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第24回 ノーベル物理学賞 M ・シーグバーン「X線分光学の発見」

2010年05月24日 | 科学全般
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 X線とは何だろう?
 X線とは紫外線や赤外線と同様の電磁波である。可視光線の波長が0.000001 m (1μm)ぐらいであるのに対し、 X線はより短く0.000000000001 m~ 0.00000001 m (0.01- 100 Å)程度の波長である。

 1895年レントゲンによってX線が発見されてから今日まで、X線は工業から医療まで幅広くの利用されている。どんなものに使われているだろう?

 例えば医療で、X線を体に通せば、透過して内部のようすがよく分かる。これをX線透過法という。例えば結晶に当てれば、X線は散乱し、結晶に特有の散乱光を観察でき、物質中の結晶情報を得られる。これをX線回折法という。

 X線回折で用いるX線は、その波長が結晶中の原子やイオンの間隔と同程度であるということが重要である。(X線回折で最も多く用いられているX線管球は1.5418Åの波長を持つ銅管球がもちいられている。)

 例えば物質にX線をあてると、元素固有のX線(2次X線)を発生する。そのX線を検出する事により元素情報を得ることができる。これを蛍光X線分光法という。

 月探査機「かぐや」では、太陽からのX線を受けて月面から放射される2次X線を観測し、月表面の元素(アルミニウム、シリコン、マグネシウム、鉄等)の分布を調べた。月を周回しながら、物質分布の地図を作り上げることができた。


 
 X線と安全性
 このように便利で多様な用途のあるX線であるが、放射線の一種で危険性もある。X線の性質を認識して扱うことが、大切である。 放射線には他にγ線、β線、α線などがある。

 α線やβ線はエネルギー的に弱い線なので、透過力は小さく、薄い紙やプラスチック板を通ることはできない。X線やγ線は透過力が大きく、紙やプラスチック板をも通過してしまうが、鉛の板を通過することはできない。そこで、X線回折装置は鉛で覆われており、外にX線が漏れないようになっている。

 X線装置を使用している者にはX線をどれくらい浴びているかを示すフィルムバッチという物の着用を義務付けられていて、一ヶ月でどの程度浴びているかを知ることが出来る(通常、この結果はX線を浴びていないという結果が得られる)。また、定期健康診断で血液検査も行なっている。

 親子でノーベル物理学賞
 ところで、親子でX線などの電磁波の研究をして、2人ともノーベル賞をとった人がいる。それは誰だろう?

 スウェーデンの物理学者、マンネ・シーグバーンとカイ・シーグバーン親子である。マンネ・シーグバーンは「X線分光学」の研究。カイ・シーグバーンは「光電子分光学」の研究であった。親子でノーベル賞をとった人達は他に5組いるが、電磁波研究では彼らだけである。

 ちなみに他の親子受賞者は、ピエール・キュリー、マリ・キュリーとイレーヌ・ジョリオ=キュリーの親子、ジョセフ・ジョン・トムソンとジョージ・パジェット・トムソンの父子、ヘンリー・ブラッグとローレンス・ブラッグの父子、ニールス・ボーアとオーゲ・ニールス・ボーアの父子、アーサー・コーンバーグとロジャー・コーンバーグの父子、ハンス・フォン・オイラー=ケルピンとウルフ・スファンテ・フォン・オイラーの父子の5組み。

 マンネ・シーグバーンとは?
 カール・マンネ・イェオリ・シーグバーン(1886年~1978年)は、スウェーデンの物理学者である。X線分光学の分野の研究で1924年のノーベル物理学賞を受賞した。受賞理由は「X線分光学における発見」である。

 スウェーデンのエーレブルーに生れ、ルンド大学にて学んだ。1907年から1911年までヨハネス・リュードベリの助手を務め、リュードベリが亡くなった後は1920年にルンド大学の物理学教授になった。1923年からはウプサラ大学の教授になり、翌年の1924年にはノーベル物理学賞を受賞した。

 X線分光学の分野でX線装置の改良などに業績をあげ、その後研究の分野を原子物理の分野に移して1939年にサイクロトロンの建設をおこなった。国際的にも活躍し、1938年から1947年まで国際物理学会の会長を務めた。その後、ストックホルムにてこの世を去った。

 息子のカイ・シーグバーンも、1981年にノーベル物理学賞を受賞している。

 マンネ・シーグバーンとリーゼ・マイトナー
 
親子でノーベル賞の栄誉に輝いたシーグハーンであるが、残念なエピソードもある。

 1938年、核分裂の発見者である、女性物理学者リーゼ・マイトナーが、オーストリアがドイツに併合され、ナチスの迫害を避けるために、スウェーデンに移らざるをえなくなった。

 このときに、ストックホルムのマンネ・シーグバーンをたより、彼のもとで原子物理の研究を続けたが、シーグバーンの女性に対する偏見のためか、ほとんど無視され充分な援助は受けられなかったという。

 同年、マイトナーは共同研究者であった、オットー・ハーンから「ウランの原子核に中性子を照射しても核が大きくならず、しかもウランより小さい原子であるラジウムの存在が確認された。何が起きているのか意見を聞きたい」という手紙を受け取った。

 マイトナーは、甥で物理学者であるオットー・ロベルト・フリッシュと共に核分裂が起きた事を証明して、連名で発表。関係者から賞賛された。なお、これが核兵器の開発につながっていく。

 1944年ハーンはノーベル化学賞を受賞したが、ハーンはナチスの圧力に負けユダヤ人であるマイトナーを外した為、彼女は受賞を逸したという。しかし、マイトナーは、核分裂の概念の確立者であるのは間違いない。

 もし、このとき彼女が核分裂を発見せず、発見が少しでも遅れていれば、1945年広島・長崎で原子爆弾が落とされなかったかもしれない。彼女の業績は素晴らしいものであるが、歴史の皮肉を感じざるを得ない。

 

参考HP Wikipedia「X線」「蛍光X線分析」「マンネ・シーグバーン」「カイ・シーグバーン」「リーゼ・マイトナー」 

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