Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(381)

2021-07-15 00:10:00 | コラム
がんだ「む」→「む」かでにんげん

きゃりーぱみゅぱみゅちゃんが『ムカデ人間2』(2011)を観た日に…

「観に行かなきゃよかった」

…みたいな呟きをしていて、ちょっと笑っちゃった。

※監督にリツーイトされてるよ!


えらいぜ、「2」を観に行ったということは、たぶん「1」を観ているわけでしょう!!

また、「3」を観に行ったとき70代くらいの老夫婦が居て、すげーパンクなカップルじゃんか! こういう歳の取りかたをしたいものだね!! とか思っていたら途中退席していったな(^^;)

それが、『ムカデ人間』シリーズ(2010~)に対する「正しい接しかた」だと思う。

こんなのがシネコンのいちばん大きなスクリーンでかかったり、チケット完売になってしまう世の中であったとしたら、それは異常なことです。

時代的にお洒落なミニシアターでかかったけど、本来であれば「昭和感の残る」「小便くさい」「二番館」で「ひっそり」上映されるべきなのですよ。


ヒトAの「口」とヒトBの「肛門」をつなぐ、それを他者でも繰り返しムカデ人間を作ろうとする狂った男の物語―あらすじは一行で済む、
映画はその狂った世界を見つめていくだけなので、ダメなひとはダメだろうし、
もしこれを「初」映画にしたひとが居たとするならば、そのひとはたぶん映画好きにはなってくれない、
まことに不幸な出会いというほかはなく。。。


では、この映画は害悪なのかというと。

えぇ、害悪です。

ただ、この害悪を必要とするひとだって居る。

性的満足を得るとか、そういう意味ではなくってね。
(ごく少数はそうかもしれないが!)


高尚なものも映画だし、低俗なものだって映画。
どっちも好きなひとも居れば、どちらかを崇めるためにどちらかを貶すものも居て。


『家畜人ヤプー』の最終増補決定版が出版されたとき、おすぎだったかな、「これを読んで自分が変態でないことを知った」と帯に書かれていたが、



『ムカデ人間』のシリーズや『ソドムの市』(75)、『ピンク・フラミンゴ』(72)といった類の映画は、我々を挑発し試すリトマス試験紙なのだよね。





おおいに笑ってもいいし、不愉快な気持ちで途中退席してもいい。


ただ、怒ってもぜんぜんいいけれど、「これは映画じゃない」みたいなことは思わないでほしいよね。


これらの映画は結局、見世物への回帰を狙っているだけなので。

アウシュビッツや731を見てみろ、人間なんて所詮この程度なんじゃないか?? と問うているわけです。




あすのしりとりは・・・
むかでにん「げん」→「げん」なま。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(382)』
コメント (2)
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