車好きオヤジのブログ

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親父

2013-04-13 23:28:16 | インポート

親父とは約束していたことがあった。
それは同居することだった。
元々俺が結婚した当初は妻もそのつもりだったのだが、
まだ姉は嫁いで間がなく部屋はそのまま残され、妹もいた為と
あちらが新婚に遠慮して気遣ってくれたのがそのままズルズルと続いてしまった形だ。

その後俺にも子供が出来て育つにつれ、
今度は手狭になってそのまま戻れない状態になったのである。

高齢で病気を抱えた2人との同居とは無論介護が前提となる。
そうなると建て替えるのがベストの選択に思えたが、
1番肝心な経済的な部分が最大の問題だった。
だが俺自身建て売り住宅のローンは当時まだ20年近く残っていた。

俺より多少の蓄えがある親父だが費用を全面的に負担されるのは避けたい。
後々の相続などでややこしいのも困るからな。
家訓でもないが親父が元気な頃ずっと言い続けていたのは「親子でも金と女は別」だった。

その方針に従うとしよう。

結局日頃付き合いのある銀行に掛けあって俺がローンを組む事にしたのであったが、
早く建て直して移り住まなければ今の住まいの売却も出来ず

二重ローン状態が続いてしまうのだった。
バブルまでの時代なら転売してステップアップする形態も少なからず見受けられたものだが、
いざ売りに出すとなれば情けないくらいに下落するものだと実感することになる。

儲けるなんてのは夢のまた夢、正直残債をクリアするのが目標であった。
不動産屋が付けた値段ではなかなか買い手が現れず結局売却出来たのは
引っ越しも終わった10ヶ月後それも当初の価格より大きく値引きしたからだろう。
その間、毎月二重でローン返済していると、
もう永遠にこんな状態が続くのじゃないかなんて鬱になりそうだったなあ。

更に心配だったのは建てる金の算段が銀行と出来たとはいえ

土地自体は当然親父の所有物である。
おそらく今まで色々とそういう問題もあったのだろうが
本契約前に親父と直接面談するのが条件のひとつになっていた。
俺以外には認知度や思考能力が著しく低下している状態でクリア出来るのだろうか。
親父には銀行がホームまで会いに来るとは伝えていたものの、どうなることやら。
いよいよ当日あちらは日頃世話になっている銀行員だけでなく住宅融資担当の者と2人。

 

親父が希望した形にする訳なのだが俺以外の者にどこまでのやり取りが出来るのか?

不安な気持ちで迎えたのは全くの杞憂に終わった。

ホームのロビーまで車いすに乗りヨボヨボした様子は銀行員を前にすると一変し、

俺に接する以上に矍鑠と世情から景気の話に始まり、融資や金利、

果ては俺の返済能力に至るまで俺が直接説明する以上の細かさで

いとも簡単に納得させてしまったのである。

 

後日銀行の担当者からは「お父様はお体は不自由されているようですが頭脳は

物凄く冴えてらっしゃいますね。」と言わしめた程だったのだ。

それくらいしっかりとしてるなら何故に自分の妻や娘たちにきちんと出来ないのか、

その役者ぶりには本当に不思議でならなかった。

 

当然本人は今でもすぐに帰宅出来る気満々なのだが歩行障害に加え何より

トイレが一番のネックであった。

何度もくも膜下の後遺症だと説明し理解した風に見えるのに中途半端な見栄か

プライドでオムツや失禁など粗相をした際の後始末を

人に頼む事が出来ないでいたのだった。

 

ある時なんぞは仕事を終えてホームに寄ると部屋の洗面台に自分の排泄物を

詰めて流そうとしているのに出くわした事もあった。

何ぼ隠そうとしても臭い匂いが充満して判るのに。

ちょっとバツが悪そうにしていたのも今となっては笑い話になってしまったが、

その時は大慌てで大変だったよ

 

本心は建て替えが終わってもすぐには連れて帰れないと考えていたが、

古い家を壊して新築になるまでの間は辛抱してくれと説得するしかなかった。

親父の事だけでなく母親が数年前の肺がんの術後に段々と認知症気味になってきて

とにかく早急に同居しなければならない状況でもあった。

知り合いを始め大手ハウスメーカーの住宅展示場にも足を運び相談したものの

どこも発注から入居までは半年以上掛かると言われてしまった。

 

当時丁度A建築士の耐震偽装問題の影響で建築基準法が改正され

確認申請許可が降りるのが非常に遅くなっていたのでした。

さあて困った俺、どうしたものかと思案に暮れるしかなかったのであった・・・。

 

(更に続く・・・のか?)


 


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

北のはげおやじ [2013年4月14日 4:14]
同じような経験をされるような人は多いと思いますが、奥さんもよく協力してくれたんでしょうね。こういうことは、なかなかひとりでは、できないですよね。
我が家は、結婚四年目に親の家を売り、それを頭金に今の家に住むようになりましたが、親が高齢になり、下の粗相をするようになってきたのが大変でした。妻に感謝です。


車好きオヤジ [2013年4月14日 6:43]
はげおやじさん病院からコメおおきにです。
誰もが似たような経験をするものでしょうが、
当事者にとっては大変でした。
言われる通り妻への負荷が高く家庭崩壊一歩手前状態になりました。
ありきたりですが感謝するほかないですね。
settai [2013年4月14日 8:01]
私は次男ですが両親と一緒に暮らしておりました。
親父は93歳で心筋梗塞で亡くなる前の日まで自転車で外を走り回っておりました。お袋の方は肺炎で2日ばかり入院した後88歳で成仏しました。
オヤジさんの両親のことを考えれば、私の場合は逆に子供孝行をして頂いたかなあと思っております。
長期の看病は気力体力とも大変な事とお察し致します。
車好きオヤジ [2013年4月14日 8:57]
settaiさん。
今の医療体制や住宅事情、もっと言えば社会では最早在宅看護は不可能でしょう。
これも時代と言えば聞こえは良いですが、それで本当に幸福になったとは思えませんね。
オジジ~ [2013年4月14日 10:10]
車好きオヤジさん。
私も、settaiさんと同じように次男ですが両親を7年前に呼び寄せ同居しております。
当時は私の住んでる家では小さかったため2世帯住宅を探し回り、並行して家の売却、引越しと大変だったことを思い出します。今住んでいる2世帯住宅はたまたま見つけた中古住宅です。親父は90歳。お袋は89歳。まだまだ元気で同居しています。
長期間の看病/介護、それはもう大変だったでしょう。
ご苦労、お察しいたします。


若隠居 [2013年4月14日 13:51]
皆さん
いろいろドラマがありますね~

私ども夫婦は、長男長女で、
しかも、私が養子、カミさんも養女になったり、
両方の親父が後添えをもらったりで、、、
結局、9人の親を見送りました~
車好きオヤジ [2013年4月14日 13:59]
オジジさん。
自分のところが苦労とは言えませんわ。
ちょっぴり自身が大変だったくらいでしょうね。
でも仮に自分と同じ状況の者に相談されたとすれば同居は勧められませんね。
これは上手く行くと思ったのではなく私の拘りだけでしたから。
車好きオヤジ [2013年4月14日 14:03]
ご隠居。
仰る通り人の人生誰ひとりとして同じものはなく、
どれもドラマでしょうね。
でも自分の事は半分恥さらしみたいに感じます。
次回で早々に最終章としますわ。
若隠居 [2013年4月14日 14:12]
オヤジさん
そう言わないで、更に続けてください。
勉強になります。。。

私どもは、結局、
養父母ともスープの冷めない距離に家を持ちましたので、
同居しなくて正解だったと総括、
正解だったとなあと考えています。
車好きオヤジ [2013年4月14日 14:32]
いや元々少しの思い出話と書いたものの一旦中断して
再開すると思いのほか文量が増えてしまいました。
無理やり引き伸ばしても限界が近いです。
加えて当方ご隠居と違って勉強嫌いなもんでね(笑)。