秘書にゃんこ*羽田空港ターミナル60周年 

2015-08-12 | おでかけ
 羽田空港のターミナルが5月に60周年を迎え、空港ロビーには写真が展示されました。(7月で展示終了)


     
     国内線第2旅客ターミナル ANA チェックインカウンターの上から


 日本初となる民間航空の専用空港として、1931年(昭和6年)に開港した 「東京飛行場(羽田飛行場)」ですが、

その歴史は、まさに時代の波に翻弄されたものでした。

近隣諸国に向けて国際線が就航するなど、しばらくは明るい話題に包まれたものの、徐々に戦争の暗雲が立ち込め、

1941年(昭和16年)に太平洋戦争が勃発すると、民間航空の運航は停止を余儀なくされました。

今年は終戦から70年ですが、1945年(昭和20年)に戦争が終結した後も、日本は連合国軍の占領下にあったため、

羽田飛行場は 「羽田陸軍航空隊基地」 と呼ばれ、アメリカ軍の管理下に置かれました。 


     
     朝鮮戦争中、飛び立つアメリカの飛行機を見上げる人たち


 「サンフランシスコ講和条約」 の発効に伴い、1952年(昭和27年)7月1日、アメリカ軍から施設の一部が返還され、

その日のうちに、現在の名称である 「東京国際空港」 に改名。


     
     返還祝賀会の飾り付け  
     返還前日のため、一般の日本人はここから先には入れませんでした。


 返還されたものの、戦後の財政窮乏のため、国家予算ではターミナルの建設までは手が回らず、

政府は民間資本でターミナルを建設することを決定し、1955年(昭和30年)にターミナルの供用を開始。


     
     羽田空港ターミナルビル 
     できることなら、この写真の中に入ってみたいものです。。


     
     案内所では、飛行機の発着情報だけでなく、さまざまな用件に対応していました。


     
     旧 C 滑走路

「 33 」 は 330°の方角(北北西) に向かうという意味で、「 R 」 は 「 Right (右)」

一直線である滑走路の、反対側の端は 「 15 L ( Left )」

飛行機は、巡航中は追い風に乗ると、時間的にも燃料の面でも効率がよいのですが、

離陸時の揚力と、着陸後の減速という点から、向かい風を受けて離着陸します。

アメリカ軍が、周辺の住民に強制退去を命じてまで行なった 「 旧 A 滑走路 (15 R / 33 L )」 の拡張工事ですが、

やがて海外渡航の自由化、飛行機のジェット化や大型化に伴い、それまでの駐機場では手狭になったため、

「 旧 A 滑走路 」 の在った場所は駐機場へと姿を変え、平行した場所に 「 旧 C 滑走路 」 が新設されました。

東京オリンピックを控えて首都高1号線(羽田線)が開通し、モノレールが開業した1964年(昭和39年)のことです。



     
     イギリスとフランスが共同開発した、超音速旅客機 コンコルド


1979年(昭和54年) 東京サミットに参加するフランス大統領の搭乗機として、羽田空港に飛来しました。

年がバレそうですが、何を隠そう、、私、、リアルタイムで実機を見ました


 時は流れて 2015年(平成27年)、羽田空港ターミナルは60周年を迎えました。


     
     現在の国内線ターミナル送迎デッキから望む 「東京湾大華火祭」

   

 歴史を見つめてきた羽田空港、そして日本の空の末永い平和と安全を、今日という日に強く願って止みません。


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