日本人1870万人、5・6人に1人がかかっているか、その疑いのある病気がある。それは何だろう?
正解は糖尿病である(2006年統計)。糖尿病というとメタボリックを思い出すが、日本人にふえてきている糖尿病は「2型糖尿病」といわれるもので、それほど太らないのに、食べ過ぎや運動不足によって起きる。
2008年、2型糖尿病の遺伝子が解明された。遺伝子は、DNAの塩基といわれる化学物質、アデニン、チミン、グアニン、シトシンが複雑に並んでできる。このDNAの塩基の配列情報によって、わたしたちのからだは形作られている。
このDNAの塩基配列に、2型糖尿病を起こす配列(スニップ)がある。欧米人で2型糖尿病になる人のスニップはわかっていた。日本人を調べると、このスニップが多く発見された。2型糖尿病の人はインスリンの分泌能力が低くなるのだ。
研究によると、2型糖尿病になる遺伝子のスニップを持っている人は、日本人の約2割に相当することがわかった。日本人の2割というと、2540万人。これだけの人が糖尿病になる可能性があり、現在着実に近づいているといえる。
1型糖尿病と2型糖尿病
ところで、糖尿病には大きく分けて、欧米人に多い1型糖尿病と、日本人に多い2型糖尿病がある。それぞれどんな糖尿病だろうか?
1型糖尿病とは膵臓のランゲルハンス島でインスリンを分泌しているβ細胞が死滅する病気である。その原因は主に自分の免疫細胞が自らの膵臓を攻撃するためと考えられているが(自己免疫性)、まれに自己免疫反応の証拠のない1型糖尿病もみられる(特発性)。
一般的に「生活習慣が悪かったので糖尿病になりました」と言う場合、1型糖尿病を指すことはほとんどない。患者の多くは10代でこれを発症する。血糖を下げるホルモンであるインスリンの分泌が極度に低下するかほとんど分泌されなくなるため、血中の糖が異常に増加し糖尿病性ケトアシドーシスを起こす危険性が高い。そのためインスリン注射などの強力な治療を常に必要とすることがほとんどである。
2型糖尿病とはインスリン分泌低下と感受性低下の二つを原因とする糖尿病である。一般的に「生活習慣が悪かったので糖尿病になりました」と言う場合、この2型糖尿病を指す。
欧米では感受性低下(インスリン抵抗性が高い状態)のほうが原因として強い影響をしめすが、日本では膵臓のインスリン分泌能低下が重要な原因である。少なくとも初期には、前者では太った糖尿病、後者ではやせた糖尿病となる。遺伝的因子と生活習慣がからみあって発症する生活習慣病で、日本では糖尿病全体の9割を占める。
糖尿病の治療法
1型糖尿病においては、血糖値を下げるインスリンが製造されない。従って早期から強力なインスリン治療(強化インスリン療法や持続的インスリン皮下注射)を行う。
2型糖尿病に対しては様々なパターンの治療が行われる。まずは食事療法と運動療法が行われる。これによって血糖値が正常化するならそれで問題はない。
食事療法、運動療法で血糖値が正常化しない、もしくは最初から血糖値が高くてこれらの治療だけでは不十分と考えられるなら経口血糖降下薬あるいはGLP-1受容体作動薬を使用する。
経口血糖降下薬あるいはGLP-1受容体作動薬でも血糖値が正常化しないならインスリン自己注射を開始する。ただし、経口血糖降下剤を経由せず、当初からインスリン自己注射を行うという考え方も存在する。
インスリンの発見の歴史
1型糖尿病であろうと2型糖尿病であろうと、インスリンが関係している。治療のためのインスリンの注射には、最初ウシやブタのインスリンが使われた。1980年からは遺伝子操作によって、ヒトインスリンがつくられるようになった。このため副作用が大幅に抑えられるようになった。
ところで、インスリンはどうやって発見されたのだろうか?
1869年にドイツベルリンの医学生パウル・ランゲルハンス (Paul Langerhans) は、顕微鏡で見た膵臓の構造を研究していた。後にランゲルハンス島として知られる「小さな枠の集合体」は当時まだ知られていなかったが、エドワール・ラゲス (Edouard Laguesse) は、それらが消化に関わる大きな役割を果たすものであり得ると主張した。
1889年、リトアニア出身のドイツの内科医オスカル・ミンコフスキ (Oskar Minkowski) とヨーゼフ・フォン・メーリング (Joseph von Mehring) は健康な犬の膵臓を取り除く研究を行った。実験が始まって数日後、ミンコウスキーはハエがいつもこの犬の尿に群がっていることに気付いた。尿を調べてみると、糖分が含まれており、ここで初めて膵臓と糖尿病との関係が実証された。
1901年、アメリカの病理学者ユージン・オピー(Eugene Opie)によりランゲルハンス島と糖尿病との関連が明らかにされたとき、この研究は新たな段階を迎えた。つまり、糖尿病はランゲルハンス島の部分的あるいは全体的な破壊によって引き起こされるということがわかったのである。しかしながら、ランゲルハンス島が果たす特定の役割については、ここではまだよくわかっていなかった。
部屋を貸しただけでノーベル賞?
1920年にカナダのトロント大学の教授だった、ジョン・ジェームズ・リチャード・マクラウドは、トロント大学の卒業生でウェスタン・オンタリオ大学の時間講師をしていたフレデリック・バンティングから、糖尿病を防ぐホルモンの抽出する実験をしたいという申しいれを受けた。
マクラウドは結果に対しては懐疑的であったが、1921年にマクラウドが休暇でスコットランドに帰っている8週間の間、研究室と実験用の10匹の犬の使用と、学生チャールズ・ベストを助手として使用することを認めた。
この間にバンティングらは血糖を下げる有効物の抽出に成功した。休暇から戻ったマクラウドは彼らの成果を見て、研究室の総力をあげてとりかかることとし、生化学に詳しいバートラム・コリップをチームに加えた。大量にインシュリンを抽出する方法を開発し、翌年には糖尿病で瀕死の少年にインシュリンを投与し、命を救い、インシュリンの発見から2年という異例の速さでマクラウドとバンティングはノーベル賞を受賞した。
しかし、インシュリンの発見はバンティングによるものであり、バンティングはマクラウドとの共同受賞に激怒したといわれる。バンティングはベストと賞金を分け合い、マクラウドもインシュリンの精製に功績のあったコリップに賞金の半分を与えた。 このエピソードは「トリビアの泉」でも取り上げられ「部屋を貸しただけでノーベル賞を受賞した人がいる」と紹介された。(Wikipedia)
参考HP Wikipedia「インスリン」「ジョン・ジェームズ・リチャード・マクラウド」 「フレデリック・バンティング」・インスリン物語・医療ジャーナリスト蒲谷茂「太ってないのに糖尿病」・小野よしあき内科「インスリンの歴史」
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