主義社会ではなく、天界が指し示す理想郷の実現を人々が求めるようになるからです。つまり、宗教が欺瞞に満ちた共産主義を凌駕し、宗教が示すより高い理想が信者にあって政治活動や反体制活動を促すとき、共産党は、宗教を心底から怖れ、弾圧へと向かうのです。

 実際に、習近平国家主席独裁体制が強化され、習近平思想の学習が国民に義務化された今日、この流れと並行するかのように、当局による道教や仏教寺院の破壊が報じられるようになりました。例えば、2019年5月には、河北省の仏教寺院であり200年の歴史を持つ妙蓮寺が違法行為を理由に当局によって破壊され、翌月の6月には、黒竜江省にある道教寺院も瓦礫の山となりました。何れも、地元の人々の信仰のよりどころとなってきた寺院であり、妙蓮寺に至っては、2015年に地元の住民や僧達の寄進によって再建されたばかりなそうです。文化大革命よりも苛烈とされる宗教弾圧は、逆の見方からすれば、中国国民の現世、即ち、共産党であれ、習近平国家主席であれ、独裁体制に対する不満が燻っている証とも言えましょう。

 共産主義にあって宗教が否定されたのは、人々の理性を狂わす麻薬性即ち‘向精神性’にあるのではなく、実のところは、共産党というイデオロギーを簡単に越えてしまう、善性の源としての超越性あったのでしょう。人々が‘向神性’を持ちますと、共産主義は最早自らの絶対性や優越性を主張し得ず、消え去る運命が待っているかも知れないからです。地上の思想の一つに過ぎない共産主義には、天上のイメージをもって人々に認識されている神や仏に対して元より勝ち目がないのです。

 キリスト教のカトリックに対しても、中国は、叙任権を認めることを布教の条件としており、この姿勢も、‘神’を共産主義の下に置かなければ安心できない共産主義者の恐怖心の現れでもあります。そして、中国共産党が、日本国の創価学会を‘友’と見なす理由も、創価学会が、宗教団体を称しながら共産党と同じく、権力と富を求める世俗の団体であるからなのでしょう。現世利益を追求する世俗の利権集団であればこそ、中国共産党は、創価学会を怖れもしなければ、迫害しようともしないのです。

このように考えますと、中国共産党と創価学会はその本質において同類であり、自ずと手を結ぶのも頷けます。そして、この奇妙な連携は、世界権力によるイデオロギー団体と新興宗教団体の両者による神の否定に向けた二頭作戦という、払拭しがたい疑惑とも関連しているように思えるのです(つづく)。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新興宗教団体は神や仏から遮... | トップ | 自民党と元統一教会 »
最新の画像もっと見る

国際政治」カテゴリの最新記事