ずごっ「く」→「く」いずしょう(クイズ・ショウ)
震災後を見つめたドキュメンタリー映画に「過剰な演出」があったとされる、『ガレキとラジオ』問題。
いわゆる「佐村河内」問題。
佐村河内ちゃんやiPS細胞「森口さん」と比較すると、メディアのほうも「どう叩いていいのか迷っている」ように見える「STAP細胞」問題。
やらせ、八百長、ドキュメンタリーにおける演出とか、虚偽・・・いろんな表現があるが、簡単にいってしまえば「嘘」。
嘘が発覚したあとの袋叩きを見て気持ちよくなるほど、性格は捻じ曲がってない。
いや捻じ曲がってはいるけれど、ここに反応するような曲がりかたではない、、、と。
どうせ騙されるのであれば。
コーエン兄弟の映画でいう、スマートな嘘であるとか。
たったひとりの証人を抹殺するために、遠回りにもほどがある! とツッコミを入れたくなる伏線を用意した『ユージュアル・サスペクツ』(95)であるとか。
「これは実際に起こった出来事をモチーフにしている」というテロップが、最後の最後に反転する『バタリアン』(85)の演出も巧妙だった。
そう、
騙された! ではなく、そうだったのか!! と、驚きたい。
しかし現実の世界では、壮大な嘘は成立し難くて・・・。
クリント・イーストウッド、現在83歳。
ロバート・レッドフォード、現在77歳。
ともに、ハリウッドで活動をつづける「おじいちゃん」俳優。
それ以外の共通点として、コンスタントに監督作を発表している、、、というのがある。
イーストウッドの監督作は多岐にわたるというか、新作の度に作風がガラリと変わって作家性というものを(批評家が)見出すのは難儀、
ただレッドフォードに関しては、「イーストウッドに比べれば」その作家性は見出し易い。
米国の良識といえばいいのか、良心といってもいいのかもしれない、いや知性か、一貫して米国の文化論「のようなもの」を見つめる。
個人的には地味な『ミラグロ』(88)がベストだが、
もはやクラシックと化した『普通の人々』(80)、ブラッド・ピットが若き日のレッドフォードにも見える『リバー・ランズ・スルー・イット』(92)あたりが人気だ。
そんなレッドフォードが、人気クイズ番組『21』で実際に起こった「やらせ事件」を描いた映画が『クイズ・ショウ』(94)である。
50年代後半―。
高額賞金を獲得出来るクイズ番組『21』は、米国庶民のあいだでは「夢の象徴」とされていた。
連勝をつづける王者ハービー(ジョン・タトゥーロ)はユダヤ人で、はっきりいって華がない。
庶民の人気者のはずだが、実際、視聴率は横ばいだった。
スポンサーの製薬会社ドン(演じるは、わが神スコセッシ!!)はハービーを嫌っていて、プロデューサーに「あいつを降ろせ」と電話を入れる。
そこに現れたのが、容姿も家柄も抜群に優れた大学講師チャールズ(レイフ・ファインズ)だった・・・。
やらせの問題は日本でも「周期的に」起こる―ということもあり、この映画は公開時「そこそこ」話題にはなった。
ただ知性派のレッドフォード演出に物足りなさを覚え、「たいしたことなかった」という感想が聞かれたのも事実。
みんな、スキャンダラスな展開を期待したのだろうね。
でもレッドフォードは、そんなことに関心はなかった。
50年代の空気を描くことと、家柄もいい青年が「まわりの雰囲気に、なんとなく」呑まれていく過程を描きたかったんだよね。
さて。
映画小僧としては、実際のやらせの現場「知っているのに、知らない振りをしなければならなくなった」ハービーに向けられたクイズ問題に興味を持ってほしい。
「55年に米オスカー作品賞に輝いた映画は?」
番組視聴者は、口々に「『マーティ』だ」と答える。
そう、米国庶民なら誰でも答えられる優しい問題だったのだ。
だからこそハービーは、「その問いだけはやめてくれ」と拒否をした。
「ど忘れした」というイイワケだって通用する、、、とは思う。
でも、ね。
映画『マーティ』は、容姿のさえない男の恋愛を描いた、ある意味でハービー自身と重なる「リアル」アメリカン・ドリームの物語。
チャールズは知らなくても、ハービーは知っていなければならない。答えなくちゃならない。
ハービーの哀切が伝わってきて、プロデューサーさんよ残酷過ぎやしねぇかい? と思ったものである。
次回のしりとりは・・・
くいずしょ「う」→「う」ぉーるがい。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『テクニシャンより、技巧派のほうが「ことばとして」格好いい』
震災後を見つめたドキュメンタリー映画に「過剰な演出」があったとされる、『ガレキとラジオ』問題。
いわゆる「佐村河内」問題。
佐村河内ちゃんやiPS細胞「森口さん」と比較すると、メディアのほうも「どう叩いていいのか迷っている」ように見える「STAP細胞」問題。
やらせ、八百長、ドキュメンタリーにおける演出とか、虚偽・・・いろんな表現があるが、簡単にいってしまえば「嘘」。
嘘が発覚したあとの袋叩きを見て気持ちよくなるほど、性格は捻じ曲がってない。
いや捻じ曲がってはいるけれど、ここに反応するような曲がりかたではない、、、と。
どうせ騙されるのであれば。
コーエン兄弟の映画でいう、スマートな嘘であるとか。
たったひとりの証人を抹殺するために、遠回りにもほどがある! とツッコミを入れたくなる伏線を用意した『ユージュアル・サスペクツ』(95)であるとか。
「これは実際に起こった出来事をモチーフにしている」というテロップが、最後の最後に反転する『バタリアン』(85)の演出も巧妙だった。
そう、
騙された! ではなく、そうだったのか!! と、驚きたい。
しかし現実の世界では、壮大な嘘は成立し難くて・・・。
クリント・イーストウッド、現在83歳。
ロバート・レッドフォード、現在77歳。
ともに、ハリウッドで活動をつづける「おじいちゃん」俳優。
それ以外の共通点として、コンスタントに監督作を発表している、、、というのがある。
イーストウッドの監督作は多岐にわたるというか、新作の度に作風がガラリと変わって作家性というものを(批評家が)見出すのは難儀、
ただレッドフォードに関しては、「イーストウッドに比べれば」その作家性は見出し易い。
米国の良識といえばいいのか、良心といってもいいのかもしれない、いや知性か、一貫して米国の文化論「のようなもの」を見つめる。
個人的には地味な『ミラグロ』(88)がベストだが、
もはやクラシックと化した『普通の人々』(80)、ブラッド・ピットが若き日のレッドフォードにも見える『リバー・ランズ・スルー・イット』(92)あたりが人気だ。
そんなレッドフォードが、人気クイズ番組『21』で実際に起こった「やらせ事件」を描いた映画が『クイズ・ショウ』(94)である。
50年代後半―。
高額賞金を獲得出来るクイズ番組『21』は、米国庶民のあいだでは「夢の象徴」とされていた。
連勝をつづける王者ハービー(ジョン・タトゥーロ)はユダヤ人で、はっきりいって華がない。
庶民の人気者のはずだが、実際、視聴率は横ばいだった。
スポンサーの製薬会社ドン(演じるは、わが神スコセッシ!!)はハービーを嫌っていて、プロデューサーに「あいつを降ろせ」と電話を入れる。
そこに現れたのが、容姿も家柄も抜群に優れた大学講師チャールズ(レイフ・ファインズ)だった・・・。
やらせの問題は日本でも「周期的に」起こる―ということもあり、この映画は公開時「そこそこ」話題にはなった。
ただ知性派のレッドフォード演出に物足りなさを覚え、「たいしたことなかった」という感想が聞かれたのも事実。
みんな、スキャンダラスな展開を期待したのだろうね。
でもレッドフォードは、そんなことに関心はなかった。
50年代の空気を描くことと、家柄もいい青年が「まわりの雰囲気に、なんとなく」呑まれていく過程を描きたかったんだよね。
さて。
映画小僧としては、実際のやらせの現場「知っているのに、知らない振りをしなければならなくなった」ハービーに向けられたクイズ問題に興味を持ってほしい。
「55年に米オスカー作品賞に輝いた映画は?」
番組視聴者は、口々に「『マーティ』だ」と答える。
そう、米国庶民なら誰でも答えられる優しい問題だったのだ。
だからこそハービーは、「その問いだけはやめてくれ」と拒否をした。
「ど忘れした」というイイワケだって通用する、、、とは思う。
でも、ね。
映画『マーティ』は、容姿のさえない男の恋愛を描いた、ある意味でハービー自身と重なる「リアル」アメリカン・ドリームの物語。
チャールズは知らなくても、ハービーは知っていなければならない。答えなくちゃならない。
ハービーの哀切が伝わってきて、プロデューサーさんよ残酷過ぎやしねぇかい? と思ったものである。
次回のしりとりは・・・
くいずしょ「う」→「う」ぉーるがい。
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