万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

自由主義国における学問の自由の危機とは

2024年03月08日 10時26分28秒 | 日本政治
 日本国をはじめとした自由主義国では、一見、学問の自由の保障には何らの問題もないように見えます。ネットの普及も手伝って、誰もが好きな時に好きな分野について学ぶことができます。しかしながら、その一方で、近年の動向からしますと、自由主義国でも、共産主義諸国と見紛うような極端な歪みを持つ政策が行なわれているように思えます。

 この歪みは、とりわけ教育機関や研究機関にあって起きている現象です。学問とは、これまで謎とされてきたり、分からなかったことを知ろうとする純粋な知的好奇心によって発展してきました。発見者や発明者本人の目的はどうあれ、学問の成果は、人々の心や生活を豊かにし、国際レベルであれ、国家レベルであれ、地域レベルであれ、より善き社会の実現に貢献してきたのです(もっとも、悪用されることもありますが・・・)。様々な分野にあって多くの人々が探求という作業に加わり、試行錯誤を繰り返したからこそ、途絶えることなく発展してきたと言えましょう。この側面は、自然科学であれ、社会科学であれ、人文科学であれ変わりはありません。

 この発展過程にあってとりわけ重要となるのは、開かれた可能性としての学問の自由です。権威を以て通説や定説とされた説に拘ることは、得てして真実に到達する上では障害になるものであり、実際に、発見や発明の時点にあっては正しいように思えた説でも、後に科学的証明をもって否定されるケースもあります。否、固定概念を脱した別の角度からアプローチすることで、突破口を見つけることも少なくないのです。今では流行り言葉ともなっているイノヴェーションも、本来、過去とは全く異なる発想から生まれるのであって、これを起こすためには、通説や定説と言った‘限界’を設けてはいけないはずなのです(ポッパーの言う反証可能性のようなもの・・・)。

 学問の自由を、学問にあって開かれた可能性を自由に追求することとして捉えますと、今日の学問を取り巻く状況は、危機的な様相を呈しているように思えます。何故ならば、政府が、積極的に‘限界’を設けると共に、ある特定の分野にしか予算を配分しようとはしないからです。共産主義国家であったソ連邦が軍事技術に集中投資をしたように、自由主義国でも、凄まじいまでの集中投資が行なわれているのです。

 自由主義国における集中投資の対象とは、環境、宇宙、デジタル、遺伝子工学等の生命科学なのでしょう。それは、国連のSDGsの方針とも一致していますし、また、日本国政府が推進しているカルトとしか思えないようなムーンショット計画とも軌を一にしています。新設される学部や学科も凡そこの方針に沿っており、先日も、東大が文理融合した5年制の新しい学部を創設すると発表していましたが、この構想も、生物多様性や気候変動といったグローバルな問題への取り組みという制限付きなのです。そして、これらの大本には、おそらく世界経済フォーラムが提唱するグレートリセット構想があるのでしょう。

 かくして、今日の学問の現場では、世界権力が勝手に決めた自らの未来ヴィジョンの実現に貢献する分野のみが優遇され、本来、学問の発展のために確保されるべき開かれた可能性が閉ざされています。他者にはイノヴェーションを求めつつ、自らがその最大の阻害要因となっていることに、世界権力は、気が付いているのでしょうか。学問の自由が保障されているように見えながら、その実、教育、科学技術、研究開発の政策分野において予算配分の権の握る政府は、学問を極めて狭い世界に閉じ込めているのです。しかもその費用の大半は、国民負担なのです。

 これでは、搾取的な構造が出来あがってしまっているかのようです。この結果、一部の世界権力関連の分野にあっては潤沢な資金が国庫から流れ込む一方で、他の非関連分野や世界権力の支配体制の維持に不都合となるような研究、あるいは、ビジネスからは遠い位置にある基礎研究は疎かにされ、研究者の生活は不安的な状態を余儀なくされています。これでは、たとえ純粋な知的好奇心から研究者を志したとしても断念せざるを得ず、広い視野からすれば、学問を衰退させているとしか言い様がないのです。

 日本国民は、こうした状況を望んでいるのでしょうか。民主主義が制度的に機能していれば、政策の方針転換によって国民の声は現状の是正へと向かうはずです。しかしながら、今日の政府を見ている限り、国民の声に応えるとしてたとえ教育・研究開発分野への予算を増額したとしても、上述した世界政府関連分野に吸い取られてしまいことでしょう。そして、現状の打破には、人類の叡智を結集し、世界権力を凌ぐ知性が必要とされることに気付くとき、何故、世界権力が人類の知性を潰そうとするのか、その理由も自ずと理解されてくるのです。

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世界権力は知性や学問が嫌い?

2024年03月07日 10時47分19秒 | 日本政治
 今日、技術大国を自認し、科学立国を目指してきた日本国に、異変が生じてきているように思えます。戦後、焼け野原から再出発した日本国は、自国の再起をあらゆる産業の基盤となる技術力の発展にかけ、政府も国民も科学技術の研究や開発に熱心に取り組んできました。

 かくして日本国は数々の先端技術を世に送り出してきたのですが、学問好きで向学心が強い日本の国民性は戦後に始まったわけではなく、江戸時代には寺子屋が広く普及し、世界的に見ても国民の識字率が群を抜いて高かったことを考えますと、それ以前の時代に遡ります。また、実利的な学問に限らず、本質や本源まで突き詰めて探求しようとする姿勢は、宗教も含めた哲学や思想などの精神的な学問分野にあっても顕著に見られます。そして、こうした国民性が醸成されたのは、自由な知的探求を許す寛容な空気が日本国にはあったからなのでしょう(ただし、多神教の国とはいえ、江戸時代は、イエズス会等の政治的介入を恐れ、キリスト教は禁教とされた・・・)。内向的で飽くなき探究心を持つ学究肌のタイプの国民が多く存在していたからこそ、技術力による戦後復興もあり得たのかもしれません。

 学問に対する寛容は、ヨーロッパに始まる近代国家では学問の自由とも表現され、今日では、憲法等によって手厚く保障する国も少なくありません。公的な保障対象となっていること自体が、学問が弾圧されやすい傾向にあることの証左でもあり、キリスト教の教義が絶対化された中世ヨーロッパにおける‘不自由さ’は、天動説から地動説への転換が命がけであったことが示しています。それが宗教であれ、特定の思想が国家や社会体制を支えている場合、科学的事実は、この‘絶対化’された思想によって葬り去られてしまうのです(火あぶりの燃えさかる炎は科学的事実をも焼き尽くしてしまう・・・)。

 やがて合理性を尊ぶ啓蒙の時代が到来すると、中世の世界の学問の弾圧は過去の忌まわしき行為と見なされ、学問の自由が広く行き渡るようになります。その一方で、必ずしも学問が全面的に自由を得たわけではありませんでした。例えば、宗教に代わって思想が学問を弾圧する事例も見られるようになるからです。その最たるものが共産主義であり、同思想を国教ならぬ国家イデオロギーとして採用するする国では、同思想に反する学問を追求することは許されないのです。

 今日の中国を見ましても、共産党一党独裁体制の下で習近平思想の学習が国民に義務付けられており、学問の自由は保障されておりません。否、もはや学問ですらなく、国家による国民に対する思想の強制、あるいは、洗脳と言っても過言ではないでしょう。端から見ますと習近平思想の学習は、時間と労力の無駄としか思えないのですが、同国では、ヨーロッパ中世と同様に、体制の維持こそが最優先されるのです。かくして、中国では倫理性や人間性を閑却した非人道的な科学技術の研究開発が‘中国の夢’を実現するとして許される一方で、それが如何に中国国民に資するとしても、権力分立や民主的制度研究といった、一党独裁体制を根底から揺るがすような政治学の研究が許される余地はありません。かつてのソ連邦も、国民が家電製品さえ贅沢品となるロー・テクノロジーの生活を強いられる一方で、一時はアメリカと張り合うほどに軍事技術だけは突出していたのです。

 共産主義諸国では、学問の自由が存在しないことは誰の目から見ても明らかなのですが、今日の危機は、むしろ学問の自由が保障されているはずの自由主義国にあるように思えます。日本国政府を見ましても、基本方針に据えられているかのように反知性、反学問の姿勢が顕著であるからです。そしてそれは、古来、学問好きであった日本国民のみならず、グローバル・レベルでの‘同調圧力’として人類に迫ってきているように思えるのです(つづく)。

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情報機関は国民の敵か味方か?

2024年03月06日 10時25分30秒 | 国際政治
 戦争であれ、テロ事件であれ、そして災害であれ、その背後に何者かによる謀略があったのでは亡いか、とする推測は、如何に辻褄が合わず、説明のつかない不審点に満ちていようとも、陰謀論として退けられてきました。ウェブなどでも、陰謀実在論をカルト信者のように見なす記事が定期的に掲載されています。そこには、何としても陰謀の存在を否定したい人々の強い意志が感じ取れるのですが、最早陰謀実在論を封じ込めることは難しい状況にあります。

 安部元首相暗殺事件についても、政府もメディアも元統一教会の信者の家族とされる山上徹也被告による単独犯として片付けています。しかしながら、暗殺現場や狙撃の状況を具に観察すれば、同単独犯説が成り立たないことに、誰もが気がつくはずです。物理的に不可能であるにも拘わらず、単独犯説をもって‘事実’とみなすのは、虚偽を信じるように迫るまさしく‘馬鹿の故事’そのものですし、悪しき‘ダブル・シンキング’を国民に強いていると言っても過言ではありません。

 かくして陰謀の実在性の信憑性が高まるにつれ、解明が急がれるのは、誰が何を目的に陰謀を企てて、それを誰がどのようにして実行しているのか、という具体性を帯びた問題です。そして、この問題を考えるに際して先ずもって疑わなければならないのは、政府を含む公的機関の関与です。とりわけ戦争であれば、公的機関の関与なくしてこれを起こすことはできませんし、上述した要人暗殺テロ事件にあっても、これにカバー・ストーリーをかぶせるならば、警察であれ、地方自治体であれ、公的機関の協力を必要とするからです。少なくとも、陰謀の実行者は、公権力を行使できる立場にいなければならないのです。

 同要件からしますと、陰謀の実行機関として最も疑わしいのは、情報機関と言うことになりましょう。アメリカであればCIA、イギリスではMI6、ロシアであれば対外情報庁、中国ならば中華人民共和国国家安全部といった、秘密裏に情報収集や工作活動を行なう機関です。

 そもそもこれらの機関の主たる任務の一つは防謀です。外部から仕掛けられる陰謀の存在を前提として設けられているのです。言い換えますと、陰謀が実在しなければ、これらの機関も存在しないのです(陰謀否定論者は、情報機関の廃止を主張するのでしょうか・・・)。謀略から国家や国民を護るという意味において、情報機関は‘愛国的な機関’のはずなのですが、情報機関には、その活動の場が裏方である故に、自らが属しているはずの自国から離れやすいという問題があります。加えて、他の国民には自らの‘正体’を隠す、あるいは、偽って行動しますので、自国民からも離れた存在でもあります。そして、時には、‘国家のため’に他国民のみならず、自国民を騙すことさえ職務上許されるのです。

 この側面は、情報機関は、公的機関にあって最も危険な機関であることをも意味します。同機関が、本来の所属国ではなく他国や外部勢力のために働く場合、鶴翼の陣が逆側を向くが如く、当該所属国を無防備にすると共に、他国や外部勢力の謀略の実行機関に転じてしまうからです。そして、こうした恐れられている事態は、実際に既に起きているようにも見えるのです。‘敵を騙すにはまず味方から’ではなく、正真正銘、国民が敵に騙されてしまうのです。実際に、二重スパイや‘ミイラ取りがミイラとなる’ケースも珍しくはありません。

 日本国には、現状にあって独立した機関として情報機関が設置されているわけではなく、公安警察が担っています。このままでは日本国はスパイ天国となり、情報は筒抜け、謀略は仕掛けられるままとなるのではないか、とする懸念から、近年、スパイ防止法の制定を求める声も上がってきています。同主張にも一理はあるのですが、スパイ防止法を声高に主張してきた保守系の政治家や団体が、何れも元統一教会との関係が深い点には注意を要するように思えます(元統一教会は、KCIA、北朝鮮、並びにCIAとの関係が指摘されている・・・)。

 同法案が成立すれば、スパイ防止法の執行機関として、日本国にも独立した専門機関として情報機関を設ける動きも強まることでしょう。しかしながら、仮に日本国に情報機関が新設されたとしても、それはその実態において日本国に属するのでしょうか(各国の海軍にもその節があり、また、岸田政権を見る限り、既に政府が丸ごと日本国から離れているような・・・)。全世界を舞台に世界権力を中枢として各国の情報機関を網羅するネットワークが形成されている、あるいは、他国の情報機関と繋がっているとすれば、同機関の存在は、日本国により危険な状況をもたらしこそすれ、決して安全性を高めるとは思えないのです。

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アメリカの独立性とディープ・ステート論-内部化した東インド会社?

2024年03月05日 11時47分30秒 | アメリカ
 政治家であるトランプ前大統領が‘ディープ・ステート’という言葉を使うようになって以来、ライバル政党である民主党を中心に、その実在を‘陰謀論’として否定する動きも強まるようになりました。しかしながら、次期大統領選挙戦において同前大統への支持がバイデン現大統領を引き離しているように、アメリカ国民の多くはディープ・ステート論に対して一定の理解を示しています。

 アメリカにおける陰謀実在論が受け入れられる歴史的な拝啓としては、イギリスからの独立戦争があります。世界史の教科書には、1775年4月19日に始まり、1783年9月3日のパリ条約の成立によって終結したアメリカ独立戦争によって、アメリカはイギリスから正式に独立したと記述されています。その一方で、独立を果たしたとはいえ、裏ではイギリスが手綱をしっかりと握り、水面下でアメリカをコントロールしているのではないか、とする疑いがアメリカ国民の間で燻り続けてきたからです。これは、アメリカ国民の被害妄想であるとする指摘がある一方で、アメリカが外部から操られているとする説は、強ち否定できないようにも思えます。

 アメリカ独立の実態を考える上でのヒントとなるのでは、アメリカ合衆国の国旗です。赤い横縞が下地となり、その左上のカントン(canton)と呼ばれる部分に青地に白い星が配されているかの星条旗です。白い星の数は州の数が増えるに従い増えてゆきましたが、赤い横柄のストライプには変化はありません。それでは、何故、この星条旗がヒントとなるのかと申しますと、アメリカの星条旗には、前身と推定されるデザインの旗が存在しているからです。その旗とは、英東インド会社の社旗なのです。

 それでは、イギリス東インド会社の社旗はどのようなデザインなのでしょうか。同社は、1600年に英国王の勅許をもって設立された民間の貿易独占会社です。基本となるのが、赤い横縞です(ただし、ストライプの数は変化している・・・)。その一方で、左上のカントン部分は、イギリスの歴史に沿って変化を見せています。最初に登場する旗には、イングランドの国旗、即ち、白地に赤い十字の聖ゲオルギウスの十字架が描かれています(セント・ジョージズ・クロス)。その後、スコットランドとの合邦によりイギリスの国旗が凡そ今日のユニオンジャックに代わると、英東インド会社の社旗も左上の部分も同デザインとなるのです。そして、独立戦争の後にアメリカ合衆国の国旗として登場してくるのが、ユニオンジャックを今日の星柄に代えたものなのです。

 この奇妙な出来事については、ベンジャミン・フランクリンなどのアメリカ建国の父達が、アメリカ合衆国の国旗として英東インド会社の社旗を採用するようにと訴えていたとされます。また、当時にあって、英東インド会社も英国王の課税政策に反対しており、両者は共闘関係にあったからとする説明もあります。詳細は不明なものの、現在の星条旗が東インド会社の社旗を一部変更したものであることは一目瞭然であり、このことは、国家としてのイギリスからは独立したとしても、独立後のアメリカが、なおも英東インド会社のコントロール下にあった可能性を強く示唆しているのです(統治機構にあって内部に浸透・・・)。

 ここに、アメリカの独立性に関する疑いが生じてくるのですが、グローバリストの先駆けであった東インド会社を温存させる形で、アメリカがその国家としての歴史を歩み始めたことが、その後のアメリカ、並びに、人類史に多大なる影響を与えてきたように思えます。アメリカ合衆国という国が、人々に夢と希望を与える自由で民主的な国としてアピールされながら、その実態において理想と現実とがかけ離れ、マネー・パワーが民主主義をねじ曲げてしまう理由も自ずと理解されてくるのです。そして、ソ連邦のKGと同様にCIAの活動も国民には秘され、それが極めて謀略的であることも、アメリカ国民の多くがディープ・ステートの実在を信じる要因となっているのではないかと思うのです。

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KGBとプーチン大統領-情報機関のグローバル・ネットワーク疑惑

2024年03月04日 10時36分38秒 | 国際政治
 1989年に始まる東欧革命がドミノ倒しの如くにソ連邦にも及び、永遠に続くとみられてきたソ連邦が崩壊した時、誰もが、今日のプーチン政権の誕生を予測はしなかったことでしょう。何と申しましても、ウラジミール・プーチン氏は、全世界の諸国から恐れられていたソ連邦の情報機関、KGBの出身であったのですから。新生ロシア連邦に民主化の希望を託したロシア国民が、かくも簡単にKGB出身の大統領を選ぶとは、誰もが予想だにしなかったはずです。ところが、現実には、‘あり得ないこと’が起きてしまったのです。

 それでは、何故、常識的には考えられないような事態が起きてしまったのでしょうか。プーチン大統領は、KGBにあって対外情報部員として16年間勤務しています。最後は中佐にまで昇進しており、順調に出世街道を歩んできたようです。1991年のソ連邦崩壊を機に同氏は政治家に転身し、2000年5月には、遂、大統領の座に上り詰めることになりました。この間、わずか9年でしかありません。

 しかも、政治家に転身したとは言え、ボリス・エリツィン大統領の下で、プーチン大統領が公職に就いたのは2006年のことです。ここで、注目すべきは、同氏が就任した公職とは、連邦保安庁長官及び連邦安全保障会議事務局長である点です。最初に長官の任に就いた連邦保安庁とは、かのKGBの後身なのですから。ソ連邦の崩壊過程にあった1991年12月4日にKGBは4つの機関に分割されます。対外情報局(第一総局)はロシア対外情報部となるのですが、防謀・犯罪捜査を担ったのが連邦保安庁なのです。

 プーチン大統領の経歴を見ますと、ソ連邦からロシア連邦への移行にあって、前者が後者を引き継いでいることが分かります。実態を見れば、ロシア連邦は、KGBの組織や人材を引き継いだのであり、KGBの中佐であったプーチン氏が、エリツィン大統領によって同組織のトップとして任命されたに等しいのです。あたかもレールが敷かれていたかのように。

 これまで、ソ連邦の崩壊とは、民主主義の勝利のように捉えられてきました。しかしながら、その実態は、共産党一党独裁体制の終焉ではあっても、‘国家体制’そのものには然したる変化はなかったのかも知れません。そしてここに、CIA問題と共通する情報機関の問題も垣間見えてくるのです。

 そもそも、情報機関とは、元より諜報や工作など、秘密裏の活動を行ないますので、最も国民から離れた機関としての性質を特徴とします。外国や外部勢力による謀略や攻撃を防ぐ上では‘必要悪’とは言えるとしても(情報局の存在は、国際社会にあって、陰謀や謀略が実在することの反対証明でもある・・・)、組織自体は、非民主的であり、国民との距離が遠いのです。この特徴は、何れの国であれ、情報機関は、議会や国民による民主的な監視の目が届かず、それ故に、自国ではなく他国や外部勢力と結びつきやすいことをも意味します。

 そして、ロシアを含め(もちろん、ウクライナのゼレンスキー大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、そして、ハマスも・・・)、全ての諸国が作成されたシナリオに沿って行動しているように見える今日、同シナリオにあって工作を必要とする場合、主要な実行部隊となるのが、水面下ではグローバルにネットワークで繋がっている各国の情報機関ではないのか、という疑いが生じてくるのです。プーチン大統領は、世界経済フォーラムのヤング・グローバル・リーダーにも選ばれています。果たして、これは、何を意味するのでしょうか(つづく)。

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CIAは政党や新興宗教団体の統括機関?

2024年03月01日 12時11分20秒 | 国際政治
 元統一教会については、韓国がその発祥の地であるため、既にKCIA、即ち、大韓民国中央情報部との関係が指摘されてきました。しかも、教祖の出身地が北朝鮮であることによって、両国間の南北宥和政策にも影響を与えたとされています。元統一教会には、元より国家の機構内部に深く入り込み、自らの目的のために活動していた組織と言う、極めて政治的な側面があります。このことは、同教団の強い権力志向を表すと共に、政治権力と一体化まで疑われるのです。そして、この一体性は、日本国内にあっては自民党と間に顕著に観察されます。

 こうした政治志向の強さは、教祖の個人的なパーソナリティーの現れなのでしょうか、それとも、教祖によって歪曲された‘教義’に由来するのでしょうか。本当のところは、これら二つの何れでもなく、教団と政治との関係は逆であった可能性もあります。この推測は、教団サイドが、教祖が説く理想をこの世に実現するために信者を統治機構にお送り混み、組織的に浸透させたのではなく、逆に、‘政治サイド’が自らの目的のために新興宗教団体を設立したというものです。つまり、新興宗教団体⇒政治ではなく、政治⇒新興宗教団体の逆順になるのです。

 同推測では、‘政治サイド’が、カリスマ性や演技力、あるいは、並外れた野心など、‘教祖としての素質’を見込まれた人物を選び、教祖役を担わせることとなります。この人物は、話術にも長けていますので、信者は自ずと集まってくるのですが、おそらく、‘政治サイド’からは、信者獲得のための所謂“マニュアル”が手渡されているかもしれません。手引き書があればこそ、短期間で効率よく教団を拡大させることが出来たのでしょう。実際に、新興宗教団体とは、教祖の尊い教えや講和を聞くために人々が自然に集まり、信仰の輪が静かに広がってゆくという形ではなく、派遣された教団のメンバー達による画一化された勧誘活動によって信者を獲得しています。そして、その勧誘方法とは、教義を説くというよりも、人々の恐怖心や欲望を利用し、悪徳商法のような研究し尽くされた心理操作術であるケースが多いのです。

 それでは、ここで言う‘政治サイト’とは、一体、何を意味するのでしょうか。上述した元統一教会とKCIAとの関係からしますと、最初に韓国にあって同教団を設立したのは、同情報部を擁する韓国政府であったと考えられます。この説に従えば、元統一教会が組織内に浸透してしまった日本国の自民党も、韓国政府のコントロール下に置かれていることとなりましょう。確かに自民党は、口先では韓国に対して厳しい態度を見せていますが、実際の政策を見ますと、必ずと言ってよいほどに逃げ道を提供しており、韓国配慮に満ちています。

 自民党は長らく政権与党の座にありましたので、この説が正しければ、日本国は、韓国支配の国となるのですが、韓国政府が単独で異国である日本国内で元統一教会の組織網を広げたとは思えません。となりますと、日本国内に協力者がおり、その協力者をも配下に置き得る、より上部の‘政治サイド’が存在しているとも推測されます。しばしば、自民党はアメリカ、あるいは、CIAが造ったと指摘されていますが、サンフランシスコ講和条約による日本国の主権回復に際して、戦勝国であったアメリカが、日本国の占領統治を継続するために様々な間接支配装置を組み込んでおいたとする説も、強ち間違ってはいないのかも知れません。そして、その主たる装置こそ、自民党という政党であったのかも知れないのです。

 ここに、日本国並びに韓国の両国の戦後は、両国を占領していたアメリカによってコントロールされてきた、とする推測が浮上します。日米合同委員会の存在も、この可能性を強く示唆しています。しかしながら、国家の政府と新興宗教の両者を操る‘政治サイド’とは、アメリカという‘国家’なのでしょうか。アメリカにあっても、CIAはケネディ大統領暗殺事件において関与が疑われるように、必ずしもアメリカ=CIAとは言えない側面があります。次期アメリカ大統領選挙にあって無所属の候補者として衆目を集めているロバート・ケネディ・ジュニア氏も、CIAによる他国における工作活動を暴露しています。近年多発している合理的に説明できない不可解な出来事をも考え合わせますと、より上部にあって、各国の政府、政治家、政党、新興宗教団体、市民団体、そして、グローバル企業までをも配下に納め、そのそれぞれに配役を割り振りながら、‘政治劇’を演じさせている存在が想定されてくるのです(つづく)。

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