こんとらくとき「らー」→「らー」す・ふぉん・とりあー(ラース・フォン・トリアー)
(映画を)「男で撮るのが巧い監督と、女で撮るのが巧い監督が居るのね。これは得手不得手だから、しょうがない」といったのはオオシマだったが、
それに倣えばラース・フォン・トリアーは、まちがいなく女で撮るのが「抜群に」巧いひと。
トリアーの「鬼の」演出によって、新人女優エミリー・ワトソンが、歌手ビョークが、ニコール・キッドマンが、そして、とてもじゃないが演技派とはいえなかったキルスティン・ダンストが、
一皮も二皮も剥け「名女優」となった。
彼女たちは口を揃えて「トリアーの映画には二度と出たくない」というが、たとえばそれは、ショーン・ペンが「オリバー・ストーンの映画には二度と出ない」というのとは「ちょっと」ちがう。
いや大きなちがいがあるのだろう、ペンはストーンと思想的・政治的にも対立したようだが、
彼女たちは、撮影現場における「イジメのような演出」に疲れ果て、思わず口にしてしまった、、、みたいなところがある。
穏やかな顔はしているが、そーとーヘンクツ。
存命の映画監督のなかで、トップクラスの変人といっていい。
米国を舞台にした映画を創ろうとするも、飛行機嫌いだから米国に行けない。
行けないが撮りたいから、どう見ても米国とは思えない土地でロケをして「ここは米国」といい張って物語を紡ぐ。
監督は王様だからそれでいいのだが、カンヌの常連であり、しかしやっぱり飛行機に乗れないものだから、母国デンマークから車で向かったりするそうだ。
そいでもって会見に出席した途端、「親ナチ」発言。
あちゃー、みたいな。
こういうひとが神や善悪を描くのだから、映画ってナンデモアリで、とっても素敵だ。
最も有名な作品は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000…文末動画参照)だろうが、
個人的なベストは、96年の『奇跡の海』。(トップ画像)
愛する夫が事故で半身不随となり、性不能に。
夫は妻に「男と寝て、その一部始終を聞かせてくれ」と頼み、彼女は夫のために娼婦のような日常を生きることを決意し・・・という物語。
後半の展開に、滝のような涙を流した自分。
こんなに泣いた映画は、『カノン』(99)と『奇跡の海』しかない。
さて。
トリアーについては女優のほかに、もうひとつ語らねばならないキーワードがある。
「ドグマ95」のこと。
ドグマは映画制作に「敢えて」制限を設けることによって、映画の可能性を探究しようとする「そーとー」エッジな運動である。
というわけで、ドグマによる『十の純潔の誓い』を。
その壱、撮影はすべてロケーション撮影によること。スタジオのセット撮影を禁じる。
その弐、映像と関係のないところで作られた音(効果音など)をのせてはならない。
その参、カメラは必ず手持ちによること。
その四、映画はカラーであること。照明効果は禁止。
その伍、光学合成やフィルターを禁止する。
その六、表面的なアクションは許されない。(殺人などは起きてはならない)
その七、時間的、地理的な乖離は許されない。(いま、ここで起こっていることしか描いてはいけない)
その八、ジャンル映画を禁止する。
その九、最終的なフォーマットは35mmフィルムであること。
その拾、監督の名前はスタッフロールなどにクレジットしてはいけない。
尖ってるなー。
素敵に狂っていて、最高だ。
♪ 見たいものはすべて見たから、もう目が見えなくなっても構わないの ♪
次回のしりとりは、
らーす・ふぉん・とり「あー」→「あー」としあたーぎるど。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『笑顔、百景。』
(映画を)「男で撮るのが巧い監督と、女で撮るのが巧い監督が居るのね。これは得手不得手だから、しょうがない」といったのはオオシマだったが、
それに倣えばラース・フォン・トリアーは、まちがいなく女で撮るのが「抜群に」巧いひと。
トリアーの「鬼の」演出によって、新人女優エミリー・ワトソンが、歌手ビョークが、ニコール・キッドマンが、そして、とてもじゃないが演技派とはいえなかったキルスティン・ダンストが、
一皮も二皮も剥け「名女優」となった。
彼女たちは口を揃えて「トリアーの映画には二度と出たくない」というが、たとえばそれは、ショーン・ペンが「オリバー・ストーンの映画には二度と出ない」というのとは「ちょっと」ちがう。
いや大きなちがいがあるのだろう、ペンはストーンと思想的・政治的にも対立したようだが、
彼女たちは、撮影現場における「イジメのような演出」に疲れ果て、思わず口にしてしまった、、、みたいなところがある。
穏やかな顔はしているが、そーとーヘンクツ。
存命の映画監督のなかで、トップクラスの変人といっていい。
米国を舞台にした映画を創ろうとするも、飛行機嫌いだから米国に行けない。
行けないが撮りたいから、どう見ても米国とは思えない土地でロケをして「ここは米国」といい張って物語を紡ぐ。
監督は王様だからそれでいいのだが、カンヌの常連であり、しかしやっぱり飛行機に乗れないものだから、母国デンマークから車で向かったりするそうだ。
そいでもって会見に出席した途端、「親ナチ」発言。
あちゃー、みたいな。
こういうひとが神や善悪を描くのだから、映画ってナンデモアリで、とっても素敵だ。
最も有名な作品は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000…文末動画参照)だろうが、
個人的なベストは、96年の『奇跡の海』。(トップ画像)
愛する夫が事故で半身不随となり、性不能に。
夫は妻に「男と寝て、その一部始終を聞かせてくれ」と頼み、彼女は夫のために娼婦のような日常を生きることを決意し・・・という物語。
後半の展開に、滝のような涙を流した自分。
こんなに泣いた映画は、『カノン』(99)と『奇跡の海』しかない。
さて。
トリアーについては女優のほかに、もうひとつ語らねばならないキーワードがある。
「ドグマ95」のこと。
ドグマは映画制作に「敢えて」制限を設けることによって、映画の可能性を探究しようとする「そーとー」エッジな運動である。
というわけで、ドグマによる『十の純潔の誓い』を。
その壱、撮影はすべてロケーション撮影によること。スタジオのセット撮影を禁じる。
その弐、映像と関係のないところで作られた音(効果音など)をのせてはならない。
その参、カメラは必ず手持ちによること。
その四、映画はカラーであること。照明効果は禁止。
その伍、光学合成やフィルターを禁止する。
その六、表面的なアクションは許されない。(殺人などは起きてはならない)
その七、時間的、地理的な乖離は許されない。(いま、ここで起こっていることしか描いてはいけない)
その八、ジャンル映画を禁止する。
その九、最終的なフォーマットは35mmフィルムであること。
その拾、監督の名前はスタッフロールなどにクレジットしてはいけない。
尖ってるなー。
素敵に狂っていて、最高だ。
♪ 見たいものはすべて見たから、もう目が見えなくなっても構わないの ♪
次回のしりとりは、
らーす・ふぉん・とり「あー」→「あー」としあたーぎるど。
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明日のコラムは・・・
『笑顔、百景。』