Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

生きろとはいわん。ばってん、死なんでくれ。

2014-03-23 05:42:47 | コラム
「映画は、人生の教科書だった」

・・・・・。

う~~ん、ちょっと美し過ぎて、自分には似つかわしくないというか、照れちゃうかな。

実際に映画に救われたからこそ映画小僧を自称しているわけだが、性根が腐っているからね、「教科書だった」とか、そういう美しい感じで映画を論じたくないところがある。

あるひとは「最高のひまつぶし」といった。

うん、このくらいのほうが共感が持てる―と、はっきりいえるようになったのは、じつは最近のことである。

映画と自分の関係性を客観視出来るようになったというか、
映画はあくまでもツクリモノ、
そのうえで、映画というものを一種のカンフル剤と捉えるくらいのほうが健全なのだろう。

・・・と、不健全なオメーがいうんじゃねぇ!!

という話もあるが、まぁそれはいいじゃないか。


で。
このくらい映画小僧を自称していると、「いい映画、教えてください」といわれることがひじょうに多い。

先日も左手首に自傷の痕が残る青年に「前向きになる映画を」と乞われ、ちょっとうろたえた。

会ったばかりだったしね、リストカットの刻印も気になったし。
ほんとうは、相手のことをよく知ったうえで答えるべき問いなんだ。

「ひとごろし」こと、トラビスの物語で前向きになっちゃう自分のようなヤツも居るわけで。

だから「もうちょっと、君のことを知ってから」と返したら、

「それは、ちょっと…」

と、いいやがった。

なんかメンドクセーな。

まぁ話せないこともあるのだろう、でも、こころを閉ざしているのに「なにかを要求してくる」ってひどくワガママじゃあないか。

女子なら、それでも許せたかもしれないが。

まぁいい。
たぶん、もう会うことはなさそうだし。

でも「その時間」は、あと60分くらいつづきそうだったんだよね。

無言は堪え難い、
だから「あくまでも、自分の場合ね。前向きになれなくても責任取れないよ」と前置きをして、次の10本を紹介したのだった。

紹介するからには「こころに響いてほしい」と願うが、さて、どうだろうね。


(1)『EUREKA ユリイカ』(2000)

発表時点で、いや現在でも、現代映画の到達点のような気がする。

褒め過ぎ?

いや、そんなことはないだろう。

(2)『トト・ザ・ヒーロー』(91)

ファンタジーの視点から人間賛歌を描く。

素敵。

(3)『モダン・タイムス』(36)

前を向いて歩こうじゃないか。

ラストシーン。
気づき難いが、ショットが切り替わると太陽の向きに変化が見られる。
これは演出ミスではなく、「ふたりの明るい未来は遠い」ことを表現していると捉えるべきだろう。

それでもひとりじゃないし、、、ということなんだ。

(4)『タクシードライバー』(76)

観るたびにエネルギーをもらえる。

トラビスは、永遠にヒーローなんだ。

(5)『タイタニック』(97)

敢えて、ベッタベタを。

彼女が笛を吹くところ。

生きようとするところ。

(6)『ショーシャンクの空に』(94)

90年代以降、これほどお客さんに愛された映画もない。

(7)『川の底からこんにちは』(2010)

歌を聴くだけで、♪ 小さいことは気にするな ♪ と思えるから。




(8)『カノン』(98)

トラビスの物語よりも落ち込む。

でも最後の最後で反転し、生ゴミだろうが産業廃棄物だろうがゴキブリだろうがミジンコだろうがザーメン映画小僧だろうが、生きる資格があるんだと痛感させられる。

(9)『エリン・ブロコビッチ』(2000)

元気が出る映画の定番。

男子と比べれば女子は上に挙げたようなゴキブリとかミジンコとか揶揄されることはないと思うが、ビッチといわれるひとは、それはそれで生き難いことだろう。

だからこそ、「フェラチオで署名をもらった」といってのけるクライマックスは痛快。

(10)『マグノリア』(99)

映画は教科書とは思わないが、ある意味で、聖書にはなるのかもしれない―そう感じた作品。

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コメント (1)
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