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上海万博開幕!
5月1日上海万博が始まった。中国が北京オリンピックと並んで国家プロジェクトとして力を入れてきた上海万博。ゴールデンウィーク中、上海空港には多くの日本人観光客の姿が見られた。
経済発展が著しい中国、ぜひ誰もが努力と工夫で、豊かになれる国を目指してほしい。そのための万博であれば、応援したいと思う。さて、今回の上海万博のテーマは何だろう?
上海万博会のテーマは「より良い都市、より良い生活」である。次に今回の万博のサブ・テーマであるが、「都市多元文化の融合」「都市経済の繁栄」「都市科学技術の革新」「都市コミュニティーの再生」「都市と農村の対話」となっている。
会期は、2010年5月1日―10月31日、場所は、上海市中心黄浦江両岸、南浦大橋と盧浦大橋間の濱江地区。目標は「200の国家と国際機関の出展、7000万人の見学者を誘致」である。スケールの大きい、新しい可能性に満ちた雰囲気を感じる「上海万博」。私もチャンスがあれば見学したいものである。
上海万博の見どころ
上海万博でも目立つ赤い建物の中国館は、日本円でおよそ280億円をかけて造られた。投資額、規模ともに最大のパビリオンとなっている。
そして、円盤型の大きな建物、万博文化センターでは、30日夜に開会式が行われた会場だ。この開会式に出席するため、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領や、北朝鮮のNo.2・金永南(キム・ヨンナム)氏など、各国の要人が現地入りしてた。
上海万博の会場の面積は、史上最大の328ha、参加する国と国際機関などは過去最多の246。あらゆる面で、No.1にこだわる中国が、国の威信をかけて開催した。
日本産業館では、パビリオンの壁を器用に登り降りするロボット「夢ROBO」を見ることができる。また、ハイテク技術から大阪名物のたこ焼きまで、42の企業が出展する。紫色のカイコのような形をした日本館は、リハーサル期間中、3時間待ちの列ができるほどの人気を集めた。
そして、スペイン館の見どころは、巨大赤ちゃんロボット「ミゲルちゃん」。唇の潤いや目の表情は、まるで生きているかのよう。
さらに今回、パビリオン以外で見逃せないのが万博会場の夜景。色とりどりの光がロマンチックな雰囲気を演出し、川岸に設置された巨大スクリーンでは、映像と音楽を組み合わせた幻想的なショーが楽しめる。
一方で、客のマナー違反や、準備不足のパビリオンなど、運営面での不安が残る。こうした中、開幕を控え、会場周辺では変化が見られた。30日、開幕を待ちきれない観光客らが会場周辺で写真撮影をしている一方で、多くの警察が巡回していて、警備が強化されていた。今回の万博は、会場だけでなく、市内の地下鉄など各所で、厳しい警備態勢が敷かれている。(04/30 FNN news)
「環境の日本」売り込め!
中国で5月に開幕する上海国際博覧会(上海万博)で、日本政府と企業・団体が共同出展するパビリオン「日本館」に、二酸化炭素(CO2)を排出しない未来の都市「ゼロエミッションタウン」が登場する。太陽光パネルや環境対応車(エコカー)など日本の先端技術のほか、下水を飲用水に処理する最新の水システムも紹介。「環境の日本」を世界にアピールして、今後世界的に需要が高まる環境関連技術や水ビジネスの国際展開につなげることを目指す。
日本館の名前は「紫蚕島(日本語愛称・かいこじま)」。敷地面積6000平方メートルで、政府のほかキヤノン、トヨタ自動車、パナソニックなど約20の企業・団体が「こころの和・わざの和」を共通テーマとして出展する。「地球温暖化問題など人類が直面するさまざまな課題を、日本と中国が技術や人の協力によって解決しよう」とのメッセージを込めた内容になる。
展示の目玉の一つがゼロエミッションタウンだ。CO2を排出しない2020年の街の姿をセットなど実物大で表現するのが売り。風力発電や次世代型送電網(スマートグリッド)、燃料電池自動車に水素ガスを供給する「水素ステーション」などが立ち並ぶ風景を写真で立体的に作り出し、エコカーや省エネ家電を配置。窓ガラスに張り付けて発電する「太陽光発電窓ガラス」、人や車が通る圧力で電気を生む「発電床」など、実用化に向けて開発が進む先端技術の実物も展示する。
また、下水を日本のろ過膜技術などで浄化し、飲用水として供給するシステムも紹介する。中国では急激な工業化で水需要が急増する一方、湖水の汚染が社会問題化している。日中両政府は昨年11月に北京で開かれた「日中省エネルギー・環境総合フォーラム」で、水質浄化などに関する協力で合意したばかり。日本側は、技術を広く紹介し、中国での技術導入やビジネス展開に弾みをつけたい考えだ。(毎日新聞 2010年1月12日)
上海の歴史
さて、中国と日本はお隣で、よいことも悪いことも互いにかかわり合った長い歴史がある。そして、中国と世界とはアヘン戦争や第二次世界大戦などを通じて、帝国主義の中で植民地支配を受けるなど複雑な歴史もあった。そのなかで上海とはどんな都市なのだろう?
市中心部を流れる黄浦江沿いの外灘(バンド)地区。重厚な西洋建築が、「魔都」と呼ばれた20世紀前半の面影を残す。当時、アジア有数の都市に成長した上海はにぎわいを見せていたが、英仏などの租界が置かれ、治外法権がまかり通っていた。
上海という名は唐代にまで遡り、蘇州河の南に上海浦という村ができたのが始まりで、宋代には上海鎮と呼ばれるようになり港を持つようになる。元代には都としての機能を持つようになり、清代には海運港が設けられて地域の物流の集積地として、また国内でも有数の海運港として発展していく。
そんな上海が、国際的な歴史に登場するのは1842年の南京条約からで、アヘン戦争の終結後、条約港として開港して以来、イギリス、そしてフランスなど諸外国の租界が形成されるようになってからのことだ。
租界という自らの国の行政権が及ばない治外法権地区の拡大とともに上海も展し、当時の最先端建築様式の建ち並ぶ様子は「東洋のパリ」とも称された。1920年代頃には、日本も英米と共同の租界に進出し、極東最大の都市として発展し、アジア経済の中心となった。第2次世界大戦前までは、そうした国際色豊かな植民地的都市だった、大戦中には戦火を逃れた様々な人々で街が形成され、華やかさと同時に猥雑さを併せ持つ混沌とした街となり、「東洋の魔都」とも称されていた。
戦後、暫くのあいだは相変わらず上海に外資の進出が続いたが、1949年の中華人民共和国成立で外資の流入は一旦終了した。革命後には中国経済を牽引する大きな役割を担い、一大工業大都市として変貌してきたが、近年改革開放政策という対外政策の変化により、再び国際都市としての機能を持つ中国一の大都市に急速に変貌した。いまなお現在も著しい経済成長の中で、上海は中国のビジネスや金融の中核的なセンターとしての発展を続けている。
改革開放とは何か?
改革開放とは、中華人民共和国の小平の指導体制の下で、1978年12月に開催された中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議で提出、その後開始された中国国内体制の改革および対外開放政策のこと。毛沢東時代の大躍進、文化大革命で疲弊した経済を立て直すため、現実派の小平は「四つの近代化」を掲げ、市場経済体制への移行を試みる。基本原則は先富論に代表されるように「先に豊かになれる条件を整えたところから豊かになり、その影響で他が豊かになればよい」という考え方である。
これはそれまでの絶対平等主義(ネガティブウェルフェア)を切り離した象徴といえる。これにのっとり、農村部では人民公社が解体され、生産責任制、すなわち経営自主権を保障し、農民の生産意欲向上を目指した。都市部では外資の積極利用が奨励され、広東省の深圳、福建省のアモイなどに経済特区が、上海、天津、広州、大連などの沿岸部諸都市に経済技術開発区が設置される。(Wikipedia)
参考HP Wikipedia「上海」「改革開放」・中国上海旅行ガイド「上海の歴史」・上海万博公式HP
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