1925年2月8日生まれ・2001年6月27日死去、享年76歳。
アメリカ出身。
喜劇メインでキャリアを築いたジャック・レモンは、飄々とした佇まいが魅力のひと。
でありながら、いっぽうで哀愁も漂わせている。
いわゆる「大熱演のひと」ではないので「役者魂!」とか、そういう評価をされることはないけれど、その自然体は「大熱演のひと」よりも我々の日常にちかい、だからこそ映画ファンの支持を受けつづけたのではないかなと。
大親友ウォルター・マッソーが亡くなった翌年に、
あとを追うかのように死去した―このひともまた、いまこそ再評価すべき映画人なのではないか、、、そんな風に思います。
※「このところ、協会の批判をよく耳にします。その意見の多くは、正しいのかもしれません。でもわたしは、この受賞をこころの底から喜んでいます」
<経歴>
ハーヴァード大学卒業のインテリ。
専攻は、化学と薬学。
ラジオドラマの端役、やがてテレビドラマ出演ののち54年の『有名になる方法教えます』で映画俳優デビューを果たす。
その翌年の『ミスタア・ロバーツ』(55)で早くもオスカー助演賞受賞なのだから、順調に過ぎるキャリアともいえます^^
映画はジョン・フォードにしては珍しいコメディで、主演はヘンリー・フォンダ、
レモンは輸送艦の乗組員役でした。
59年、『お熱いのがお好き』で初めてビリー・ワイルダーと組む。
レモンらの女装をソフトに見せるため、敢えてモノクロームにしたというアイデアも功を奏したのでしょう、大成功をおさめレモンも人気者に。
再びワイルダー監督作に主演した『アパートの鍵貸します』(60)は、オスカー作品賞に輝く。
哀愁のイメージは、この映画によるところが大きい気がしますね^^
いっぽうでアル中で苦しむひとびとを描く『酒とバラの日々』(62)などにも出演し、芸達者ぶりを披露。
『あなただけ今晩は』(63)、『女房の殺し方教えます』(64)、『グレート・レース』(65)、
マッソーと初共演した『恋人よ帰れ!わが胸に』(66)、
『おかしな二人』(68)、
監督業に初挑戦した『コッチおじさん』(71)などなど、
日本における興行は必ずしも成功したわけではないものの、話題作への出演・関与がつづきます。
なんでしょう、日本の芸能界で強引にたとえれば「一時期の、井上順」みたいな感じがするのですよね個人的には。
作品の出来はともかく、このひとはいつも面白い!みたいな。
73年、『セイヴ・ザ・タイガー』でオスカー主演賞受賞。
上に挙げたスピーチ動画はそのときのものですが、レモンは服飾工場の社長を好演、、、しているにも関わらず、これって日本の劇場では未公開なんですよね。
ひどいぜ!!
(自分はWOWOWで鑑賞)
以降も・・・
『フロント・ページ』(74)、『エアポート'77/バミューダからの脱出』(77)、
いま観ても学ぶべきことが多い社会派サスペンス『チャイナ・シンドローム』(79)、
『ミッシング』(82)、『晩秋』(89)、
純粋に国の不正を追究していく主人公ギャリソンに「あんた、ナイーブだな」という台詞を浴びせるところが印象的な『JFK』(91)、
アル・パチーノらと演技対決を繰り広げる『摩天楼を夢みて』(92)、
『ショート・カッツ』(93)、『ハムレット』(96)、『おかしな二人2』(98)。
しかし2001年6月27日、ガンの合併症により死去。
享年76歳、映画の遺作は2000年の『バガー・ヴァンスの伝説』でした。
例えば映画ファンであればあるほど、ビリー・ワイルダーの映画はワイルダーの巧さについて語りがちなんですけど、
それはヒッチコックにもフェリーニもいえるかな、
わたしたちはもう少し、主演者―ジェームズ・スチュアートとか、マストロヤンニとか、レモンとか―のたしかな演技を評価するべきなのかもしれません。。。
次回の列伝は、ジャレッド・レトーさんから。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『傑作であろうことを信じてますが。。。』
アメリカ出身。
喜劇メインでキャリアを築いたジャック・レモンは、飄々とした佇まいが魅力のひと。
でありながら、いっぽうで哀愁も漂わせている。
いわゆる「大熱演のひと」ではないので「役者魂!」とか、そういう評価をされることはないけれど、その自然体は「大熱演のひと」よりも我々の日常にちかい、だからこそ映画ファンの支持を受けつづけたのではないかなと。
大親友ウォルター・マッソーが亡くなった翌年に、
あとを追うかのように死去した―このひともまた、いまこそ再評価すべき映画人なのではないか、、、そんな風に思います。
※「このところ、協会の批判をよく耳にします。その意見の多くは、正しいのかもしれません。でもわたしは、この受賞をこころの底から喜んでいます」
<経歴>
ハーヴァード大学卒業のインテリ。
専攻は、化学と薬学。
ラジオドラマの端役、やがてテレビドラマ出演ののち54年の『有名になる方法教えます』で映画俳優デビューを果たす。
その翌年の『ミスタア・ロバーツ』(55)で早くもオスカー助演賞受賞なのだから、順調に過ぎるキャリアともいえます^^
映画はジョン・フォードにしては珍しいコメディで、主演はヘンリー・フォンダ、
レモンは輸送艦の乗組員役でした。
59年、『お熱いのがお好き』で初めてビリー・ワイルダーと組む。
レモンらの女装をソフトに見せるため、敢えてモノクロームにしたというアイデアも功を奏したのでしょう、大成功をおさめレモンも人気者に。
再びワイルダー監督作に主演した『アパートの鍵貸します』(60)は、オスカー作品賞に輝く。
哀愁のイメージは、この映画によるところが大きい気がしますね^^
いっぽうでアル中で苦しむひとびとを描く『酒とバラの日々』(62)などにも出演し、芸達者ぶりを披露。
『あなただけ今晩は』(63)、『女房の殺し方教えます』(64)、『グレート・レース』(65)、
マッソーと初共演した『恋人よ帰れ!わが胸に』(66)、
『おかしな二人』(68)、
監督業に初挑戦した『コッチおじさん』(71)などなど、
日本における興行は必ずしも成功したわけではないものの、話題作への出演・関与がつづきます。
なんでしょう、日本の芸能界で強引にたとえれば「一時期の、井上順」みたいな感じがするのですよね個人的には。
作品の出来はともかく、このひとはいつも面白い!みたいな。
73年、『セイヴ・ザ・タイガー』でオスカー主演賞受賞。
上に挙げたスピーチ動画はそのときのものですが、レモンは服飾工場の社長を好演、、、しているにも関わらず、これって日本の劇場では未公開なんですよね。
ひどいぜ!!
(自分はWOWOWで鑑賞)
以降も・・・
『フロント・ページ』(74)、『エアポート'77/バミューダからの脱出』(77)、
いま観ても学ぶべきことが多い社会派サスペンス『チャイナ・シンドローム』(79)、
『ミッシング』(82)、『晩秋』(89)、
純粋に国の不正を追究していく主人公ギャリソンに「あんた、ナイーブだな」という台詞を浴びせるところが印象的な『JFK』(91)、
アル・パチーノらと演技対決を繰り広げる『摩天楼を夢みて』(92)、
『ショート・カッツ』(93)、『ハムレット』(96)、『おかしな二人2』(98)。
しかし2001年6月27日、ガンの合併症により死去。
享年76歳、映画の遺作は2000年の『バガー・ヴァンスの伝説』でした。
例えば映画ファンであればあるほど、ビリー・ワイルダーの映画はワイルダーの巧さについて語りがちなんですけど、
それはヒッチコックにもフェリーニもいえるかな、
わたしたちはもう少し、主演者―ジェームズ・スチュアートとか、マストロヤンニとか、レモンとか―のたしかな演技を評価するべきなのかもしれません。。。
次回の列伝は、ジャレッド・レトーさんから。
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明日のコラムは・・・
『傑作であろうことを信じてますが。。。』