まだ時刻は17時半を廻ったばかりだというのにすっかり暗くなってしまった。
真夏の明るさが信じられないくらいに日の暮れるのが早くなった。
仕事も終わって特に用もなく後は自宅に帰るだけというのに何だか気忙しいのは何故だろう。
意味なく何となく不安になるのだ。
思えば昔からそうだった。
人類が太古から日中に活動し夜に眠っていた生活リズムのDNAを受け継いだからなどと
言うつもりは毛頭ない。
敢えてその答えを求めるとすればある種のトラウマ(幼児性心的外傷)からかも知れない。
子供の頃の話だがその頃はどこの家、少なくとも自分の周囲では結構当たり前ではあったが、
うちの家は夕食は必ず家族そろって食べる習慣になっていた。
家長である父親の方針なのだ。
おそらく18時くらいから食べることが多かったように思うが父親が帰宅するまでに
先に姉と僕が待っている必要があり母親からは17時までに帰ってくるように厳命されていた。
その頃の僕は小学校から帰ると宿題も放り出してすぐに外に遊びに行き
草野球や探検ごっこなどとにかく何がしかの遊びをしに行っていたのだ。
野球と言っても空き地や草っぱらでソフトボールか軟球を適当に土の上に木の枝で書いた
ホームやベースをこれまた適当に集まった人数で二手に分かれてやっていただけのものだった。
そういった所では誰が誘うでもなく近所の子供が集まるコミュニティみたいな場だから
同い年だけでなく上下5つ6つの学年違いも混ざっていた。
日の長い夏場は気がつけばあっと言う間に17時を過ぎてしまい慌てて帰宅すると雷を落とされ、
校庭以外では時計はないので感覚で判断しなくてはならなかった。
小さい子供は親が迎えに来たりして先にいなくなってしまうが
同学年では僕が1番早かっただろう。
冬場は気をつけていてもすぐに暗くなってしまうので時間が判らなくなり
試合途中であってもしばしば抜けて帰るはめになり家では怒られ
友達には皮肉を言われという状態が続いたのでした。
一人で暗くなった道中は本当に心細いもやもやした気持ちだったのを思い出します。
闇の恐怖ではなく買い物に行っていざという際に財布を落としたような暗澹とする気持ちでした。
冬の場合はその寒さが一層追い打ちを掛けるように淋しくさせてくれました。
でも大人になってからの繁華街での飲み会や若かった頃の異性とのデートなんかの時には
一切感じたことはなかったから要は単に気の持ちようだけの話だと言えるだろう。
結局のところ精神科医やカウンセラーの診断をもらうまでもなく
「暗い」「独り」がキーワードなのだろうと思う。
単なる人恋しい淋しがり屋の僕と言う訳だったのだ。コメント
- 北のはげおやじ [2012年12月26日 21:37]
- 中段の子供の頃の遊びかたは、自分の子供の頃を思い出させる懐かしい描写でした。
4~5人で三角ベースを良くやりました。
思い出しました。 - 車好きオヤジ [2012年12月26日 23:17]
- おやっさんいつもコメントおおきにです。
車ネタが困窮してる為の苦し紛れに忘れられない程度の投稿でした。 - はやてこまち [2012年12月27日 19:13]
- こんばんは。
私も子供の頃、原っぱでよく草野球しましたよ。
人数が少ない時は三角ベースも。
夏は暗くなるまで虫取り(かぶとやくわがた取り)、冬は野球や缶蹴りなんかもよくしてました。
自宅近くに大きな公園がありますが、あまり外で遊ぶ子供を見かけなくなりました。 - 車好きオヤジ [2012年12月27日 21:02]
- はやこまさん。
時代が違うと言えば一言で終わっちゃいますが、
今の子供の方が豊かな生活の反対に失った物の方が多い気がしますね。 - settai [2012年12月28日 9:38]
- 私も皆様と同じく△ベースで遊んでおりました。
戦後間もなくで親は商売の方が忙しく子供の世話はほどほどだった為、子供の頃は鼻を垂らしながら服の袖でぬぐい去り、お陰で袖がぴかぴかに光を放っていた事を思い出しました。
また殆どの子供はズボンや服の膝には継ぎ接ぎが勲章のように縫い付けていたような気がします。
本題から離れてしまいました。(笑 - 若隠居 [2012年12月28日 13:26]
- 長袖のピカピカや、つぎはぎで補強したズボン、昭和30年代までですかね~
懐かしいですね~
あの頃は、クルマが殆どなかったので、道路は未舗装で、子供の遊び場でした。木の枝で地面にいろんな形を描けました。
駆逐水雷、喧嘩こま、釘刺し陣取り、ビー玉(鉄玉)ハコ出し、はては、いかだを作ってドブ川下り等々。。
今は、子供たちが道路でサッカーやってると、危ないのに。。。なんて思ってしまいます。困ったもんです。外遊びを知らないで育った子供たち、大丈夫でしょうかね~ - 車好きオヤジ [2012年12月28日 19:10]
- settaiさん。
少なくともこの記事にはずばり本題そのものですわ。
袖が光るのは無論ですが周囲には必ず鼻筋ついたヤツがいましたよ。 - 車好きオヤジ [2012年12月28日 19:13]
- 若隠居さんこんばんは。
つぎはぎも普通でしたね。
一人っ子が少なかったので上がいる者は当然着る物は下がりになりましたからね。 - 若隠居 [2012年12月29日 4:55]
- そうだ、
白く乾いた鼻筋つけたり、
青っ洟流して、
ズルっと吸い込んだり、
ホッペタには、
粉のついたハタケを持ってた~ - 若隠居 [2012年12月29日 5:02]
- 粉をふいた
かな~
みんな持ってました。
車好きオヤジさん
豊かな言葉に、
含蓄というか、
薀蓄ありますね~ - 車好きオヤジ [2012年12月29日 6:13]
- ご隠居おはようございます。
いつも応援コメント有難うございます。
はたけは結構ありましたがいつの間にか
なくなるという感じで何となく普通に見てましたね。
ちょっと違いますけど頭にカビみたいなハゲみたいなのが
出来るシラクモは移りそうに思いましたけどね。 - ~アキラ~ [2012年12月29日 9:35]
- 我家も夕食は早く、5:30~6:00ぐらいに全員で食べてました。
父母共働きでしたが、母親が頑張り屋だったので毎日そのぐらいの時間でした。(さすがに父親は日曜日とかだけ一緒でしたが)各家族化と共働きにより子どもだけで夕食を済ませる都会の家庭はかわいそうですね。 - 車好きオヤジ [2012年12月29日 20:38]
- アキラさんそうですね。
何かが間違っていると思うのは私だけやないでしょう。
あなたのブログにコメント投稿されたものです。