きのう取り上げなかった「ヒッチハイクが描かれる映画」を、ふたつほど。
『フィールド・オブ・ドリームス』(89)…トップ画像
主人公レイ・キンセラ(ケビン・コスナー)が自宅のあるアイオワに帰る道中で、ひとりの青年を同乗させる。
彼の名はアーチー・グラハム(フランク・ホエーリー)、のちに町の名医となるムーンライト・グラハム(バート・ランカスター)の若き姿である。
自家製球場のスタンドから愛娘が落ちたとき、「境界線」を越えて本物の姿を見せる、あのおじいちゃんね。
※このシーン
日本映画からも、一本。
山田洋次はロードムービーやヒッチハイクが好きなのかもしれないね、『幸福の黄色いハンカチ』(77)や『家族』(70)、そして、これも撮っているし。
『十五才 学校4』(2000)
不登校の少年が、横浜から鹿児島までをヒッチハイクして旅する物語。
「善意のかたまり」のような第1作目には「ついていけない…」とウンザリしたものだが、これは、そこそこ感動した記憶がある。
どちらにせよ、「よいヒッチハイク」を描いた映画である。
自分の経験も、そうだった。
24歳のころ、いまから15年以上も前の話である。
アルバイトを辞めた直後に「かーちゃんの訃報」が飛び込んできて、四十九日を迎えるまでは実家で過ごした。
かーちゃんという大事な存在が抜けているものの、久し振りの家族団らん。
悲しさ・寂しさを紛らわすことが出来たものの、そのぶん、東京に帰還してからがつらい。
アパートから出ないと、この世でひとりぼっちのような気がしてくる。
そこで、歩くことにした。
目的地はなし、ただ『天国と地獄』(63)を観た直後ということもあり、「江ノ島あたり」を目指そうとして歩き始める。
で、実際に江ノ島まで辿り着いた。
ゆっくり歩いたから約15時間くらいを要したのではないか。
いまのようなネット時代であれば、いちいち投稿したり写真をアップしたりしていたことだろう。
コメントがあることで、ひとりじゃないと実感出来たかもしれない。
けれども、そういう反応がなくても、家にひとりで居るよりはマシだったんだよね。
歩行者が居る。
自動車が通っている。
真夜中でも営業している店がある。
なんかそれだけで、救われたりして。
ただ、そんな感情も「行き、のみ」の話である。
よくある展開だが、「帰りは、ひたすら面倒くさい」だけなんだよね。
電車に乗るという手もあるが、いまは真夜中。
ホテルに泊まることも考えたが、まだ「部屋でひとり」状態にはなりたくなかった。
そこで、とぼとぼと歩いた。
ほんとうに、とぼとぼしていたんだと思う。
「とぼとぼ歩いているから」と、トラック運転手のおにいちゃんが声をかけてくれた。
「町田? いいよ、横浜インターまでの配送だから、乗っけてってやるよ」
ヒッチハイクとは、ちょっとちがう形ではあるけれどね。
運ちゃんとの会話で、その日が日曜の深夜帯であることは記憶している。
「―日曜のラジオってさ、休止が多くて。こっちも退屈だったからちょうどいいや」
おにいちゃんはそういって、缶コーヒーと、コンビニおにぎりまで奢ってくれた。
映画小僧であること。
かーちゃんが死んだこと。
そういうことを話していたら、あっという間に横浜インターに到着した。
「もうすぐだね」
「ほんとう、ありがとうございます。関係ないですけど・・・どんな映画が好きですか」
「最近はぜんぜん観てないけどね。そうだなぁ、分かり易いかも、、、だけど、『トラック野郎』は傑作だね!」
「(笑う)あぁ、やっぱり」
「分かり易いだろ?」
「えぇ」
「職種はちがいますけど、自分、『タクシードライバー』が大好きなんです」
「あぁ! あの、ひとごろしの」
「(笑う)まぁ、ひとごろしの映画ですよね」
「難しいことは分からんけど、頑張れよ」
「はい!」
いい思い出である。
あのときのおにいちゃんも、いまではじいさんのはずだ。
元気、してますか?
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『生きろとはいわん。ばってん、死なんでくれ。』
『フィールド・オブ・ドリームス』(89)…トップ画像
主人公レイ・キンセラ(ケビン・コスナー)が自宅のあるアイオワに帰る道中で、ひとりの青年を同乗させる。
彼の名はアーチー・グラハム(フランク・ホエーリー)、のちに町の名医となるムーンライト・グラハム(バート・ランカスター)の若き姿である。
自家製球場のスタンドから愛娘が落ちたとき、「境界線」を越えて本物の姿を見せる、あのおじいちゃんね。
※このシーン
日本映画からも、一本。
山田洋次はロードムービーやヒッチハイクが好きなのかもしれないね、『幸福の黄色いハンカチ』(77)や『家族』(70)、そして、これも撮っているし。
『十五才 学校4』(2000)
不登校の少年が、横浜から鹿児島までをヒッチハイクして旅する物語。
「善意のかたまり」のような第1作目には「ついていけない…」とウンザリしたものだが、これは、そこそこ感動した記憶がある。
どちらにせよ、「よいヒッチハイク」を描いた映画である。
自分の経験も、そうだった。
24歳のころ、いまから15年以上も前の話である。
アルバイトを辞めた直後に「かーちゃんの訃報」が飛び込んできて、四十九日を迎えるまでは実家で過ごした。
かーちゃんという大事な存在が抜けているものの、久し振りの家族団らん。
悲しさ・寂しさを紛らわすことが出来たものの、そのぶん、東京に帰還してからがつらい。
アパートから出ないと、この世でひとりぼっちのような気がしてくる。
そこで、歩くことにした。
目的地はなし、ただ『天国と地獄』(63)を観た直後ということもあり、「江ノ島あたり」を目指そうとして歩き始める。
で、実際に江ノ島まで辿り着いた。
ゆっくり歩いたから約15時間くらいを要したのではないか。
いまのようなネット時代であれば、いちいち投稿したり写真をアップしたりしていたことだろう。
コメントがあることで、ひとりじゃないと実感出来たかもしれない。
けれども、そういう反応がなくても、家にひとりで居るよりはマシだったんだよね。
歩行者が居る。
自動車が通っている。
真夜中でも営業している店がある。
なんかそれだけで、救われたりして。
ただ、そんな感情も「行き、のみ」の話である。
よくある展開だが、「帰りは、ひたすら面倒くさい」だけなんだよね。
電車に乗るという手もあるが、いまは真夜中。
ホテルに泊まることも考えたが、まだ「部屋でひとり」状態にはなりたくなかった。
そこで、とぼとぼと歩いた。
ほんとうに、とぼとぼしていたんだと思う。
「とぼとぼ歩いているから」と、トラック運転手のおにいちゃんが声をかけてくれた。
「町田? いいよ、横浜インターまでの配送だから、乗っけてってやるよ」
ヒッチハイクとは、ちょっとちがう形ではあるけれどね。
運ちゃんとの会話で、その日が日曜の深夜帯であることは記憶している。
「―日曜のラジオってさ、休止が多くて。こっちも退屈だったからちょうどいいや」
おにいちゃんはそういって、缶コーヒーと、コンビニおにぎりまで奢ってくれた。
映画小僧であること。
かーちゃんが死んだこと。
そういうことを話していたら、あっという間に横浜インターに到着した。
「もうすぐだね」
「ほんとう、ありがとうございます。関係ないですけど・・・どんな映画が好きですか」
「最近はぜんぜん観てないけどね。そうだなぁ、分かり易いかも、、、だけど、『トラック野郎』は傑作だね!」
「(笑う)あぁ、やっぱり」
「分かり易いだろ?」
「えぇ」
「職種はちがいますけど、自分、『タクシードライバー』が大好きなんです」
「あぁ! あの、ひとごろしの」
「(笑う)まぁ、ひとごろしの映画ですよね」
「難しいことは分からんけど、頑張れよ」
「はい!」
いい思い出である。
あのときのおにいちゃんも、いまではじいさんのはずだ。
元気、してますか?
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明日のコラムは・・・
『生きろとはいわん。ばってん、死なんでくれ。』