高橋ヨシキ「―デヴィッド・リンチがすごいのは、自分が信じていることに対して、強くありつづけられることだと思うんです」
…………………………………………
映画の学校で脚本を学ぶと、技法の前に、以下のような約束事を教えてくれる。
(1)夢オチはNG
「これまでの物語はすべて、夢でした」というラストは、もはやどんでん返しにもならないということ。
(2)ナレーションの多用はNG
映画は映像で物語ることに意義がある、ことばに頼り過ぎるのは創り手の怠惰でしかない。
(3)最後に主人公を自殺させるのは、可能なかぎり避けるべき
「生かす」のではなく「殺す」のは、ある意味では簡単なことだから。
いっていることは分かるし、概ね正しいと思う。
思うが、自分が信奉するふたりの映画監督は、NGとされていることを「むしろ積極的に」採用するところがある。
マーティン・スコセッシは、(2)。
『グッドフェローズ』(90)なんてナレーション(モノローグ)の洪水だし!
そしてデヴィッド・リンチは、(1)。
厳密には「夢オチ」ではないが、「夢オチ、のような」展開を用意することが多い。
多くの映画ファンが知っている、上に挙げた約束事なんて、ふたりには通用しないことを。
なぜならどちらとも、しっかりと「芸」になっているのだから。
スコセッシはナレーションを多用しないと描けないことを映画にしていて、リンチの映画は「夢そのもの」をテーマにしているのだもの!!
…………………………………………
90年代前半のテレビ業界に革命を起こしたシリーズ、『ツイン・ピークス』。
女子高生ローラ・パーマー殺害事件を捜査する、FBI捜査官クーパーを描く―骨格はミステリーだが、
多くの視聴者(7割くらいか)が喰いついたのは、ほとんど無限に増えていく登場人物と、彼ら彼女らに起こる悲喜劇のほうで、
残り3割くらいの視聴者は、ときどき演出するリンチのヘンテコな空間描写―赤いカーテンの部屋、小人のダンス、音声の逆回転再生―に熱狂した。
じつは米国より日本で支持が高いとされ、『ツイン・ピークス』のマニアは(日本では)「ピーカー」と呼ばれた。
訂正、誰もそんな風には呼んでいない。
「ピーカー」自身が、「ピーカー」と自称したのである。
そう断言出来るのは、自分がピーカーだから。
そんな『ツイン・ピークス』のセカンド・シーズンの終章で、ヒロインのローラは「25年後に会いましょう」というような台詞を吐く。
そして実際に、25年後にサード・シーズンが制作された・・・なんて、25年前のリンチだって想像出来なかったことだろう。
まさに瓢箪から駒、なにが起こるか分からないものだ。
『ツイン・ピークス The Return』。
サード・シーズンの通称は「そういうことになっている」が、実際のクレジットに冠されているわけではないし、個人的にもピンとこないので、本稿では『ツイン・ピークス2017』と表記することにしよう。
~『ツイン・ピークス2017』相関図~
は、こちら
…………………………………………
※日本人唯一の出演者、裕木奈江の特殊メイク
『ツイン・ピークス2017』のWOWOW放送が終了した。
ソフトが発売されるのは来春あたりだろうか、だから日本ですでに観ているひとはそれほど多くないはず。
可能なかぎりネタバレはしないでおくが、いっぽうで、いくらネタバレしようが、あまり関係ないかもしれない、、、と思ったりもする。
ドラマは、実際に25年が経過した世界が描かれる。
ただ今回は、ツイン・ピークスという田舎町だけでなく、ニューヨークやラスベガスも舞台として登場する。
ばかりか、宇宙(!?)にも行く。
そしてもちろん、夢の世界も描かれる。
いつものリンチ節、健在! といったところだが、このあたりをだらだらと記しても文字数が無限に増えるだけだろう、きょうは、ある一点にのみ言及しておこうと思う。
ものすごーく大雑把にいえば、前半は「悪の誕生」、後半は「悪の消滅」をテーマとしている。
悪の誕生の視覚化―これが、『ツイン・ピークス2017』のハイライトといえよう。
さて、どうしたものか・・・などと悩むこともなかったのかもしれない、リンチの頭のなかでは決まっていたのではないかと。
それが、核爆発であった。
キノコ雲の発生と同時に、悪が生まれた。
それがこのドラマの理屈だよ―そういわんばかりに、正面切って、堂々と描いている。
…………………………………………
※核爆発と同時に生まれた? 謎の生物が、悪の権化・ボブを吐き出すショット
高橋ヨシキ「―デヴィッド・リンチがすごいのは、自分が信じていることに対して、強くありつづけられることだと思うんです」
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つまりは、そういうことだと思う。
全18話で構成されるドラマの、真ん中あたりに位置する「第8話」―ここで核爆発を「起こしてみせる」のだが、「それ」前後との関りは一切なし、エピソードを分断させてまで「それ」を描く。
いわゆる「教科書には載っていない」手法である。
奇をてらっただけなら大怪我をするだろうが、なんといってもリンチは、「自分が信じていることに対して、強くありつづけられる」男。
とはいっても。
「とんでもないことが起こる」と噂には聞いていたが、初見は動揺した。
実際、とんでもないことだ。
けれども2度3度と観返していくうちに、リンチの揺るがぬ信念に「初見時とはちがう意味で」動揺し、そして感動したのだった。
結局のところ、分からんヤツは分からぬままでいい―というスタンス?
いや、ちがうのではないだろうか。
だってリンチは、こういってそうだもの、
「ん? 俺、けっこう親切に描いたつもりだけど、なにか??」
そういう風に捉えてしまうのは、単に自分がリンチを信奉し、なにがあってもついていきます!! と誓うピーカーだからであろうか。
「うん、そうでしょ」と返すことばがどこからか聞こえてきたが、とりあえず無視しておこう。
すでに続編の期待も高まっている『ツイン・ピークス』、
実際のところは出来ないと思うが、
どういう流れになるのであれ、ピーカーには自身が「もうちがう」と宣言しないかぎり、「ピーカーでありつづけられる」という特典? がある。
お前はどうするのかって?
聞かなくても分かるでしょう、そんなことは!!
※裕木奈江インタビュー
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明日のコラムは・・・
『映画監督別10傑(1)アルフレッド・ヒッチコック』
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映画の学校で脚本を学ぶと、技法の前に、以下のような約束事を教えてくれる。
(1)夢オチはNG
「これまでの物語はすべて、夢でした」というラストは、もはやどんでん返しにもならないということ。
(2)ナレーションの多用はNG
映画は映像で物語ることに意義がある、ことばに頼り過ぎるのは創り手の怠惰でしかない。
(3)最後に主人公を自殺させるのは、可能なかぎり避けるべき
「生かす」のではなく「殺す」のは、ある意味では簡単なことだから。
いっていることは分かるし、概ね正しいと思う。
思うが、自分が信奉するふたりの映画監督は、NGとされていることを「むしろ積極的に」採用するところがある。
マーティン・スコセッシは、(2)。
『グッドフェローズ』(90)なんてナレーション(モノローグ)の洪水だし!
そしてデヴィッド・リンチは、(1)。
厳密には「夢オチ」ではないが、「夢オチ、のような」展開を用意することが多い。
多くの映画ファンが知っている、上に挙げた約束事なんて、ふたりには通用しないことを。
なぜならどちらとも、しっかりと「芸」になっているのだから。
スコセッシはナレーションを多用しないと描けないことを映画にしていて、リンチの映画は「夢そのもの」をテーマにしているのだもの!!
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90年代前半のテレビ業界に革命を起こしたシリーズ、『ツイン・ピークス』。
女子高生ローラ・パーマー殺害事件を捜査する、FBI捜査官クーパーを描く―骨格はミステリーだが、
多くの視聴者(7割くらいか)が喰いついたのは、ほとんど無限に増えていく登場人物と、彼ら彼女らに起こる悲喜劇のほうで、
残り3割くらいの視聴者は、ときどき演出するリンチのヘンテコな空間描写―赤いカーテンの部屋、小人のダンス、音声の逆回転再生―に熱狂した。
じつは米国より日本で支持が高いとされ、『ツイン・ピークス』のマニアは(日本では)「ピーカー」と呼ばれた。
訂正、誰もそんな風には呼んでいない。
「ピーカー」自身が、「ピーカー」と自称したのである。
そう断言出来るのは、自分がピーカーだから。
そんな『ツイン・ピークス』のセカンド・シーズンの終章で、ヒロインのローラは「25年後に会いましょう」というような台詞を吐く。
そして実際に、25年後にサード・シーズンが制作された・・・なんて、25年前のリンチだって想像出来なかったことだろう。
まさに瓢箪から駒、なにが起こるか分からないものだ。
『ツイン・ピークス The Return』。
サード・シーズンの通称は「そういうことになっている」が、実際のクレジットに冠されているわけではないし、個人的にもピンとこないので、本稿では『ツイン・ピークス2017』と表記することにしよう。
~『ツイン・ピークス2017』相関図~
は、こちら
…………………………………………
※日本人唯一の出演者、裕木奈江の特殊メイク
『ツイン・ピークス2017』のWOWOW放送が終了した。
ソフトが発売されるのは来春あたりだろうか、だから日本ですでに観ているひとはそれほど多くないはず。
可能なかぎりネタバレはしないでおくが、いっぽうで、いくらネタバレしようが、あまり関係ないかもしれない、、、と思ったりもする。
ドラマは、実際に25年が経過した世界が描かれる。
ただ今回は、ツイン・ピークスという田舎町だけでなく、ニューヨークやラスベガスも舞台として登場する。
ばかりか、宇宙(!?)にも行く。
そしてもちろん、夢の世界も描かれる。
いつものリンチ節、健在! といったところだが、このあたりをだらだらと記しても文字数が無限に増えるだけだろう、きょうは、ある一点にのみ言及しておこうと思う。
ものすごーく大雑把にいえば、前半は「悪の誕生」、後半は「悪の消滅」をテーマとしている。
悪の誕生の視覚化―これが、『ツイン・ピークス2017』のハイライトといえよう。
さて、どうしたものか・・・などと悩むこともなかったのかもしれない、リンチの頭のなかでは決まっていたのではないかと。
それが、核爆発であった。
キノコ雲の発生と同時に、悪が生まれた。
それがこのドラマの理屈だよ―そういわんばかりに、正面切って、堂々と描いている。
…………………………………………
※核爆発と同時に生まれた? 謎の生物が、悪の権化・ボブを吐き出すショット
高橋ヨシキ「―デヴィッド・リンチがすごいのは、自分が信じていることに対して、強くありつづけられることだと思うんです」
…………………………………………
つまりは、そういうことだと思う。
全18話で構成されるドラマの、真ん中あたりに位置する「第8話」―ここで核爆発を「起こしてみせる」のだが、「それ」前後との関りは一切なし、エピソードを分断させてまで「それ」を描く。
いわゆる「教科書には載っていない」手法である。
奇をてらっただけなら大怪我をするだろうが、なんといってもリンチは、「自分が信じていることに対して、強くありつづけられる」男。
とはいっても。
「とんでもないことが起こる」と噂には聞いていたが、初見は動揺した。
実際、とんでもないことだ。
けれども2度3度と観返していくうちに、リンチの揺るがぬ信念に「初見時とはちがう意味で」動揺し、そして感動したのだった。
結局のところ、分からんヤツは分からぬままでいい―というスタンス?
いや、ちがうのではないだろうか。
だってリンチは、こういってそうだもの、
「ん? 俺、けっこう親切に描いたつもりだけど、なにか??」
そういう風に捉えてしまうのは、単に自分がリンチを信奉し、なにがあってもついていきます!! と誓うピーカーだからであろうか。
「うん、そうでしょ」と返すことばがどこからか聞こえてきたが、とりあえず無視しておこう。
すでに続編の期待も高まっている『ツイン・ピークス』、
実際のところは出来ないと思うが、
どういう流れになるのであれ、ピーカーには自身が「もうちがう」と宣言しないかぎり、「ピーカーでありつづけられる」という特典? がある。
お前はどうするのかって?
聞かなくても分かるでしょう、そんなことは!!
※裕木奈江インタビュー
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明日のコラムは・・・
『映画監督別10傑(1)アルフレッド・ヒッチコック』