自宅でのブルーレイ鑑賞も含めての話だが・・・
ここ数年の映画鑑賞総数は、年間150~180本程度。
だいたい、2日に1本の割合で映画に触れている。
最も多く映画に触れていたのは高校2~3年時で、年間400本ちかく。
1日に1本以上だぜぇ。
まあね、あのころは友達居なかったし、勉強もしていなかった。
やることといったら、自慰かアルバイトかビデオ鑑賞だったのだ。
専門学校の時代は、高校時代と比べれば忙しくはなったが、映画を観ることが勉強につながるわけで、年間300本は観ていたはず。
映画館でアルバイトをしていた20~22歳のころは年間250本、
30歳を過ぎたあたりから本数が減っていく・・・ものの、100本を切ることがないように気をつけ? ていた。
15歳を映画小僧の元年と位置づけたとすると、キャリアは約25年。
年ごとのばらつきを修正して、毎年の平均鑑賞数を150本とした場合、現在までに、少なくとも3750本の映画に触れてきたことになる。
・・・思ったより少ないな。
まぁ、少なくとも、、、だから。
たぶん4000本は超えていると思う。
そうでなければ映画小僧なんて自称出来ないし。
まぁいいや。
そのくらい観ているというと、よく「観たすべての作品を覚えている?」などと聞かれる。
まさか!
驚異の記憶力で映画批評を展開していた淀川さんだって、すべての作品を覚えていなかったはず。・・・たぶん。
基本は、つまらない作品から忘れる。
しかし、あまりにもつまらな過ぎると、かえって印象に残り、いつまでも忘れないこともある。
モノスゴ泣いたはずなのに、ほとんど記憶に残らない作品だってある。
映画の記憶。
出来とは無関係に、観た状況によって左右される傾向にある―というのは「あるある」だと思う。
初めてのデート、だとか。
(現在では、ほとんど起こらないだろうが)初めての立ち見、だとか。
劇場で痴漢に遭ったという女子も居るはずだし。
自分の場合は、映画としては大したことのない『ブロークン・アロー』(96)を観た帰りに財布をなくしたものだから、この映画のことはよく覚えている。
あと前にも書いたが、生涯で唯一「劇場で自慰をしてしまった」という意味で、やっぱり大したことのない映画『優駿 ORACION』(88)のこともよく覚えている。
え?
馬で興奮したわけじゃないよ、斉藤由貴ちゃんね。
スコセッシや黒澤、リンチの映画について語ると、「細かいところまで、よく覚えているね!!」と感心されることも多いが、
いやいや、それは単に「繰り返し鑑賞」しているから、いつの間にか隅々まで覚えてしまっただけのこと。
記憶力という能力においては、他者より秀でているところなんかないと思う。
あっ、ひとつだけ。
他者が話した映画についてのことを、本人以上に記憶しているという妙な? 能力だけは自信がある。
だから「きみは、この映画について、こんな評価をしていた」と自分がいい、相手に驚かれることが多い。
「そうだったっけ?」
「うん、そういっていた」
「なんでそんなことまで、覚えているの?」
・・・・・。
なんでだろうねぇ。
それはたぶん、自分がこう評価した映画について、彼や彼女はどう評価するのだろう―という疑問に、最大の関心を抱いているから、、、なのではないかな。
※やっぱり70年代の米映画がいちばん好き。
この映画のモンタージュ、すべての作品をいい当てられますか?
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(117)』
ここ数年の映画鑑賞総数は、年間150~180本程度。
だいたい、2日に1本の割合で映画に触れている。
最も多く映画に触れていたのは高校2~3年時で、年間400本ちかく。
1日に1本以上だぜぇ。
まあね、あのころは友達居なかったし、勉強もしていなかった。
やることといったら、自慰かアルバイトかビデオ鑑賞だったのだ。
専門学校の時代は、高校時代と比べれば忙しくはなったが、映画を観ることが勉強につながるわけで、年間300本は観ていたはず。
映画館でアルバイトをしていた20~22歳のころは年間250本、
30歳を過ぎたあたりから本数が減っていく・・・ものの、100本を切ることがないように気をつけ? ていた。
15歳を映画小僧の元年と位置づけたとすると、キャリアは約25年。
年ごとのばらつきを修正して、毎年の平均鑑賞数を150本とした場合、現在までに、少なくとも3750本の映画に触れてきたことになる。
・・・思ったより少ないな。
まぁ、少なくとも、、、だから。
たぶん4000本は超えていると思う。
そうでなければ映画小僧なんて自称出来ないし。
まぁいいや。
そのくらい観ているというと、よく「観たすべての作品を覚えている?」などと聞かれる。
まさか!
驚異の記憶力で映画批評を展開していた淀川さんだって、すべての作品を覚えていなかったはず。・・・たぶん。
基本は、つまらない作品から忘れる。
しかし、あまりにもつまらな過ぎると、かえって印象に残り、いつまでも忘れないこともある。
モノスゴ泣いたはずなのに、ほとんど記憶に残らない作品だってある。
映画の記憶。
出来とは無関係に、観た状況によって左右される傾向にある―というのは「あるある」だと思う。
初めてのデート、だとか。
(現在では、ほとんど起こらないだろうが)初めての立ち見、だとか。
劇場で痴漢に遭ったという女子も居るはずだし。
自分の場合は、映画としては大したことのない『ブロークン・アロー』(96)を観た帰りに財布をなくしたものだから、この映画のことはよく覚えている。
あと前にも書いたが、生涯で唯一「劇場で自慰をしてしまった」という意味で、やっぱり大したことのない映画『優駿 ORACION』(88)のこともよく覚えている。
え?
馬で興奮したわけじゃないよ、斉藤由貴ちゃんね。
スコセッシや黒澤、リンチの映画について語ると、「細かいところまで、よく覚えているね!!」と感心されることも多いが、
いやいや、それは単に「繰り返し鑑賞」しているから、いつの間にか隅々まで覚えてしまっただけのこと。
記憶力という能力においては、他者より秀でているところなんかないと思う。
あっ、ひとつだけ。
他者が話した映画についてのことを、本人以上に記憶しているという妙な? 能力だけは自信がある。
だから「きみは、この映画について、こんな評価をしていた」と自分がいい、相手に驚かれることが多い。
「そうだったっけ?」
「うん、そういっていた」
「なんでそんなことまで、覚えているの?」
・・・・・。
なんでだろうねぇ。
それはたぶん、自分がこう評価した映画について、彼や彼女はどう評価するのだろう―という疑問に、最大の関心を抱いているから、、、なのではないかな。
※やっぱり70年代の米映画がいちばん好き。
この映画のモンタージュ、すべての作品をいい当てられますか?
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(117)』