Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

怒れる牡牛の物語

2012-11-05 03:03:43 | コラム
第14部「今村昌平の物語」~第5章~

前回までのあらすじ

「今村ほど根性があり、タフな男は居ない」(マーティン・スコセッシ)

「三國連太郎がつまらないことを新聞社に喋ったんだよね。それは、とにかく酷い所だということを唯一激しくいったんですね。メシもろくに喰えないし、ろくなもんじゃないと、ろくな場所じゃないと。これがね、島民をいたく傷つけたんでしょうね。端役の殿山泰司なんかに一喝されてね、“好きなのか嫌いなのか”と迫られて、今年もまた来てしまったという思いがあったのかなあ」(今村昌平、自作『神々の深き欲望』撮影エピソードを語る)

…………………………………………

高校卒業後に映画学校で学ぼうと高校1年時で決めていた筆者は、その年の夏、日本映画学校(現・日本映画大学)と、にっかつ芸術学院(現・日活芸術学院)から学校案内を取り寄せた。

ふたつの冊子を見比べ、どちらにしようかと考える。

尤もどちらで学ぼうが、結局は本人の能力次第―であることは、高1のクソガキでも分かっていた。

(撮影所内に学校があることに魅かれ)後者に決めたものの、『ゆきゆきて、神軍』(87)と『黒い雨』(89)を観たばかりだったというのもあり、イマヘイが設立した前者に対する思いを引きずってもいた。

『ゆきゆきて、神軍』と『黒い雨』は、同じ戦争を扱った映画とは思えないほど肌触りや温度がちがう。
いっぽうは拡声器を使って「がなり立てる」ような男を主人公としたドキュメンタリー、いっぽうは原爆の後遺症に耐えながら「静かに静かに」生きようとする人々を見つめた実録風の創りである。

イマヘイは『ゆきゆきて、神軍』でプロデュースを担当し、『黒い雨』で監督を務めた。
『黒い雨』は名作の誉れ高いが、らしさという点では『ゆきゆきて、神軍』のほうがしっくりくる。

井伏鱒二の記録小説を(比較的忠実に)映像化した『黒い雨』でまず褒めるべきは、おそらく主演の田中好子だろう。
らしさを可能なかぎり抑えたイマヘイのありかたは「この映画に関しては」正しいのだろうが、キャリア全体で捉えると、最も異色の作品だといえるのかもしれない。

…………………………………………

97年―久し振りの監督作『うなぎ』で、二度目のカンヌ・パルムドールに輝く。

カンヌの後押し? により、国内の様々な映画賞をかっさらうことになったが、うなぎに話しかける主人公という特異な設定ではなく、常に主人公を批判する柄本明のキャラクターだけが光っていた。
しかしこの映画でイマヘイは柄本明、そして清水美砂という理想的な俳優と出会い、これによって晩年の「軽さ」を獲得する。
そう、イマヘイは人知れず「重」喜劇を脱し、喜劇の世界―しかも、艶っぽい―に身を置くことを決めたようである。
その証拠に『うなぎ』までの沈黙が嘘であったかのように、精力的に映画制作に打ち込むようになるのだ。

藤原審爾に野坂昭如、佐木隆三や深沢七郎、そして井伏鱒二と吉村昭。
じつはオリジナルよりも「原作あり」を手がけることの多いイマヘイは、次回作として坂口安吾の小説を用意する。

98年、柄本明を主演にして『カンゾー先生』を発表。

(前言を撤回するようだが)柄本は三國連太郎の代役としての登板だった。
しかし、あちこち走り回る医者―というキャラクターを考えれば、この映画の「軽やかさ」は、柄本によるものだと論じることも出来るだろう。(尤も一部の識者からは、「走っているように見えない」と批判されたが)

批評的には好評・・・とまではいえなかった『カンゾー先生』はしかし、意外な観点から男性の「熱い」支持を受けることになった。
それが麻生久美子の発掘と、彼女の「尻」である。

ほんとうの話だ、何度聞いたか分からない、「あの映画の麻生久美子のお尻!」と。

2001年、辺見庸の原作を基にした『赤い橋の下のぬるい水』を発表。
脱ぎっぷりのいい清水美砂を起用し、おおらかなまでのセックス賛美を展開する。

大量の「潮」を吹く女のファンタジックな描写は、おおらかさを超えて滑稽でさえあるが、
しかしこれは、黒澤でいうところの『天国と地獄』(63)における「色つきの煙」のようなもの―だったのではないか。

…………………………………………

2006年5月30日、イマヘイは息を引き取った。

命を削った映画制作をつづけ、しかし79歳まで生きたということは、スコセッシのいうとおり真のタフネスであった。

“「お前はどうなんだ」

優れた映画作家による作品は、常に我々に、そうした問いを投げつける。

しんどいやりとりではあるが、この闘争に喜びを見出した者にとっては、今村昌平の映画は、中毒をもたらす、快楽に満ち満ちたものに映るのだ”

死後すぐに書いた追悼文で筆者はそう結んだが、

イマヘイの長男は天願大介と名乗り、父親と同じ道を歩み始め、やはり我々に「お前はどうなんだ」と問い始めた。

親父に比べたら不安定極まりないが、精神の継承を目の当たりにした映画小僧の多くが、このダイナミックな映画史の流れを喜んだにちがいない。

…………………………………………





第14部「今村昌平の物語」、おわり。

≪参考文献≫
『カンヌからヤミ市へ 撮る』(今村昌平・著、工作舎)
『映画は狂気の旅である―私の履歴書』(今村昌平・著、日本経済新聞社)

…………………………………………

本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

次回12月より、第15部「原一男の物語」をお送りします。

…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『わたくしどもも、初めてのことですので、、、』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする