先日―米オスカー賞に出席したセレブたちのファッションを斬っていくという、海外の特別番組をCSチャンネルで観た。
意地悪なオバサンたちがナンヤカンヤいう、恒例のあれね。
日本で強引にたとえると、古くはドン小西、ピーコとか。最近だと、いや最近でもないかもしれないが、RIKACOとか益若つばさとか、ああいうひとが今年の流行をふまえて批評していくっていう。
トップ画像のビョークやレディー・ガガのような、極端に奇抜なファッションの場合は評価が難しいけれど、自分からすれば、セレブみんながオシャレに見えるけれどね。
でも、そうではないんだな。
映画小僧が演出の細部にナンヤカンヤいうことと同じである、極めているひとの目で見れば、有名デザイナーが手がけた服でも、着こなせていないひとは「ダッセー!!」と馬鹿にされちゃうのである。
オシャレとダサい。
これ、ほんとうに難しい。
「オシャレって、簡単」と、オシャレなひとはいうけれど。
Tシャツとハーフパンツくらいにしかこだわりがない自分にとっては、そーとー高い壁なのである。
現在の自分の「よそ行き」の格好がオシャレなのかダサいのか、自身では判断がつかない。
というか、そういう評価は他者がするものであるからして、自分で「オシャレっしょ?」といっちゃうのは、いかにもダサいしイタい。
で、一緒に歩く女子にそれとなく聞いてみるんだ。
「自分の格好、どうよ?」
「どうよ?」
「一緒に居て恥ずかしいとかさ、そういうのはない?」
「それは、ぜんぜん。なんか、かわいいよ」
「かわいい?」
「うん、かわいい」
坊主に髭、Tシャツにハーフパンツ、すね毛マン、いっつもスニーカー・・・これが、かわいいというのである。
うーん、分からんぜ。
とりあえず、恥ずかしいといわれなくてよかった。
そういえば数週間前の『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日)の投稿で、
「容姿や格好だけでアイドル好きとかいってくる知人に腹が立つ」というのがあった。
有吉「あれでしょ、ちょっと古いイメージだけど。アニメのキャラクターのTシャツを着て、それをズボンに入れちゃって、リュック背負ってっていう」
マツコ「ステレオタイプみたいなね。あたし、いつも疑問に思っていたのだけど、なんでああいうひとって、ああいう格好になっちゃうの?」
派手な格好をしている女子を「助平」というのと同じ感じもするが、あぁ分かる分かる。
という自分ではあるが、
ズボンに入れることをしないものの、同じようなTシャツを着ているし、
そもそもパンツやボトムスではなくズボンといっている時点でアレなのだろうし、
体型と短髪でなんとかセーフ、、、だったりして。
着たいものを好きなように着ればいい―というのが基本なのは当然。
セレブがアレヤコレヤいわれるのはセレブゆえであって、自分らとは関係ない。
ないが、常にひとりで行動するものでないかぎり、「一緒に居て恥ずかしくないもの」あるいは「一緒に居て誇らしい? もの」というのが重要になってくるみたいで。
たまにスーツを着れば「そっち系のひとに見える。関東連合に居てもおかしくない」とヤクザ扱いされ笑、
いつもの格好で街を歩けば「かわいい」なんていわれる、
とりあえず「ダサい」という烙印は押されなかったわけだが、
こういうセンスで何歳くらいまで突っ走れるのか―という問題は残っているんだよね。
※自分の格好、自分ではけっして「かわいい」とは思えないのだけれどね。
「かわいい」格好といえば、やっぱり彼女だ。
しかし脚、細過ぎるな。
もうちょい肉がつけば、個人的には抜群なのだが。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(69)』
意地悪なオバサンたちがナンヤカンヤいう、恒例のあれね。
日本で強引にたとえると、古くはドン小西、ピーコとか。最近だと、いや最近でもないかもしれないが、RIKACOとか益若つばさとか、ああいうひとが今年の流行をふまえて批評していくっていう。
トップ画像のビョークやレディー・ガガのような、極端に奇抜なファッションの場合は評価が難しいけれど、自分からすれば、セレブみんながオシャレに見えるけれどね。
でも、そうではないんだな。
映画小僧が演出の細部にナンヤカンヤいうことと同じである、極めているひとの目で見れば、有名デザイナーが手がけた服でも、着こなせていないひとは「ダッセー!!」と馬鹿にされちゃうのである。
オシャレとダサい。
これ、ほんとうに難しい。
「オシャレって、簡単」と、オシャレなひとはいうけれど。
Tシャツとハーフパンツくらいにしかこだわりがない自分にとっては、そーとー高い壁なのである。
現在の自分の「よそ行き」の格好がオシャレなのかダサいのか、自身では判断がつかない。
というか、そういう評価は他者がするものであるからして、自分で「オシャレっしょ?」といっちゃうのは、いかにもダサいしイタい。
で、一緒に歩く女子にそれとなく聞いてみるんだ。
「自分の格好、どうよ?」
「どうよ?」
「一緒に居て恥ずかしいとかさ、そういうのはない?」
「それは、ぜんぜん。なんか、かわいいよ」
「かわいい?」
「うん、かわいい」
坊主に髭、Tシャツにハーフパンツ、すね毛マン、いっつもスニーカー・・・これが、かわいいというのである。
うーん、分からんぜ。
とりあえず、恥ずかしいといわれなくてよかった。
そういえば数週間前の『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日)の投稿で、
「容姿や格好だけでアイドル好きとかいってくる知人に腹が立つ」というのがあった。
有吉「あれでしょ、ちょっと古いイメージだけど。アニメのキャラクターのTシャツを着て、それをズボンに入れちゃって、リュック背負ってっていう」
マツコ「ステレオタイプみたいなね。あたし、いつも疑問に思っていたのだけど、なんでああいうひとって、ああいう格好になっちゃうの?」
派手な格好をしている女子を「助平」というのと同じ感じもするが、あぁ分かる分かる。
という自分ではあるが、
ズボンに入れることをしないものの、同じようなTシャツを着ているし、
そもそもパンツやボトムスではなくズボンといっている時点でアレなのだろうし、
体型と短髪でなんとかセーフ、、、だったりして。
着たいものを好きなように着ればいい―というのが基本なのは当然。
セレブがアレヤコレヤいわれるのはセレブゆえであって、自分らとは関係ない。
ないが、常にひとりで行動するものでないかぎり、「一緒に居て恥ずかしくないもの」あるいは「一緒に居て誇らしい? もの」というのが重要になってくるみたいで。
たまにスーツを着れば「そっち系のひとに見える。関東連合に居てもおかしくない」とヤクザ扱いされ笑、
いつもの格好で街を歩けば「かわいい」なんていわれる、
とりあえず「ダサい」という烙印は押されなかったわけだが、
こういうセンスで何歳くらいまで突っ走れるのか―という問題は残っているんだよね。
※自分の格好、自分ではけっして「かわいい」とは思えないのだけれどね。
「かわいい」格好といえば、やっぱり彼女だ。
しかし脚、細過ぎるな。
もうちょい肉がつけば、個人的には抜群なのだが。
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