さて政治的発言や立場などは前日に「丸投げ」して、映画俳優としての成龍の歩みを辿っていきましょう。
<経歴>
妻は台湾で活躍した元女優、ジョアン・リン。
父親は中国国民党の元スパイで、成龍自身も21世紀に入ってから知らされたいへんなショックを受けたという。
7歳で中国戯劇学院に入学、ここで10年かけて京劇や中国武術を学ぶ。
(そのころを描いた映画が、88年の『七小福』)
じつは読字障害を患い、10代のころはほとんど字が読めなかったそうで・・・
付き合っていた女の子から恋文をもらうも、まったく読むことが出来なかったという哀しいエピソードも。
やがて学院は閉鎖され、エキストラやスタントマンなどでキャリアをスタート。
先輩にあたるブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』(72)『燃えよドラゴン』(73)にもエキストラ出演しています。
※ほら面影が! というより「まんま。」じゃんか!!
72年―抗日アクション映画『ファイティング・マスター』に準主役として出演、、、するも当たらず。
このころは「陳元龍」名義で、まだコミカルな「成龍」スタイルが確立していなかったのでした。
傷心した成龍は豪州に住む両親を頼り、芸能の世界から離れ飲食業に就く。
76年―世話になったプロデューサーの誘いに応え、再び香港に。芸名を成龍とし、再デビューする運びとなります。
その初期の佳作が、『少林寺木人拳』(76)。
じつは本国ではすぐに打ち切りになった失敗作ですが、日本で初めて成龍の映画が劇場公開された記念すべき作品なのであります。
口が聞けなくなった主人公の復讐譚…昔はよく地上波の洋画劇場で放送されたものです、これが泣けるんだ。
本国における興行面での成功は、77年の『蛇鶴八拳』あたりから。
『木人拳』のように暗い復讐モノが多い香港製のアクションにあって、成龍ならではの笑いの要素を初めて取り入れた作品で、これがウケたことから「カンフーコメディ」路線が定着していく。
主題歌も楽しい『カンニング・モンキー 天中拳』(78)は自分が初めて劇場鑑賞した成龍映画、
酒とカンフーを融合させた、いかにも成龍らしい『ドランクモンキー 酔拳』(78)、
『クレージーモンキー 笑拳』(79)、米国と合作した『バトルクリーク・ブロー』(80)などがスマッシュヒットを記録、
本国でもそこそこ評判にはなっていましたが、それよか日本で好評を得た―このことから、成龍の日本びいきが始まったとされます。
そういえば、河合奈保子さんとも噂になりましたしね^^
そして83年の『プロジェクトA』の大ヒットにより、ゴールデンハーベストと成龍、さらにはユン・ピョウ&サモハンの黄金期が到来するのでありました。
あすへつづく!!
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『令和版・海外俳優列伝(119)ジャッキー・チェン(後)』
<経歴>
妻は台湾で活躍した元女優、ジョアン・リン。
父親は中国国民党の元スパイで、成龍自身も21世紀に入ってから知らされたいへんなショックを受けたという。
7歳で中国戯劇学院に入学、ここで10年かけて京劇や中国武術を学ぶ。
(そのころを描いた映画が、88年の『七小福』)
じつは読字障害を患い、10代のころはほとんど字が読めなかったそうで・・・
付き合っていた女の子から恋文をもらうも、まったく読むことが出来なかったという哀しいエピソードも。
やがて学院は閉鎖され、エキストラやスタントマンなどでキャリアをスタート。
先輩にあたるブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』(72)『燃えよドラゴン』(73)にもエキストラ出演しています。
※ほら面影が! というより「まんま。」じゃんか!!
72年―抗日アクション映画『ファイティング・マスター』に準主役として出演、、、するも当たらず。
このころは「陳元龍」名義で、まだコミカルな「成龍」スタイルが確立していなかったのでした。
傷心した成龍は豪州に住む両親を頼り、芸能の世界から離れ飲食業に就く。
76年―世話になったプロデューサーの誘いに応え、再び香港に。芸名を成龍とし、再デビューする運びとなります。
その初期の佳作が、『少林寺木人拳』(76)。
じつは本国ではすぐに打ち切りになった失敗作ですが、日本で初めて成龍の映画が劇場公開された記念すべき作品なのであります。
口が聞けなくなった主人公の復讐譚…昔はよく地上波の洋画劇場で放送されたものです、これが泣けるんだ。
本国における興行面での成功は、77年の『蛇鶴八拳』あたりから。
『木人拳』のように暗い復讐モノが多い香港製のアクションにあって、成龍ならではの笑いの要素を初めて取り入れた作品で、これがウケたことから「カンフーコメディ」路線が定着していく。
主題歌も楽しい『カンニング・モンキー 天中拳』(78)は自分が初めて劇場鑑賞した成龍映画、
酒とカンフーを融合させた、いかにも成龍らしい『ドランクモンキー 酔拳』(78)、
『クレージーモンキー 笑拳』(79)、米国と合作した『バトルクリーク・ブロー』(80)などがスマッシュヒットを記録、
本国でもそこそこ評判にはなっていましたが、それよか日本で好評を得た―このことから、成龍の日本びいきが始まったとされます。
そういえば、河合奈保子さんとも噂になりましたしね^^
そして83年の『プロジェクトA』の大ヒットにより、ゴールデンハーベストと成龍、さらにはユン・ピョウ&サモハンの黄金期が到来するのでありました。
あすへつづく!!
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明日のコラムは・・・
『令和版・海外俳優列伝(119)ジャッキー・チェン(後)』