第18部「デニス・ホッパーの物語」~第1章~
「俺のキャリアの到達点? 『ブルー・ベルベッド』だね。一部ではあるが、監督としても評価されたよ。でも俺の稼ぎは役者としてのものだったし、演じることは好きだ。だから俺は役者だ」(デニス・ホッパー)
「アメリカ人は個人の自由についてはいくらでも語るけど、実際に自由な個人を見るのは嫌なんだよ」(『イージー・ライダー』より、ジャック・ニコルソンの台詞)
…………………………………………
問題児扱いされ干されていた男が改心? し、俳優にオスカーを与える「オスカー製造工場長」として再び脚光を浴びる―さて、誰のことでしょう?
21世紀の映画ファンであれば、この問いに即答でデヴィッド・O・ラッセルと答えるだろう。
『スリー・キングス』(99)撮影中、「ハリウッドの兄貴」として多くの信者を持つジョージ・クルーニーと「大喧嘩」を繰り広げ、そして、彼のまわりには「誰も居なくなった」。
ラッセル自身も精神的なダメージを負い、何年ものあいだ実力を発揮出来なくなる。
だが2010年、『ザ・ファイター』で奇跡の復活を果たし、以降、作品の評価以上に、出演した俳優たちが続々とオスカーに輝いたことで話題となり「オスカー製造工場長」と呼ばれるようになる。
ドラマだ。
ドラマだなぁ!!
なにかをきっかけにして、ハリウッドから事実上の追放状態となる/なっていた映画関係者たち。
21世紀の「新参者」では「いまのところ」ラッセルひとりだが、映画史全体で捉えれば「まだまだ」存在する。
赤狩りの密告者として数十年苦しんだであろうエリア・カザン。
(オスカー名誉賞授与のシーンを思い出してほしい。拍手しなかったエド・ハリスやニック・ノルティを見ると、カザンは死ぬまで許されなかったのだ!!)
帰還を「待ち続ける」ものは多いが、法的な問題で米国の地を踏めないロマン・ポランスキー。
歴史的な「大」赤字映画を撮り、スタジオを潰してしまったマイケル・チミノ。
そしてドラッグにまみれ、現場にまでドラッグを持ち込んだデニス・ホッパーもまた、長いあいだハリウッドから「出入り禁止」処分を受けていた問題児であった。
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あひるちゃーーーん!!
湯に浸かり、あひるの玩具にそう叫んで見せる日本のCMを観たとき、ホッパーをよく知らないものにとっては「面白いおっさん」でしかなかったが、
映画ファンにとっては、なんというか、素直に笑えるはずのこんなCMでさえも感慨深かったことだろう。
おかえりなさい―誰かは忘れたが、このCMについて識者がそんなことを書いていたと記憶する。
元々はアイドル的な俳優だった。
『理由なき反抗』(55)、『ジャイアンツ』(56)で共演したジェームズ・ディーンを慕い、彼のようになりたいと強く思うようになる。
ジミーのように美しく整った容姿ではなかったが、このころの演技は可愛らしく、数年後にジャンキーになるなど想像すら出来ないのだった。
55年9月30日―。
ジミー、交通事故に遭い死去。
ショックを受けたホッパーは「完全に壊れて」しまい、平穏な人生を取り戻すのは90年代に入って以降のことだった。
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監督作については次回以降に解説することとして、この章では俳優デニス・ホッパーのキャリアをざっと振り返っておこう。
「干されている」あいだも、彼を救おうとする良心的な映画作家は存在した。
そのひとりがフランシス・フォード・コッポラで、『地獄の黙示録』(79)にジャーナリスト役として起用する。
だが現場に現れたホッパーはジャンキーそのもので台詞は覚えられず、またひじょうに「臭った」ことから主演のマーロン・ブランドが激怒したといわれている。
(それでもコッポラは、『ランブルフィッシュ』(83)にもホッパーを出演させている。いいヤツなんだろう、きっと)
復活のきっかけとされているのが、デヴィッド・リンチによる『ブルーベルベット』(86)。
ホッパー自身がキャリアの頂点と告白しているように、悪夢的な映像と悪夢的な物語というリンチの圧倒的な世界観のなかで、全キャスト中「唯一、リンチに負けていない」のがホッパーの怪演だった。
喚き、泣き、ファックと叫んで女を殴る―やっていることはそれだけなのだが、これに太刀打ち出来るのは『シャイニング』(80)のジャック・ニコルソンくらいだろう。
93年、QTタランティーノが脚本を担当した『トゥルー・ロマンス』でクリスチャン・スレーターの父親を演じる。
見事なシニザマを見せてくれて、これが個人的なホッパーのベスト演技だ。
同年、日本のゲームを映画化した『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』で「クッパ」を演じる。
「あひるちゃーーーん!!」と叫ぶCMもこのころに生まれており、完全復活を「強烈な形で」印象づけた。
94年、『スピード』で爆弾魔を楽しそうに演じる。
曰く「爆弾は、爆発させるために存在する」。
確かに、そのとおりではある。
単に金がほしいだけの「中身のない」犯人役だったが、本人が楽しそうに演じているので、ファンもナンヤカンヤはいわず快演を「無理なく」受け入れることが出来た。
ラズベリー映画賞(最低映画賞)に輝く『ウォーターワールド』(95)の演技だって悪くなかった。
『バスキア』(96)でも、楽しそうに「あのころ」を演じていた。
だが2000年代に入ると作品に恵まれず、本領発揮出来る場は少なくなった。
そして2010年5月29日、前立腺癌により74歳で激動の生涯に幕を閉じる。
俳優、監督としてだけでなくプロデューサーや写真家としても活躍、5度の結婚(トップ画像の女の子も、ホッパーの子どもだ)を繰り返した元ジャンキー。
ムチャクチャで、だけれども憎めない彼の「監督人生」に焦点を当てていこう。
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※ホッパーの葬儀に参列するひとびと
つづく。
次回は、4月上旬を予定。
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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『アイドルはやめられない』
「俺のキャリアの到達点? 『ブルー・ベルベッド』だね。一部ではあるが、監督としても評価されたよ。でも俺の稼ぎは役者としてのものだったし、演じることは好きだ。だから俺は役者だ」(デニス・ホッパー)
「アメリカ人は個人の自由についてはいくらでも語るけど、実際に自由な個人を見るのは嫌なんだよ」(『イージー・ライダー』より、ジャック・ニコルソンの台詞)
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問題児扱いされ干されていた男が改心? し、俳優にオスカーを与える「オスカー製造工場長」として再び脚光を浴びる―さて、誰のことでしょう?
21世紀の映画ファンであれば、この問いに即答でデヴィッド・O・ラッセルと答えるだろう。
『スリー・キングス』(99)撮影中、「ハリウッドの兄貴」として多くの信者を持つジョージ・クルーニーと「大喧嘩」を繰り広げ、そして、彼のまわりには「誰も居なくなった」。
ラッセル自身も精神的なダメージを負い、何年ものあいだ実力を発揮出来なくなる。
だが2010年、『ザ・ファイター』で奇跡の復活を果たし、以降、作品の評価以上に、出演した俳優たちが続々とオスカーに輝いたことで話題となり「オスカー製造工場長」と呼ばれるようになる。
ドラマだ。
ドラマだなぁ!!
なにかをきっかけにして、ハリウッドから事実上の追放状態となる/なっていた映画関係者たち。
21世紀の「新参者」では「いまのところ」ラッセルひとりだが、映画史全体で捉えれば「まだまだ」存在する。
赤狩りの密告者として数十年苦しんだであろうエリア・カザン。
(オスカー名誉賞授与のシーンを思い出してほしい。拍手しなかったエド・ハリスやニック・ノルティを見ると、カザンは死ぬまで許されなかったのだ!!)
帰還を「待ち続ける」ものは多いが、法的な問題で米国の地を踏めないロマン・ポランスキー。
歴史的な「大」赤字映画を撮り、スタジオを潰してしまったマイケル・チミノ。
そしてドラッグにまみれ、現場にまでドラッグを持ち込んだデニス・ホッパーもまた、長いあいだハリウッドから「出入り禁止」処分を受けていた問題児であった。
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あひるちゃーーーん!!
湯に浸かり、あひるの玩具にそう叫んで見せる日本のCMを観たとき、ホッパーをよく知らないものにとっては「面白いおっさん」でしかなかったが、
映画ファンにとっては、なんというか、素直に笑えるはずのこんなCMでさえも感慨深かったことだろう。
おかえりなさい―誰かは忘れたが、このCMについて識者がそんなことを書いていたと記憶する。
元々はアイドル的な俳優だった。
『理由なき反抗』(55)、『ジャイアンツ』(56)で共演したジェームズ・ディーンを慕い、彼のようになりたいと強く思うようになる。
ジミーのように美しく整った容姿ではなかったが、このころの演技は可愛らしく、数年後にジャンキーになるなど想像すら出来ないのだった。
55年9月30日―。
ジミー、交通事故に遭い死去。
ショックを受けたホッパーは「完全に壊れて」しまい、平穏な人生を取り戻すのは90年代に入って以降のことだった。
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監督作については次回以降に解説することとして、この章では俳優デニス・ホッパーのキャリアをざっと振り返っておこう。
「干されている」あいだも、彼を救おうとする良心的な映画作家は存在した。
そのひとりがフランシス・フォード・コッポラで、『地獄の黙示録』(79)にジャーナリスト役として起用する。
だが現場に現れたホッパーはジャンキーそのもので台詞は覚えられず、またひじょうに「臭った」ことから主演のマーロン・ブランドが激怒したといわれている。
(それでもコッポラは、『ランブルフィッシュ』(83)にもホッパーを出演させている。いいヤツなんだろう、きっと)
復活のきっかけとされているのが、デヴィッド・リンチによる『ブルーベルベット』(86)。
ホッパー自身がキャリアの頂点と告白しているように、悪夢的な映像と悪夢的な物語というリンチの圧倒的な世界観のなかで、全キャスト中「唯一、リンチに負けていない」のがホッパーの怪演だった。
喚き、泣き、ファックと叫んで女を殴る―やっていることはそれだけなのだが、これに太刀打ち出来るのは『シャイニング』(80)のジャック・ニコルソンくらいだろう。
93年、QTタランティーノが脚本を担当した『トゥルー・ロマンス』でクリスチャン・スレーターの父親を演じる。
見事なシニザマを見せてくれて、これが個人的なホッパーのベスト演技だ。
同年、日本のゲームを映画化した『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』で「クッパ」を演じる。
「あひるちゃーーーん!!」と叫ぶCMもこのころに生まれており、完全復活を「強烈な形で」印象づけた。
94年、『スピード』で爆弾魔を楽しそうに演じる。
曰く「爆弾は、爆発させるために存在する」。
確かに、そのとおりではある。
単に金がほしいだけの「中身のない」犯人役だったが、本人が楽しそうに演じているので、ファンもナンヤカンヤはいわず快演を「無理なく」受け入れることが出来た。
ラズベリー映画賞(最低映画賞)に輝く『ウォーターワールド』(95)の演技だって悪くなかった。
『バスキア』(96)でも、楽しそうに「あのころ」を演じていた。
だが2000年代に入ると作品に恵まれず、本領発揮出来る場は少なくなった。
そして2010年5月29日、前立腺癌により74歳で激動の生涯に幕を閉じる。
俳優、監督としてだけでなくプロデューサーや写真家としても活躍、5度の結婚(トップ画像の女の子も、ホッパーの子どもだ)を繰り返した元ジャンキー。
ムチャクチャで、だけれども憎めない彼の「監督人生」に焦点を当てていこう。
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※ホッパーの葬儀に参列するひとびと
つづく。
次回は、4月上旬を予定。
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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『アイドルはやめられない』