Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(120)

2015-03-26 05:43:15 | コラム
好きな英単語を5つ挙げると・・・

rhythm(リズム)

vivid(ビビッド…活き活きとしている、などの意)

imagination(イマジネーション)

crazy(クレージー)

そして、cult(カルト)になるかな。

デジタル大辞泉には、「宗教的崇拝。転じて、ある集団が示す熱烈な支持」とある。

このことばが日本の世間一般に浸透したのは、オウム真理教がお騒がせ集団として注目され始めた90年代前半だろう。
そういう意味では不幸なことばだが、ときを同じくして、フジテレビが『カルトQ』というクイズ番組を制作している。

幅広い知識を競うのではなく、あるジャンルに特化した「カルトなひと」を集め、そのことについて「最も詳しいひと」を決めるという番組。

※司会は、うじきつよし。
このころの中村江里子アナ、モノスゴ好きだったな~。




ジャンルは多岐にわたり・・・

サーフィン、ケーキ、渋谷、Jリーグ、スポ根漫画、ビートルズ、ユーミンなどなどなど。

映画のジャンルだけを拾うと・・・

ヤクザ映画、SF映画、スティーブン・スピルバーグ、そしてデヴィッド・リンチなど。

リンチが入っているところが「いかにも深夜枠」であり、「いかにも90年代前半の日本」という感じがする。

なぜって、リンチが手がけたテレビドラマ『ツイン・ピークス』(90~91)は、米国よりも日本で人気があったから。



自分は当時からスコセッシ狂ではあったものの、『ツイン・ピークス』の影響により、この時期、リンチに浮気した。
リンチのカルトというより『ツイン・ピークス』のカルトだった、、、気がしないでもないが、
『カルトQ』のファンだったということもあり、リンチの回の予選に応募してテストを受けに行ったのだ。


予選のペーパーテストは、だいたいこんな感じ。

【デヴィット・リンチの生年月日はいつ?】

【『砂の惑星』が日本公開されたときの当時の配給会社と、その時うたわれていた製作費は日本円でいくらだった?】

【『ブルーベルベット』以降のリンチ映画で美術と衣装を担当するのは誰?】

【『ツイン・ピークス』でクーパー捜査官が泊まったのは、グレート・ノーザン・ホテルの何号室?】

【リンチが演出した、ララ・フリン・ボイルとジェームス・マーシャルが出演した香水CFのスポンサーはどこ?】

リンチ好きのひと、分かったかな?

こういう問いが、約50問出題される。

で、18歳の自分は予選敗退。
現在の自分であれば予選通過に自信を持っていたろうが、当時はミーハー感覚で受けたものだからショックは小さかった。

番組は予選を通過した5人による本戦を放送するのだが、番組の前半だったと思う、予選会場の映像が流れて、18歳の映画小僧「なりたて」の自分が、そこに映っていたのである。

これが、自分にとってのテレビ初出演。

まさか映るとは思っていなかったし、まだダサい感じだし(…って、いまが洗練されているようにいうが、そんなことはない)、それでも映るのが分かっていたのであれば、録画しておいたのになぁ、、、と思う。

おわり。





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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『♪ きみに、聴かせる腕もない ♪』

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初体験 リッジモント・ハイ(119)

2015-03-25 05:50:46 | コラム
よくいわれることだが、視聴者参加型のテレビ番組がひじょうに少なくなった―ように思う。

ときどき復活する『タイムショック』(テレビ朝日)も、回答者は芸能人だし。
きっちり最後まで観たことがない『オールスター感謝祭』(TBS)なんかもそうなのだが、収入の高い彼ら彼女らが賞金をゲットしたからといって、観ているこっちはなんの感慨もないわけでね。

『クイズダービー』(TBS)とか、地味に面白かったんだけど。

テレビの創り手と受け手と参加する素人とヤラセ―という四大テーマを見事に切り取ったのは、レッドフォードが監督した映画『クイズ・ショウ』(94)。



スポンサーやプロデューサーは、頭はいいが容姿はダサい現王者より、頭も容姿もスマートな挑戦者のほうを勝たせたい。
視聴者はロッキーのアメリカンドリームに飽きている、家柄もいいイケメンが王者になれば女性の支持率も上がるはずだ! と。

ヤラセを提示されたふたりの回答者は、さてどうするのか・・・という物語だった。

日本でもときどき話題になるヤラセだが、某佐村河内まで行くとやり過ぎな感はあるものの、受け手も少しくらい「そのつもり」で観る必要はあると思う。

嘘だったのか!? きぃーーーーーーーーー!! と怒っているのって、ちょっとバカみたいじゃない?

なんでも疑って、ニュース番組すら信じられなくなる世の中はイヤだけど。

小林よしのりが自分に起こったエピソードとして、漫画でこんなことを描いたことがある。

密着取材を受けていて、駅の改札を通った際、

「正面からのショットがほしい。駅員に許可を取るので、もういちど改札を通ってもらえませんか」

と、ディレクターに頼まれたそうだ。

それに対して小林は「これってドキュメンタリーじゃないのか? これって、事実の再現なのだろうか? ヤラセとはいえないのか?」と疑問を呈す。

こういうことを繰り返して、ひとつのテレビ番組が出来上がる。
映画のドキュメンタリーだって同様であるし、これまたよくいわれることだが、素人であっても、カメラを向けられた途端に「カメラに撮られている」ことを意識し、ふだんとはちがう言動を取る傾向にあるのだ。


というわけで。
今回の初体験シリーズは、「初めてのテレビ番組出演」でいってみよう。

テレビ畑の友人知人が多いから、コネを用いてバラエティ番組の観覧をしたことは何度もある。
あるが、「主要な」出演者としてテレビ画面に登場したことはない。

2回ほど画面に「映りこんだ」ことがある程度であり、今回はそのうちのひとつを記す。


俳優やタレント志望ではないので、テレビに出たいと思ったことはないし、カメラを向けられたとしても緊張して「あわあわ」してしまうことは容易に想像出来る。

なにがなんでもテレビに出たい―そんな野心が殺人にまで発展しまうのは、ニコール・キッドマンの『誘う女』(95…トップ画像。この脚!!)だった。

彼女の気持ちはぜんぜん分からないが、彼女に魅せられ、彼女の旦那を殺そうとする高校生(ホアキン・フェニックス!!)の気持ちは、分かり過ぎるほどに分かるなぁ!!


自分の話に戻る。
格闘技の中継において「実況席のすぐうしろで観戦していた」格闘技マニアのひとりとして映りこんでしまったのが、ひとつ目。

ふたつ目は、フジテレビの深夜番組『カルトQ』だったのだが、この番組の説明と、そのときのエピソードは、あす綴ろう。


つづく。

※第1回目のお題は、ディズニーランドだった




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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(118)』

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映画の記憶

2015-03-24 05:45:07 | コラム
自宅でのブルーレイ鑑賞も含めての話だが・・・
ここ数年の映画鑑賞総数は、年間150~180本程度。

だいたい、2日に1本の割合で映画に触れている。

最も多く映画に触れていたのは高校2~3年時で、年間400本ちかく。

1日に1本以上だぜぇ。
まあね、あのころは友達居なかったし、勉強もしていなかった。
やることといったら、自慰かアルバイトかビデオ鑑賞だったのだ。

専門学校の時代は、高校時代と比べれば忙しくはなったが、映画を観ることが勉強につながるわけで、年間300本は観ていたはず。

映画館でアルバイトをしていた20~22歳のころは年間250本、
30歳を過ぎたあたりから本数が減っていく・・・ものの、100本を切ることがないように気をつけ? ていた。

15歳を映画小僧の元年と位置づけたとすると、キャリアは約25年。
年ごとのばらつきを修正して、毎年の平均鑑賞数を150本とした場合、現在までに、少なくとも3750本の映画に触れてきたことになる。

・・・思ったより少ないな。

まぁ、少なくとも、、、だから。

たぶん4000本は超えていると思う。
そうでなければ映画小僧なんて自称出来ないし。

まぁいいや。
そのくらい観ているというと、よく「観たすべての作品を覚えている?」などと聞かれる。

まさか!
驚異の記憶力で映画批評を展開していた淀川さんだって、すべての作品を覚えていなかったはず。・・・たぶん。

基本は、つまらない作品から忘れる。
しかし、あまりにもつまらな過ぎると、かえって印象に残り、いつまでも忘れないこともある。

モノスゴ泣いたはずなのに、ほとんど記憶に残らない作品だってある。


映画の記憶。
出来とは無関係に、観た状況によって左右される傾向にある―というのは「あるある」だと思う。

初めてのデート、だとか。
(現在では、ほとんど起こらないだろうが)初めての立ち見、だとか。
劇場で痴漢に遭ったという女子も居るはずだし。

自分の場合は、映画としては大したことのない『ブロークン・アロー』(96)を観た帰りに財布をなくしたものだから、この映画のことはよく覚えている。

あと前にも書いたが、生涯で唯一「劇場で自慰をしてしまった」という意味で、やっぱり大したことのない映画『優駿 ORACION』(88)のこともよく覚えている。

え?

馬で興奮したわけじゃないよ、斉藤由貴ちゃんね。




スコセッシや黒澤、リンチの映画について語ると、「細かいところまで、よく覚えているね!!」と感心されることも多いが、
いやいや、それは単に「繰り返し鑑賞」しているから、いつの間にか隅々まで覚えてしまっただけのこと。

記憶力という能力においては、他者より秀でているところなんかないと思う。

あっ、ひとつだけ。
他者が話した映画についてのことを、本人以上に記憶しているという妙な? 能力だけは自信がある。

だから「きみは、この映画について、こんな評価をしていた」と自分がいい、相手に驚かれることが多い。

「そうだったっけ?」
「うん、そういっていた」
「なんでそんなことまで、覚えているの?」

・・・・・。

なんでだろうねぇ。


それはたぶん、自分がこう評価した映画について、彼や彼女はどう評価するのだろう―という疑問に、最大の関心を抱いているから、、、なのではないかな。



※やっぱり70年代の米映画がいちばん好き。

この映画のモンタージュ、すべての作品をいい当てられますか?




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にっぽん男優列伝(271)野村宏伸

2015-03-23 07:17:54 | コラム
65年5月3日生まれ、49歳。
東京出身。

公式サイト

3年ほど前に、若手俳優の市原隼人くんを取材しました。
10年ぶり、2度目の取材。

10年も経過すれば、変わって当然。
とはいえ、あまりの変わりように驚いたというか、少し笑ってしまったというか。

市原くんのデビューは、2001年の岩井俊二監督作品『リリイ・シュシュのすべて』。



クラスで目立たない、気弱で、ひどく繊細な少年―というキャラクター像があまりにも鮮烈だったため、本人もそんな感じ・・・と捉えた映画ファンは多かったはずです。
たぶんそれがイヤで、重荷で、あのように? イケイケなキャラクターへと変貌を遂げたのではないでしょうか。

そう思ってしまうほどの、変わりっぷりでした。

イメージ商売って大変だなぁ! と思います。

自分にとっては、野村宏伸(のむら・ひろのぶ)さんも同様です。

ヤサ男といったらいいのか、そんなキャラクターを演じることがひじょうに多いひと。
テレビドラマ『教師びんびん物語』(88、フジテレビ)で、トシちゃん相手に「先輩~!!」と泣きつく姿をすぐに思い浮かべちゃいますもの。

まもなく50歳を迎えるというのに、まだちょっと童顔―ヒゲを生やしているのも、ヤサ男具合を薄めようという努力の表れのような気がしますし。

<経歴>

84年―オーディションに勝ち残り、映画『メイン・テーマ』で助演を務める。
薬師丸ひろ子の相手役という、とってもラッキーなデビューでした。

※劇場で観たはずなのに、ぜんぜん覚えていません苦笑
野村さんの演技もアレですが、薬師丸ちゃんも、なかなかなもんです。





80年代は、ほとんど角川専属俳優としてキャリアを築きます。

『ボビーに首ったけ』(85)、『BE・FREE!』(86)、
角川春樹が「調子に乗って」自分で監督しちゃった珍品『キャバレー』(86)、
河合美智子が初々しくて可愛かった『恋人たちの時刻』(87)、『天と地と』(90)、『福沢諭吉』(91)、『大失恋。』(95)。

95年、『学校の怪談』で教師を演じる。
主役は子どもたちですし、売りはホラー描写ではあるものの、現時点における映画の代表作になるかもしれません。
現に96年の第二作、97年の第三作にも出演していますし。

『時をかける少女』(97)、『F』(98)、『ジューンブライド 6月19日の花嫁』(98)、
『花と蛇』(2004)、『丹下左膳 百万両の壷』(2004)。

2005年、敢えて着ぐるみを主人公にした『コアラ課長』に主演。
ナンセンスムービーの雄、河崎実による怪作ですが、出来は・・・です。

バイト雑誌のCMで着ぐるみパンダが登場していますが、あっちのほうがクオリティ高いと思いますマジで。

『卍』(2006)、『津軽百年食堂』(2011)、『ゼウスの法廷』(2014)、そして最新作は2014年の『邂逅』。


180cmの長身ですし、なんだかもったいない気もします。
市原くんのように「変身」しちゃうのも「あり。」ですが、むしろそのヤサ男感を突き詰めれば、強烈なインパクトを放てるのではないでしょうか。

まぁそれで挑戦したのが、着ぐるみコアラだった、、、というわけなのですが。


次回のにっぽん男優列伝は、袴田吉彦さんから。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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にっぽん男優列伝(270)根津甚八

2015-03-22 05:42:44 | コラム
47年12月1日生まれ、67歳。
山梨出身。

公式プロフィール

ビートたけしの顔面麻痺。

田代まさしの、何度目かの逮捕時。

そして根津甚八(ねづ・じんぱち)の、焦燥し切った顔。

あんまり趣味のいいことではないですが―これ、自分にとっての「三大・芸能史における、ショッキングな顔の変化」。

根津さん。
あんなに男前で、あんなに女にモテそうだったのに・・・。

2004年―交通事故を起こして、被害者を死亡させてしまう。
その数日後、テレビカメラがおさめた根津さんは、精神的なショックからひとりで移動することも出来ず、夫人に支えられて、ゆっくり、ゆっくりと歩いていました。

うつ病を患っていたそうです。

本人や夫人のショックも相当なものだったでしょうが、大好きな俳優のひとりでしたので、自分も堪えました。

現在は俳優業を引退、スタッフとして業界には留まっているものの、スクリーンで拝むことは出来そうにありません。


※石井隆と出会って以降の根津さんは、ほんとうに活き活きとしていたなぁ




<経歴>

野球で有名な日大三高出身。

69年、状況劇場(主宰・唐十郎)に入団。
真田十勇士から取った根津甚八という芸名は、唐十郎がつけたそうです。

映画俳優デビュー作は、75年の『濡れた賽の目』。

日本映画で初めてR指定を受けた唐十郎の怪作『任侠外伝・玄海灘』(76)、
初主演を果たした『その後の仁義なき戦い』(79)、
黒澤にも見初められ、『影武者』(80)に出演する。

『駅 STATION』(81)、傑作『さらば愛しき大地』(82)、『この子の七つのお祝いに』(82)、『キッドナップ・ブルース』(82)
黒澤の『乱』(85)、『竜馬を斬った男』(87)、『吉原炎上』(87)、『肉体の門』(88)、『226』(89)、『ラッフルズホテル』(89)。

91年、石井隆と出会い『月下の蘭』に出演。
以降、『ヌードの夜』(93)や『天使のはらわた 赤い閃光』(94)、『夜がまた来る』(94)、『GONIN』(95)などで石井組の常連俳優となる。

とくに『夜がまた来る』は、皆に観てほしい傑作。
堕ちて輝くヒロイン・名美(夏川結衣)を愛し、必死で守ろうとする村木を鮮烈に演じています。

名美と村木はいろんな俳優が演じていますが、個人的には、夏川×根津のコンビが最強ですね。

『ルビーフルーツ』(95)、『さよならニッポン!』(95)、『南の島に雪が降る』(95)、『夏時間の大人たち』(97)、『不機嫌な果実』(97)、『黒の天使 Vol.1』(98)、『たどんとちくわ』(98)、CGがハリボテのようだった『梟の城』(99)、『金融腐敗列島 呪縛』(99)。

2000年代に入ると・・・

『死者の学園祭』(2000)、『REDSHADOW 赤影』(2001)、『許されざる者』(2003)、『ドラゴンヘッド』(2003)、『るにん』(2004)などなどキャリアは途切れないものの、なかなか作品には恵まれないようになりました。

じつは、事故を起こす前の2002年には「右目下直筋肥大」を患い、それを隠すためのメイクにひじょうに時間を要したとか。
根津さんは俳優活動を縮小、そこで起きたのが、あの交通事故だったのです・・・。

不幸の連続を前にしては、気の毒としかいいようがありません。


可能であればスクリーンの世界に復帰して、あの男前な演技をもういちど拝みたいところではありますが。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『にっぽん男優列伝(271)野村宏伸』

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