空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「ロスト・ケア」 葉真中顕  光文社

2014-05-11 | 読書


第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作


新しい作家の作品も読んでみようか、と軽い気持ちで選んできた。
だが暗いくらい話だった。

犯人探しのミステリだが、背後は介護問題、老人介護で追い詰められた家族におきる殺人事件は、救いがたい深さと暗さを持っている。
直視したくない現実は、常に目や耳には入ってくる。このような情報も軽い気持ちでは聞くに堪えない場面が多い。
それが今では次第に身近になってきている。

事件というだけでも辛いのに、それに携わるヘルパーや経営者、終末期医療の問題。なんともやりきれない。
間近に、いやでも目の前には迫っているが、知らなければいけないのに知りたくない、気づかない振りをしていたい、というのが偽りの無い気持ちだろう。どうしても逃げられないその渦中になって初めて気がつき苦しむことになる。
全てに当てはまることではないと思うことが一日を穏やかにやり過ごすコツかもしれない。

生きることの終わり方の持つ、それぞれの問題はこういう形であって欲しくないと思うような話だった。


核家族が増え、高齢になった親をどうするか、考えることはあってもそれが現実になったとき、時間とともに重さが増す。

高級介護ホームに入れる家族もある。そこでの至れり尽くせりの介護でも、この小説では入居費用は3億円。聞くところによると億単位の入居金とは別に生活費が要る。

そういうところに任せられる家庭がどれだけあるだろうか。

という、行き詰った現場で起きた事件。

もちろん理由はどうあれ犯罪には違いない。

思いがけない展開と、犯人の人生観や境遇、それも突き詰めて言えば、介護政策のありかたにある。安易に出発した甘い政策の始まりが、現実にぶつかって改正された。甘い見通しの上に重なる改悪。
ますますの高齢化で国の負担は増える、それにつれて介護現場への締め付けが厳しくなる。

税を増やし年金から有無を言わせず徴収しても、膨らんだものを縮めるのは、待たざるものが常に貧しいことよりも辛い。

豊かさしか知らない人たちはこういった現実をどのくらい理解できるだろうか。


見たくないでは済まない現実に目を向けさせられた、辛い話だった。





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「家守綺譚」 梨木香歩 新潮文庫

2014-05-10 | 読書


行方不明になった友人宅の家守をするまだ新米の文士、綿貫征四郎の著述をまとめたもの。
という形で、古い家と庭の木々、草花や狐、狸、隣の面倒見のいいおばさん、山のお寺の和尚さん、迷い込んで住み着いた犬のゴローなどとの交わり、はたまた床の掛け軸から時々亡友が訪ねてきたりするのを、暖かく記してある。

征四郎のまわりで起きる小さな不思議な出来事。サルスベリに小猿がちょこんと座っていたり、池で河童が脱皮していたり、白木蓮の蕾がタツノオトシゴを身籠っていたりする。

土間に生えたカラスウリが、天窓の光を受けて天井を覆うほど茂り、レースのような花が咲き、その中に干からびたyヤモリがいた、征四郎もヤモリになった夢を見た。

筍が食べたくなって山を散策していて、貝母の精のような人を見かける。あなたは何者ですか、と聞くと私は百合ですと答えた。
筍の名産地、琵琶湖疏水の流れる山の麓に住んでいるのだろうか。

貝母は貝母百合ともいう。奈良の春日大社神苑に、春になるとそこここに咲いて、素朴な色で俯いている。貝母の項でうれしくなった。

四季を飾る素朴な花にまつわる話が、この世のものでないようでいて、土俗的な郷愁をさそう。ありそうでない、いやあるかもしれない、夢幻と現実の境にたってみるのもよい。

いつの間にか掛け軸の中の風景は雨、その向こうからボートが一艘近づいてくる。・・・高堂であった。
――どうした高堂。
私は思わず声をかけた。
――逝ってしまったのではなかったのか。
――なに、雨に濡れて漕いできたのだ。

と言っては時々現れる。

――サルスベリのやつが、おまえに懸想している。
――・・・・ふむ。

実は思い当たることがある、サルスベリの名誉のためにあまり言葉にしたくはないが。
――木に惚れられたのは初めてだ。

――どうしたらいいのだ。
――どうしたいのだ。

――迂闊だったな。
高堂は明らかに面白がっていた。
―― ああ見えて、存外話し好きのやつだから、ときどき本でも読んでやることだな。そのうちに熱もさめるだろう。
――なるほど。

それから午後はサルスベリの根方に座り、本を読んでやる。
あまり撫でさするのはやめた。サルスベリも最初は不満げであったが、次第に本にのめり込むのが分かる。サルスベリにも好みがあって、好きな作家の本の時は葉っぱの傾斜度が違うようだ。ちなみに私の作品を読み聞かせたら、幹全体を震わせるようにして喜ぶ、可愛いと思う。出版書肆からはまともに相手にされないが、サルスベリは腐らず細々とでも続けるように、といってくれている。それで時々魚をおろしたときの内臓などを根方に埋めてやっている。


引用では、長くなるので勝手に省いたところもありますm(_ _;)m すみません。
原文はもっともっと愉快で面白いです。

そんなことやこんなことが起きても、征四郎の日常はゆったり悠々と流れて行く。たとえ筆が進まず、筆?今はペンではないか?と思うことはあっても、注文の原稿は、周りの出来事を話の種にして、出来上がる。

原稿取りの山内が、部屋の隅の桜の花びらの吹き溜まりに気づく。

――おや、これは。
ああ、と云いかけて、こいつに桜鬼などと云って通じるのかと危ぶみながらも、
――今朝方、暇乞いをすると云って見知らぬ女人が座った。近所のおかみさんの話しでは桜鬼だというんだが、どうしても鬼のようには思われん。小鬼なら庭にもいるが、到底似ても似つかぬ者なのだ。
山内は一寸呆れた、という顔をして、一旦息を大きく吸い、
――小鬼は子鬼にあらずして、小鬼という立派な種の名前なのです。

云々と、雄弁に語りだす。征四郎はたじろぐ思いで、何故、そんなに詳しいんだ。
――常識ですよ。

ああ、類は友を呼ぶか、なら私も同類にしてもらえるかな、とつい嬉しくなる。
野の花や、季節の風物のなんとも言えない香りを漂わせる本であった。

本読みの幸せだ。梨木さんの作品はまだまだある。買って来て保存版にしよう。

子供の頃のままの、無心で無垢な心をもちつづけていたとしたら、私も征四郎のように、自然と話せるのではないか、わずかな気配を感じて、草や木や小さな生き物の伝えたい言葉がきこえるのではないかと思えるが。そんな、清らかで素朴な心で生きていけないことを、少し哀しみつつ、幻の中に住んでいるような、征四郎の周りの暮らしが、豊かな言葉で語られていることに、暖かい想いが湧く。

花好きが嵩じてホームページなどを作ってしまった、W7に移行時ソースが壊れてリンクがおかしい。そのうちそのうちと思っているうちに病気になった。そのせいにはしているが、壊れて無い部分の写真からでも、いろいろな場面を背景にして浮かんでくる思い出も嬉しい。
この本の花とも照らしあわせてみたが、「ネズ」という木は見たことが無い。実がなるという、庭にある槙の木の友達だろうか。槙にも甘い実がなるし。
征四郎なら訊くことも出来るかもしれない、でも甲羅があるなら苔まで生えるこの年になって、無心に木の声を聞こうとするのが無理に違いない。

これからは手元に置いて折りに触れて、私は花を見てはこの本を読むのだ。よしっ。

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運命の日」上下 デニス・ルヘイン 早川書房

2014-05-09 | 読書
  


これは並みのミステリではない。ミステリというジャンルから生まれた、歴史の一片を語る叙事詩のような作品だった。
上下巻二段組みの長編を読み通したのは、面白く、ストーリーに破綻もなく読み手を楽しませる、手法、構成から目が離せずにいたこともある、しかし一方ではこの長さがちょっと苦しかった。特に上巻の家庭や警察内部の動き、兄弟、親子のいざこざなどが、まだ話の流れに乗り切らない時点で通り過ぎるのに時間がかかった。
「チボー家の人々」や「収容所列島」などなど、世界の名作といわれる長編に夢中になり、話が長いほど嬉しかった時代は遠くなった。

ボストンの警官が待遇改善を求めてストライキをする「その決行の時」に向かって進んでいく様子が息づまるように書かれる。史実を含め、ボストンの歴史であり当時のアメリカの政治を背景に、革命を叫ぶもの、テロをたくらむもの、世情不安の中に投げ込まれた主人公たちの生き様が、息もつかせず読ませる。

まず上巻を開いて読み始めると、ベーブ・ルースがナショナルリーグに向かって列車の旅をしている。レッドソックスやカブスの選手もいる。オハイオまで来たとき列車の故障で、2.3時間停車する。気分転換に下りて、黒人たちの草野球に出会う。投打ともにプロに匹敵する巧さだ。ベーブは近づいていく、そして白人選手たちと黒人のチーム対戦になる。プロもたじたじの実力にベーブたちは押されて、9回二死満塁、6対3でプロが負け越している。打順が回ってきたベーブは、前の打者がダブルプレーで試合が終了するのを密かに願っていた。だが皮肉なことに打順は巡り、狙った球が来て外野の頭上高く打ち上げる。だが落下点に神業のような俊足ルーサーがいた。ベーブは快心の当たりでなかったことに気がついていた。ルーサーは球の真下にいたが。ボールをポトリと目の前の地面に落としたまま帰り支度をして振り向きもしないで行ってしまう。ファールをフェアだといい、判定の曖昧な進塁にセーフだと言い切る白人たち、当時の白人気質を当然のように持ち込んだ傲慢なプロの選手、黒人蔑視がスポーツのルールも曲げてしまう。白熱した試合の様子から書き出し、社会情勢を映し出す、その上、今後の登場人物を紹介もする、これだけでも優れた短編小説を読んだような気分になる。

トマス・コグリンを父に三人の息子がいる、父はボストン署の警部、息子のダニーは巡査、次男のコナーは地区検事補、末弟のジョーは13歳だった。
ボストンでは労働者、特に黒人移民の労働者階級は低賃金と過酷な労働を強いられ、警官は不安な世情の見張りで、慢性睡眠不足に加え、これも低賃金、超過勤務で疲れ果てていた。

交渉は200ドルで決裂した。

「年200ドルは戦前の数字だ。今貧困といわれるレベルは年収1500ドルで、ほとんどの警官はそれにはるかに及ばない。彼らは警察なのだ、それが黒人や女より低い賃金で働いている」市警の警官たちがストライキをすれば大企業が勝つ。ストライキを棍棒として労働組合員、アイルランド人、民主党員を殴り倒す、労働者階級は30年分後退することになるぞ」

街は警官のストライキを引き金にして怒りや不満が爆発し暴動が起きると判ってはいた。だが先の暗さを感じながらストを回避できなかった。

テロ、共産主義団体、アナーキスト、警官の労働組合の動きが気になる中で、警部の父はダニーの名づけ親(マッケンナ、ボストン市警部補)に言う。

「フォン・クラヴゼヴイッツは、戦争はほかの手段をもってする政治だと思っていた」トマスは穏やかに微笑んで、ブランデーを口にした。「私は、政治こそほかの手段をもってする戦争だといつも思っていた。
そういった中でダニーは警官の反政府思想に傾き、ついにストライキに入る。市民を巻き込んだ歴史に残る警官のストは、上層部の対抗措置のまえに犠牲者を出し、街を破壊する。
市警察はスト関係者に解雇通知を出す。

一方、ルーサーは手を出したギャングの世界でボスを撃つ。

またしても関わったマッケンナはルーサーに言う。
「わたしがタルサ市警に電話し、流血事件の唯一の生き残りに職務質問をしてくれと依頼し、その職務質問の途中で、タルサから来たルーサー・ローレンスという男がここボストンにいると相手に伝えてくれ、といわない限りな」眼が光った。「そうなると、あとどのくらい隠れる場所がある?」
ルーサーは闘争心が湧くそばから死んでいくのを感じた。それはただ倒れ、枯れていった。


ルーサーは保護者の持つ組織員のリストを渡す約束をさせられ、巻き込まれていく。

次男コナーの事件は鉄鋼員に関するものだった。
こなーはついに理解したーーーそして法律家でいる限りこの信条が自分の益になることを願ったーー最高の弁論とは感情や扇情的な修辞を拝したものなのだ。あくまで法に従い論争を避け前例に代弁させ、相手の弁護士に上訴でそうした法の健全さと闘うかどうかを選ばせる。これは一つの閃きだった

コナーは法の下、ダニーとは異なった道を歩き出した。


当日、うちを出たジョーをさがしに街に来たコナーは暴徒に巻き込まれ、顔の横で割られた硝子で失明する。

ストの日の後トマスの息子たちはそれぞれ傷をおった。ダニーは心身ともに疲れ、撃たれて人事不省に陥るが一命を取り留めた。
コナーは未来を模索していた。
父トマスは老けた。

「運命の日」という、初めて知ったボストンの一つの歴史を読んだ。
デニス・ルヘインの映画で見た街が少し身近で鮮明な映像になった。








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DVD ゼロ・グラビティ

2014-05-07 | 映画
ゼロ・グラビティのアカデミー賞7冠を祝ってNASAが提供した実際の宇宙映像

監督 アルフォンソ・キュアロン
製作総指揮 クリス・デファリア 、ニッキー・ペニー 、スティーヴン・ジョーンズ
音楽 スティーヴン・プライス
脚本 アルフォンソ・キュアロン 、ホナス・キュアロン
出演 サンドラ・ブロック ジョージ・クルーニー エド・ハリス


我が家の小画面(笑)でも宇宙は美しく、無重力の中で作業をする様子は息が詰まりそうだった。
アカデミー賞では多くの部門で受賞し、莫大な興行成績を上げて、レンタルビデオでもダントツの一位だという。

(好きなので、宇宙に関わる作品は随分見た。「アポロ13」や不思議な「惑星ソラリス」、名作「2001年宇宙の旅」そのほか宇宙ものと一括していいのか「スターウォーズ」「スタートレック」などなど、忘れている作品が多すぎるけれど)


ロシアが破壊した宇宙船のかけらが散らばって次々に破壊の連鎖が起き、襲ってくる。「エクスプローラー号」で船外の修理作業をしていた三人は 一人が直撃を受け死亡。船内の乗組員も死亡した、外にいたライアン(サンドラ・ブロック)とマット(クルーニー)は逃げおくれたが助かった。
ゴミが当たって破壊された部分を修理しているが、無線も途絶え、宇宙服内の酸素もつきかける。
ふたりはマットの指示で 宇宙センターに向かうが、これも破壊されていた。残った帰還用の船にはパラシュートが開いたままでつながっていた。外そうとしたパラシュートに絡まったマットは、辛うじてライアンと綱でつながっていたが、ライアンを救うためフックをはずして宇宙に消えて行く。

ライアンは帰還用「ソユーズ」で逆噴射し、中国の宇宙センター「天宮」に着く、やっと起動した宇宙船「神船」で大気圏まで帰還して湖に落下し、波打際で重力を感じながらゆっくり立あがる。

宇宙船の内外も画像では見慣れたが、この映画についてはいろいろ専門家による指摘があるようだが私には難しい。ただ息が詰るような酸素切れ間近の宇宙服を着て、操作手順を模索するシーンはスリルがある。

マットの自己犠牲、仲間の死、のなかでライアンが思い出す地上の生活や、ときどきつながる電波から聞こえてくるどこかの生活の一部、犬や話し声や子どもの声が効果的で、硬質な宇宙での作業にやわらかさを与えている。


数年前にいった、つくばのJAXAで宇宙船の模型に入ってみたが狭く息苦しかった。膨らんだぶかぶかの宇宙服も別世界のものに見え、宇宙に行った人たちは、やはり選ばれたスーパー人類のように思える。


映像は美しく、まだ広がり続けているという大きな宇宙の中で、人間は微小な点に過ぎないことを思った。

ローレンス・クラウスン著「宇宙が始まる前には何があったのか?」読んでみたいと思う。





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「ムーミン」のエンディング ノンノンのお兄さん編

2014-05-04 | 日日是好日

高速道路から、近くの側道につながる道は、恒例のGW渋滞で、抜け道までも知れ渡ったみたいだ。

混雑も静まった頃に、我慢できずにちょっと走ってみる。


中国自動車道の吹田を抜けたあたりと、名神の近江富士が見えてくる滋賀の道路のまっすぐなみち。
向こうには下り坂を下りてのぼりにかかる車の群れが見える。
夕暮れ時はテールライトの赤い大きな帯になる。
誰かが、「ああ、帰ってきたねぇ」と、行きのはしゃぎ振りを忘れて「うちが一番よね」と言い出す。


私はそのまっすぐな道に来ると、行きも帰りも歌ってしまう。


スノーク家のしつけはまことにきびしいものであ~~る
言葉の前にはおをつける おおおおおお~~~~♪

スノーク家のしつけはまことに上品なものであ~~る  
余所見をしないで まっすぐまっすぐ
まっすぐ行ったら川でしょうか♪


まっすぐ行ったら名古屋でしょうか♪

まっすぐ行ったら家でしょうか♪



岸田今日子時代の「ムーミン」は面白かった、多少の寓話的な話の中に、子どもがすこしずつ大人になっていく様子や
穏やかで落ち着いた模範的な両親が、時にはそうでない顔を見せたり。
変わり者のようなスナフキンとミーが一番まともに見えたり。


まっすぐ行ったら川でしょうか


今は、「ねぇムーミンこっちむいて」というオープニングの歌の歌詞も忘れるほど遠くなり。

大人になってしまって、まっすぐ行くのは到底無理でしょうと思いながら。






探してみたら ヤッパリ出てきたヾ(〃^∇^)ノわぁい♪ こうでした



スノーク家のしつけは まことに厳しいものであ~る
まずは言葉をていねいに 言葉の頭に「お」をつける
たとえば・・・
おおいばりの おおかみは おお~
おお~いばいば いやいやおお~
ごほん・・・

スノーク家のしつけは まことに上品なものであ~る
たとえば道をば歩く時 わき見をせずにまっすぐに
どこまでも~
まっすぐ まっすぐ まっすぐ行ったら川でしょうか?
ああ川・・ヘクション!!


スノーク家のしつけは まことに立派なものであ~る
誰かに遭ったであれば こちらから
頭を下げてごあいさつ
にこやかに~
こんにちは こんにちは こんにちは
ああよくみりゃノラ猫でしょうが
はた にゃんだるたるか・・・・


そうでした ♪♪ (^^)


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「領分」ということ

2014-05-02 | 日日是好日


学年はじめに講堂で並んで買う教科書を読むのが楽しみだった。勉強というより新しい読み物が来たというウキウキ気分だ。
高校一年の現代国語の教科書に国木田独歩の「忘れえぬ人々」の一部が載っていた。

雨の日、旅館の一部屋で、文学青年「大津」が丸顔の画家「秋山」と話すところだった。
どんなものを書いているのか見たいという秋山に、大津はまだ草稿なので書きたいことをざっと話すという。忘れてはいけない人々ではなくてふっと思い出すような「忘れえぬ人々」を書こうと思っている、
と言いながら話し出す。
外は雨がまだ降り止まない。

こんな晩は君の領分だねぇ

と秋山はいう。


この「領分」という言葉に、はっとして震えた。画家の秋山が文学者の大津の領分と言った。
寝静まった旅館で、酒を酌み交わしながらの話がふと途切れたとき、この時が大津の領分だといった。

大津は聞いてなかった一言だったが、秋山がその領分を感じて理解できることに深い意味があるのではないかと思った。

それから私の心の隅に「領分」という言葉の部屋が出来た。

いつの間にかできた友人や知人、何かの集まりで知り合った人、古くて長い付き合いの同級生たち。私は話しながら「領分」という言葉に照らす。

そして思い込んでいた近しい人たちの人となりが、一言で新しく輝くときがある。
ああこれかこれに近いところにこの人の領分はあったのか。

心の境界線のぼんやりしたところ、日常の些細な出来事を通して付き合っている人たちの心が、不意に焦点を結ぶように見えるときがある。ここが要注意なのだな、などと思う。

長い付き合いというのは、その領分が、私の心のどこかに重なっている、不断は良くわからない領分とは何だろうといつも思いながら、すれ違う人の領分の照り返しでかすかに自分が見えることがある。






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「夜に生きる」 デニス・ルヘイン ハヤカワ書房 

2014-05-01 | 読書


三部作か、といわれる第一作の「運命の日」に続く二作目ということだが、続きが出るのかどうかはまだわからないようだ。
どちらにしても「運命の日」の家族、兄弟の話(らしい)から、時代は少し移って、今度は三男のジョー(ジョセフ)が主人公になっている。

父がボストン市警の警視正という家庭で育ったが、13歳のとき、悪がき三人でニューススタンドに火をつけ、小金を稼いだ。それを皮切りにジョーの生活は夜に向かって滑り出す。出あった街のボスの情婦に一目で恋をする。
20歳、銀行を狙って警察に追われるが、恋人に気をとられていたこともあり、仲間が裏切ったかもしれない状況でミスをしてしまう。
父親の機転で警官殺しは免れたが、5年の実刑で刑務所に入る。

刑務所にはメキシコ湾岸を牛耳る大物マソ(ペスカトーレ)がいた。が刑務所の中でもファミリー同士の小競り合いはあった。マソが出所し、外からの攻撃を仕掛け、マソの下で、ジョーは刑務所内で密造酒の腕を持つ一派と話をつけた。
出所したジョーはタンパから葉巻の街イーボーに落ち着いた。
灼熱の街イーボーに着くと幼馴染のディオンが生きて待っていた、彼はウラのつながりにも街の裏道にも馴染んでいた、そこでラムの密造を始める。ラムの材料が横流しで手に入らなくなった。それを対立するボスのゲーリー・スミスを追放することで解決する。


「どちらかを選べ、その汽車に乗るか」
「われわれが汽車の下敷きにするかだ」

車に戻りながら、ディオンが言った。「本気なのか」
「ああ」ジョーはまた苛立っていた。理由はわからない。ときどき闇に取り憑かれる。突然こういう暗い気分に押し包まれるのは刑務所に入ってからだと言えるといいが、じつのところ、記憶が始まる昔から闇は下りて来ていた、ときになんの理由も、予兆もなく。だが今回は、スミスが子どもの話をしたのがきっかけだったように思う。



ジョーは船を使ってメキシコ湾沿岸の密造酒を牛耳るようになる。
最初の女エマの死は信じられないままだったが、彼はキューバの活動家の妻と住み息子が出来る。
キューバと妻のためにアメリカの海軍戦艦を襲い大量の銃を盗る。

ジョーは無法者と名乗っていたが次第にギャングと呼ばれるようになる。

多くの死を見る度に、そのことが心から離れない。成功はしたが彼はどこかに、同時代に生きた「ギャッツビー」的悲哀をにじませている。
満たされることが無いままに選んだ夜の生き方。縄張り争い、地位の奪いあいの日々。それが輝いて見えたとき以来、犯罪に憧れスリルを求め、漬かり、流されてもがいて来た生き方である。


ギャング小説も、ノワールという分野も読めばその世界の人の生き様に入り込んでしまう。この小説の類型を見つけるのは簡単かもしれない、育ちの良さや、父親の影から完全に抜け出ることが出来ない若者の話は多い。貧しい移民や人種の混交の街で、法の枠外に生きることがたやすかった若いころ、優れた頭脳は犯罪にも向いていた。だが成長してさらに深みの底に溜まっている汚泥を見れば、やがて将来は心の枷になってくる。当然、彼が生きる境界線は法律だと心の底では気づいている。

ルヘインは非情な場面に叙情を絡ませた表現をする。人の弱さを見せる。主人公の苦しみは読む人にもだぶるところがある。

最後の牧歌的記述が少し長かったようだが、それまでの一気に進んできた後の緊張がゆるんだ一時、ほっとする面もある。



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