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花見んと群れつゝ人の来るのみぞ
あたら桜のとがにはありける 西行法師
(写真は、円山公園の奥(上)の方にあるしだれ桜です)
花見に大忙しの3月27日の夕刻、京都観世会館へ出かけました。
「能はわからないから・・・」と渋る主人を
「私も全くわかっていないけれど
わからない、わかろうとしないのが能の好いところみたいよ。
眠くなったら寝ててかまわないから・・・」と言いくるめ見にいったのは、
京都能楽養成会「平成二十四年度研究公演」でした。
そこで思いがけず、能「西行桜」との夢のような出逢いがありました。
もう、このような能は二度と見れないのではないかと思うほどです・・・。
「西行桜」は二度目ですが、初回は東日本大震災のために
3月末上演が延期され、八月末の暑い盛りの上演でした。
それで、願わくは花の盛りに見ておきたい・・と。
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西行庵(京都市東山区)
「西行桜」のあらすじは
京都の西行の庵。
毎年春になると庵の桜が満開に咲き、大勢の人々が花見に訪れます。
西行は庭に通しますが、閑居を妨げられるので煩わしく思い、前掲の歌を詠みます。
その夜の夢に、桜樹の木陰から白髪の老人が現れて、
「非情無心の草木の 花に憂き世の科はあらじ・・・
桜はただ咲くだけのもので、咎などあるわけがない」と言い、
「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭します。
そして自分は桜の精だと名乗り、歌仙・西行に逢えたことを喜び、
名所の桜を讃えて舞を舞い、春の夜を楽しみます。
やがて夜が明けると、老桜の精は消え失せ、西行の夢も覚めます。
そこには老木の桜が雪のように花を散らしているのでした。
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京都御苑のしだれ桜
舞台中央に桜樹が運び出され、いよいよ「西行桜」が始まりました。
西行法師(ツレ)がまどろみ始めると、桜樹の幕がはずされ、
老桜の精(シテ)が現われます。
腰掛に座っている姿からして、今までに観た能役者と違っていました。
なんと形容してよいやら・・・
老いてこそ、にじむように漂う品格・・・枯淡のあじわいでしょうか。
枯れ果てて、なお運命に従って咲こうとする老桜の命がありました。
踏みしめながら立ち上がり、西行の前に現われ、詠じる声を聞いて
さらに驚きは増してゆきました・・・老桜の精そのものなのかと。
後見が杖を持たせましたが、それがまったく自然の有様で、
寂びた舞がさらなる幽玄の世界へ、
春の夜の夢のようなまどろみへ心地好く誘います。
舞い終えて橋掛かりへ去ってゆく後姿のなんと雄弁なことか!
踏みしめる一歩一歩がいろいろなことを語りかけて来て、
ずっーとこのまま見ていたい、心に刻みつけたい・・と思いました。
能役者のすべてが最後の一歩まで凝縮されている舞台でした。
演じたのは片山幽雪です。
風さそふ花のゆくへは知らねども
惜しむ心は身にとまりけり 西行法師
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西行庵(京都市東山)
(忘備録)
京都能楽養成会「平成二十四年度研究公演」 平成25年3月27日(水)
於 京都観世会館
番組
舞囃子 「田村」 今井清隆
舞囃子 「吉野天人」 樹下千慧
舞囃子 「桜川」 大江広祐
小舞 「細雪」 茂山千五郎
能楽 「西行桜」 片山幽雪 囃子方 河村 大、前川光長
小林努 曾和博朗、杉 市和