1908年5月20日生まれ・97年7月2日死去、享年89歳。
アメリカ出身。
ヒッチコックやキャプラ、アンソニー・マンなどの職人監督のお気に入り、
そして、思想信条の点で仲違いしたこともあったけれど、最終的にはヘンリー・フォンダと親友関係を復活させる。
フォンダとともに、米国の良心・善意の象徴とされた俳優スチュアート。
キャプラ監督はこういっています、「彼の平凡な魅力は、どこにでも居そうでどこにも居ない」
分かるなぁ!!^^
※「僕がキス・シーンが苦手なのはたぶん、相手の女優と身長差がありすぎるせいだろう」
<経歴>
プリンストン大学卒。専攻は、建築学と都市工学。
卒業後、フォンダも属する学生演劇集団「ユニバーシティ・プレイハウス・グループ」に参加し演技の向上を目指した。
映画俳優デビュー作は、35年の『舗道の殺人』。
翌年の『超スピード時代』で初主演し、『海の若人』(37)を経た38年、キャプラと初めて組んだコメディ『我が家の楽園』がオスカー作品賞に輝き、俳優として初めて正当な評価を受ける。
キャプラは度々スチュアートを起用、『スミス都へ行く』(39)も『素晴らしき哉、人生!』(46)も、いまなお輝きを失わない名作なのでぜひに!!
『砂塵』(39)、
オスカー主演賞に輝いた『フィラデルフィア物語』(40)、
しかし。このころ第二次世界大戦が勃発、志願入隊し爆撃機パイロットとして何度も出撃を経験する。
その成果により、45年には大佐に昇進。
(これが起因となって、フォンダと不仲になっていく…)
終戦後、スチュアートを英雄視するスタジオ幹部たちによって「戦争大作」の企画がいくつも持ち込まれるも、それらすべてを突っぱねたのだとか。
曰く「本物の戦争を見てきた人間が、戦争映画に出たいと思うかね」
う~ん、至言。
48年―『ロープ』で初めてヒッチコックと組む。
さらに『裏窓』(54)と『知りすぎていた男』(56)、そして『めまい』(58)の計4作に主演しゴールデンコンビと評される。
以降も・・・
『ウィンチェスター銃'73』(50)、『地上最大のショウ』(52)、『怒りの河』(52)、
タイトルロールを好演、個人的にはこれぞオスカー主演賞に相応しいと思えた『グレン・ミラー物語』(53)、
『ララミーから来た男』(55)、
ビリー・ワイルダーが演出、飛行家チャールズ・リンドバーグを熱演した『翼よ! あれが巴里の灯だ』(57)、
『或る殺人』(59)、
ジョン・フォード後期の傑作で、『フェイブルマンズ』(2022)を観る前に鑑賞しておくべき『リバティ・バランスを射った男』(62)、
『飛べ!フェニックス』(65)、『テキサス魂』(70)。
ニューシネマを経てスピルバーグ世代が台頭し始めた70年代に入ると、米国の良心・善意の象徴の影が薄くなったのはたしか。
『ザッツ・エンターテインメント』(74)や『ラスト・シューティスト』(76)、『エアポート'77/バミューダからの脱出』(77)、『ラッシー』(78)などで元気な姿を拝むことは出来るけれど、「スチュアートありき。」で企画されたものではありませんでした。
97年7月2日―自宅にて死去、享年は89歳でした。
遺作は『アフリカ物語』(80)、84年にはオスカー名誉賞を受賞。
「古き良き時代」という表現は大っ嫌いなのですが、かつてのスターたちが変革の70年代を乗り越えられなかった、、、というのも事実。
年齢だけが問題だったわけではないしょう、このあたりは研究しがいがあって面白いです。
ただひとつたしかなことは、現実に失望し、せめて映画のなかだけでも良心や善意を信じたい―というのであれば、まずはキャプラ×スチュアートの映画を観ましょう!ってことです。
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明日のコラムは・・・
『令和版・海外俳優列伝(100)ジェームズ・スペイダー』