日々の暮らし*フィギュアスケート

2022-02-17 | 日々の暮らし

ハツユキカヅラが埋もれちゃって、まるで大きなかき氷にゃ  
雪国生まれの秘書にゃんこはウキウキ リカちゃん人形の傘が似合うでしょ


 先週末、秘書にゃんこのおでこほどの庭にうっすら雪化粧。

では、閉会式を前に最後の熱戦が繰り広げられる冬季オリンピック。

そんななか鮮明に思い出すのは、昭和47年(1972年)に開催された札幌オリンピック

今にして思えば観客動員のためだったかも知れませんが、学校行事として観に行ったことは、

卒業を控えて同級生との残り少ない時間を満喫するには、贅沢すぎる貴重な経験でした。

このとき観戦したのはスピードスケートですが、私を魅了したのはフィギュアスケート

中でも「銀盤の妖精」「札幌の恋人」と言われたジャネット・リン選手は、

その愛くるしい笑顔と美しい演技、透き通るような可憐さで人々を虜にしたものです。



昔の解説書
オリンピックから50年を記念して、札幌市ではジャネット・リンさんの写真とメッセージを公開中(~20日)


 時は流れ、就職のために上京した私は、やがて仕事にも慣れてきた頃、

品川駅前にあったスケートセンターでフィギュアスケートの個人レッスンを受けることに。

グループレッスンもあったでしょうが、シフト勤務のために欠席するであろうことは心苦しく、

それに、少しお高いくらいの方が頑張れるような気がしたもので。。


 何のツテもアポもなく事務所を訪問した私に、たまたま居合わせた男性が、

「ちょうど佐野稔が引退したところなので、私がコーチをしましょうか?」

え~~っ  で存じ上げていた佐野稔さんが、まさかの兄弟子


 札幌出身ですからさすがに 「手摺り磨き」ではないものの、全くの素人です。

そんな私が、気がつけば足型を取って靴を誂え、チャコットでレッスン着を選ぶなんて、

一流コーチの手腕はさすが・・・と、私ごときが言うのもナンですが、

異動されるまで短い間だったものの、コーチのおかげで夢のような時間を過ごすことが叶いました。


 ご無沙汰していた都築章一郎コーチのお名前を目にしたのは、羽生結弦選手ご活躍の記事。

羽生選手が【訂正】小学校を卒業する 小学2年生から高校1年生まで、仙台で指導していらしたとは

ということは、佐野稔さんが兄弟子なら、羽生結弦君は思いっきり年の離れた弟弟子  

いやいや、厚かましいにも程がある


 早起きして横浜から品川に向かい、まだ誰もいない霧が立ちこめた鏡のようなリンクに立つと、

静かに流れるのは ビゼー作曲 メヌエット(組曲「アルルの女」より)

当時は「コンパルソリー」といって、氷面に正確に図形を描く技術が重要とされていました。

コーチがみえるまで、大きな8の字を描いたり、エッジを使って3の形にターンをしたり。。

解けゆく雪を眺めながら、そんな遠い昔に思いを馳せる休日でした。


お読みくださいましてありがとうございます。
華麗にジャンプしているつもりの秘書にゃんこ
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コメント (4)