ハツユキカヅラが埋もれちゃって、まるで大きなかき氷にゃ
雪国生まれの秘書にゃんこはウキウキ リカちゃん人形の傘が似合うでしょ
先週末、秘書にゃんこのおでこほどの庭にうっすら雪化粧。
では、閉会式を前に最後の熱戦が繰り広げられる冬季オリンピック。
そんななか鮮明に思い出すのは、昭和47年(1972年)に開催された札幌オリンピック
今にして思えば観客動員のためだったかも知れませんが、学校行事として観に行ったことは、
卒業を控えて同級生との残り少ない時間を満喫するには、贅沢すぎる貴重な経験でした。
このとき観戦したのはスピードスケートですが、私を魅了したのはフィギュアスケート
中でも「銀盤の妖精」「札幌の恋人」と言われたジャネット・リン選手は、
その愛くるしい笑顔と美しい演技、透き通るような可憐さで人々を虜にしたものです。
昔の解説書
オリンピックから50年を記念して、札幌市ではジャネット・リンさんの写真とメッセージを公開中(~20日)
時は流れ、就職のために上京した私は、やがて仕事にも慣れてきた頃、
品川駅前にあったスケートセンターでフィギュアスケートの個人レッスンを受けることに。
グループレッスンもあったでしょうが、シフト勤務のために欠席するであろうことは心苦しく、
それに、少しお高いくらいの方が頑張れるような気がしたもので。。
何のツテもアポもなく事務所を訪問した私に、たまたま居合わせた男性が、
「ちょうど佐野稔が引退したところなので、私がコーチをしましょうか?」
え~~っ で存じ上げていた佐野稔さんが、まさかの兄弟子
札幌出身ですからさすがに 「手摺り磨き」ではないものの、全くの素人です。
そんな私が、気がつけば足型を取って靴を誂え、チャコットでレッスン着を選ぶなんて、
一流コーチの手腕はさすが・・・と、私ごときが言うのもナンですが、
異動されるまで短い間だったものの、コーチのおかげで夢のような時間を過ごすことが叶いました。
ご無沙汰していた都築章一郎コーチのお名前を目にしたのは、羽生結弦選手ご活躍の記事。
羽生選手が【訂正】
ということは、佐野稔さんが兄弟子なら、羽生結弦君は思いっきり年の離れた弟弟子
いやいや、厚かましいにも程がある
早起きして横浜から品川に向かい、まだ誰もいない霧が立ちこめた鏡のようなリンクに立つと、
静かに流れるのは ビゼー作曲 メヌエット(組曲「アルルの女」より)
当時は「コンパルソリー」といって、氷面に正確に図形を描く技術が重要とされていました。
コーチがみえるまで、大きな8の字を描いたり、エッジを使って3の形にターンをしたり。。
解けゆく雪を眺めながら、そんな遠い昔に思いを馳せる休日でした。
お読みくださいましてありがとうございます。
華麗にジャンプしているつもりの秘書にゃんこ に
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