梅雨明けを予感させるような日差しの中、「高校時代の修学旅行をなぞる旅」がスタート。
当時「夢のジェット機」と呼ばれたボーイング727で羽田へ

乗り物に酔いやすいから
ではなく紅茶を頼みなさいと祖母に言われ、
幸い酔うこともなく着陸して一安心したものの、降機の際に搭乗券が見当たらず、
私だけ降りられなかったらどうしようと半泣きした女の子が、その後 CA になるとは
ちなみに昔の搭乗券には、お祭りや名産品など全国各地の特色が色とりどりに描かれ、
座席番号は手作業でシールが貼られ、今とは比べものにならないくらい魅力的なものでした。
東京と鎌倉に泊まった後、銭湯の絵でしか見たことのなかった
を眺めながら京都へ 
今回の旅では当時の記憶を辿りながら二日間に分けて再訪します。

市バスを降りると「琵琶湖疏水」の文字が目に飛び込み、駆け寄ってパチリ
東京遷都で衰退した京都を潤した産業遺産は、いまなお現役です。

「哲学の道」は、琵琶湖疏水に沿って銀閣寺へと続く1.5㎞ の歩道。
緑豊かな散歩道に思わず深呼吸。
最初に訪れたのは、室町幕府八代将軍 足利義政の山荘が後に寺院「東山慈照寺」となった、ご存知「銀閣寺」

「向月台」(こうげつだい)
室町時代以降に造られたゆえ、義政がここに座って月を愛でたというのは空想の世界だけに。
修学旅行では、同級生が「巨大なプリン」と言って、この砂のように盛り上がっていました。

「銀沙灘」(ぎんしゃだん)
白砂を段の形に盛り上げたのは、月の光を反射させるためとか

銀閣寺から少し歩いた所に佇む、ヴォーリズ建築のカフェ GOSPEL(ゴスペル)
当時は個人の住宅で、40年前からカフェとして営業。

銀閣寺の帰りに立ち寄りたかったのですが、あいにく休業中。
次回への課題となりました。

銀閣寺からバスに乗って祇園で降り、八坂神社と円山公園を通り抜けた所にある「長楽館」
明治末期、国内外の賓客をもてなす迎賓館として、実業家 村井吉兵衛により建築。
修学旅行の自由行動の日に同級生と訪れて、高校生には贅沢なティータイムを過ごしました。

「美術の間」でいただく、
とピスタチオのタルト 
他にも数々の部屋があり、昨年「新 美の巨人たち」でも紹介されました
それでは、お次はまた今度
お読みくださいまして、ありがとうございます。
クリックしていただけますと、秘書にゃんこが喜びます


当時「夢のジェット機」と呼ばれたボーイング727で羽田へ


乗り物に酔いやすいから

幸い酔うこともなく着陸して一安心したものの、降機の際に搭乗券が見当たらず、
私だけ降りられなかったらどうしようと半泣きした女の子が、その後 CA になるとは

ちなみに昔の搭乗券には、お祭りや名産品など全国各地の特色が色とりどりに描かれ、
座席番号は手作業でシールが貼られ、今とは比べものにならないくらい魅力的なものでした。
東京と鎌倉に泊まった後、銭湯の絵でしか見たことのなかった


今回の旅では当時の記憶を辿りながら二日間に分けて再訪します。

市バスを降りると「琵琶湖疏水」の文字が目に飛び込み、駆け寄ってパチリ

東京遷都で衰退した京都を潤した産業遺産は、いまなお現役です。

「哲学の道」は、琵琶湖疏水に沿って銀閣寺へと続く1.5㎞ の歩道。
緑豊かな散歩道に思わず深呼吸。
最初に訪れたのは、室町幕府八代将軍 足利義政の山荘が後に寺院「東山慈照寺」となった、ご存知「銀閣寺」

「向月台」(こうげつだい)
室町時代以降に造られたゆえ、義政がここに座って月を愛でたというのは空想の世界だけに。
修学旅行では、同級生が「巨大なプリン」と言って、この砂のように盛り上がっていました。

「銀沙灘」(ぎんしゃだん)
白砂を段の形に盛り上げたのは、月の光を反射させるためとか


銀閣寺から少し歩いた所に佇む、ヴォーリズ建築のカフェ GOSPEL(ゴスペル)
当時は個人の住宅で、40年前からカフェとして営業。

銀閣寺の帰りに立ち寄りたかったのですが、あいにく休業中。
次回への課題となりました。

銀閣寺からバスに乗って祇園で降り、八坂神社と円山公園を通り抜けた所にある「長楽館」
明治末期、国内外の賓客をもてなす迎賓館として、実業家 村井吉兵衛により建築。
修学旅行の自由行動の日に同級生と訪れて、高校生には贅沢なティータイムを過ごしました。

「美術の間」でいただく、


他にも数々の部屋があり、昨年「新 美の巨人たち」でも紹介されました

それでは、お次はまた今度

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