濃茶席の余韻が残る中、薄茶席へ入りました。
実は東京美術倶楽部へ到着後、すぐに関西からいらした東茶会会員のSさまにバッタリお会いしました。既にお席を回られ、これから帰るというので
「いかがでしたか?」とお尋ねすると、「薄茶席の風炉の九山八海という灰形を見逃さないように・・・素晴らしかったです!」と教えてくださり、楽しみでした。
薄茶席は、宗徧歴史研究会の岡本宗因氏のお席です。
宗徧歴史研究会は、茶道の世界では珍しく点前の講習や許状の発行を行わない、山田宗徧という江戸時代前期〜中期に活躍した千家流の茶人の生き様にフォーカスを当てた法人で、師・千宗旦から山田宗徧へ譲られた利休四方釜、桂川籠、大事の火箸など、数多くの利休ゆかりの茶道具を散逸を防ぐために保管し、さらに宗徧の茶の湯を今に伝える活動をしているそうです。
薄茶席へ入り床前のお席へ座りました。お正客様から6人目くらいで点前座が見やすい席です。実は何度か宗徧流の点前は見ているのですが、よく覚えておらず、お点前をじっくり拝見できそう・・・と楽しみでした。
今点前が始まらん・・・というその時に、後部の襖が開き、なんと武者小路千家の千宗屋氏が遅参し、正客席の方が正客をお譲りするという一幕がありました。正客としてご招待されていたのかもしれませんが、私は富士庵流の茶会で、一般のお客さまと一緒に並んで席順を待っていらした富士庵流お家元のことを思い出していました・・・。
お点前は宗徧流分派(?)の次期家元のお坊様で、歩き方や歩数、歩いている場所も違うのに先ずびっくりしました。お点前が始まると菓子が運ばれ、菓子を取る方々の身体に隠れてしまいお点前が全く見れなくなりました。
それで、お正客と席主のお話に耳を傾けることにしました。
興味深かったのは利休四方釜のお話しでした。利休四方釜は蓋だけが残り、その蓋に合わせて釜が造られたそうですが(詳しくは「江岑夏書」を参照のこと)、その釜も歳月を経て使えなくなっていたのを最近直して、今日の茶会で使っているとのことでした。
色々なお話が交わされ、お正客さまが食べるまで待っていたのでやっとお菓子を食べました・・・これが絶品でして銘「是空」(榮太楼製)、黒糖の上品な味わいが忘れられません。お茶(銘「妙寿」芳香園詰)も美味しく頂戴しました。
こうして最後の挨拶となり茶会が終了したのですが、席主から風炉の灰形のお話が出ないまま終わりました・・・それで、席主へ近寄り「友人から風炉の灰形が見事なので見るように言われたのですが、拝見してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ風炉の前で御覧ください。この灰形は「九山八海」といい、風炉の中に・・・」いろいろ説明してくださいましたが、初めて見る灰形にもう!目が釘付けです。
前面に山のような鱗灰が黒々と聳え立ち(そのような印象を受けました)、その異様なまでの迫力に圧倒され息を呑みました。「九山八海」とは仏教の世界観を表わし、須弥山(しゅみせん)を順に取り囲む九つの山と八つの海のことで、一つの小宇宙を表わしているとか。
鱗灰の山は須弥山でしょうか? わからないながらも小さな風炉の中に仏教の小宇宙が見事に表わされていて、どうしてこのような灰形が宗徧流に伝わったのかなど・・・知りたいことばかりです。とりあえず危うく見逃すところだったので、Sさまとの奇跡的な出会いに感謝いたします。
こうして、東茶会の薄茶席が終了し、15時にはKTさんとKYさんと3人で帰路につきました。素晴らしい一日でした。
ここのところ忙しかったので、やっと今日(5月17日)アップできました・・・
忘備録として会記より床かざりなど一部を掲載します。
薄茶席 花の間 主 岡本宗因
床 翠巌宗珉筆 一行 「為佗閑事長無明」
書院 利休四方釜箱書
脇床 四方菴扁額 翠巌宗珉筆
花入 桂川籠写 便山作 龍渓受筒
花 華鬘草 芍薬 白撫子
香合 鎌倉彫 政子
釜 利休四方 宗旦・宗徧箱
風炉 唐銅 道安 浄中造 ・・・後略・・・
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