とぅるーらい「ず」→「ず」かん
最近、立てつづけに20歳以上も下の映画好きと話す機会があって。
そのときに受けた質問で印象的だったのが・・・
「ネットのない時代に、どのように知識を得ていたのか」というもの。
市内に映画館はひとつ。
興行サイクルは3~5週で入れ替わるものだから、すべて鑑賞したとしても月に(2本立てで)4~5本か。
映画好きになったころと前後して、我が家にビデオデッキがやってきた。
それに応えるかのように市内にレンタルビデオショップが出来る。
とはいえ一泊700円前後はしたから、それほど沢山レンタル出来るわけでもない。
現在のように日に数本を観たり、レビューを発信したり読んだり出来ないなか、自分は映画好きであるという自覚をどのように「有しつづけていたのか」というのよ(^^;)
びっくりした。
が、まぁ答えは簡単か。
映画雑誌を読み込む。
ひたすら読み込む。
いまは、そんなひとは居ないのではないかな、広告も含め、1ページ目から裏表紙まですべて読み込み、しかも、再読再々読もすると。
それをやっても次の号の発売日まで時間があるものだから、再々々読までしてしまう。
結果、難しい監督の名前―当時でいえば、アンドレイ・コンチャロフスキーとか―も覚えてしまいましたよと。
映画のタイトル、監督名、俳優名、なんとなくの物語、制作・発表年、受賞レコードなどが紙1枚で分かるのがチラシで、そのチラシを並べた図鑑が各映画雑誌から別冊という形で発売されていて、
これがたいへんに役立った。
実家に置いてあるだろうから今度持ってこなきゃ、
それにね、いろいろ書き込んでいたのですよ。
鑑賞済みであるとか鑑賞予定であるとか、映画の採点まで。
それが高じて鑑賞記録帳を記すことになるのだけれど、それまでは、このチラシ図鑑が参考書のような役割を果たしていた、、、というわけなのです。
ガキのころは、まぁほかのガキ同様に?
動物や植物の図鑑を開いたこともあったよ。
父親は教育熱心なほうだからね、「これやれ・あれやれ」と指示することはないが、子どもが見える範囲のところに図鑑や「子どもの読む偉人の伝記」などが置かれていたもの。
教科書よりかは見ていて楽しい―というのもあって何度か開いたが、しかし興味は「その先」に行くことがなかった。
けれども映画チラシの図鑑は、自分の興味を「その先」に連れて行ってくれたよね。
「実際にその作品に触れる」まで行かないと、完結出来ないものだったから^^
こうして映画小僧は出来上がった―きょうは蘊蓄ではなく、そんな話でした。。。
※いつも70年代症候群と自称していますが、育ててくれたのは80年代の映画です^^
あすのしりとりは・・・
ず「かん」→「かん」けつへん。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(480)』
最近、立てつづけに20歳以上も下の映画好きと話す機会があって。
そのときに受けた質問で印象的だったのが・・・
「ネットのない時代に、どのように知識を得ていたのか」というもの。
市内に映画館はひとつ。
興行サイクルは3~5週で入れ替わるものだから、すべて鑑賞したとしても月に(2本立てで)4~5本か。
映画好きになったころと前後して、我が家にビデオデッキがやってきた。
それに応えるかのように市内にレンタルビデオショップが出来る。
とはいえ一泊700円前後はしたから、それほど沢山レンタル出来るわけでもない。
現在のように日に数本を観たり、レビューを発信したり読んだり出来ないなか、自分は映画好きであるという自覚をどのように「有しつづけていたのか」というのよ(^^;)
びっくりした。
が、まぁ答えは簡単か。
映画雑誌を読み込む。
ひたすら読み込む。
いまは、そんなひとは居ないのではないかな、広告も含め、1ページ目から裏表紙まですべて読み込み、しかも、再読再々読もすると。
それをやっても次の号の発売日まで時間があるものだから、再々々読までしてしまう。
結果、難しい監督の名前―当時でいえば、アンドレイ・コンチャロフスキーとか―も覚えてしまいましたよと。
映画のタイトル、監督名、俳優名、なんとなくの物語、制作・発表年、受賞レコードなどが紙1枚で分かるのがチラシで、そのチラシを並べた図鑑が各映画雑誌から別冊という形で発売されていて、
これがたいへんに役立った。
実家に置いてあるだろうから今度持ってこなきゃ、
それにね、いろいろ書き込んでいたのですよ。
鑑賞済みであるとか鑑賞予定であるとか、映画の採点まで。
それが高じて鑑賞記録帳を記すことになるのだけれど、それまでは、このチラシ図鑑が参考書のような役割を果たしていた、、、というわけなのです。
ガキのころは、まぁほかのガキ同様に?
動物や植物の図鑑を開いたこともあったよ。
父親は教育熱心なほうだからね、「これやれ・あれやれ」と指示することはないが、子どもが見える範囲のところに図鑑や「子どもの読む偉人の伝記」などが置かれていたもの。
教科書よりかは見ていて楽しい―というのもあって何度か開いたが、しかし興味は「その先」に行くことがなかった。
けれども映画チラシの図鑑は、自分の興味を「その先」に連れて行ってくれたよね。
「実際にその作品に触れる」まで行かないと、完結出来ないものだったから^^
こうして映画小僧は出来上がった―きょうは蘊蓄ではなく、そんな話でした。。。
※いつも70年代症候群と自称していますが、育ててくれたのは80年代の映画です^^
あすのしりとりは・・・
ず「かん」→「かん」けつへん。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(480)』