暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

ヨコハマトリエンナーレ2020・・・(2)アートに触れる

2020年08月18日 | 美術館・博物館

                              「からみあい」

 

(つづき)

見る順番があるのかもしれませんが、思いつくまま記します。

1.エヴァ・ファブレガスの作品「からみあい(Pumping)」

「なに! これ?」と思うポップな巨大アートです。赤、白、ピンク、黄の明るい色調と作品の持つ力強いエネルギーがコロナ禍の抑圧された心に安堵感をもたらします。アルコールで手を消毒して触ってみると、意外としっかりとした素材で出来ていて、空気でパンパンになったゴムまりのような弾力がありました。見る角度によって違う印象のオブジェになり、つい写真をたくさん撮りたくなる作品です(写真自由なのも好いですね)。

できることなら、作品にダイビングして作品とからみあいたい、この中で癒されまどろみたい・・・と。

 

2.映像を使った作品がたくさんありました。

    レボハング・ハンイェ  「今もここにいる」

白と黒のコントラストの映像が不連続に映し出されます。モノクロの活動写真を見ているようなノスタルジックな映像ですが、ある黒人家庭の日常生活を描いているように思いました。記念に・・・と思ってシャッターを押した写真がこれでした。

 

      チェン・ズの作品(作品名 ?)

窓のある壁に映像が映し出されています。壁の向こうにいる観客のシルエットが作品を生き生きと変化のあるものにしています。

 

    サルカ―・ブロティク  「光線」       」

「からみあい」の近くの廊下の壁にスクリーンがあり、気が付かないで通り過ぎてしまう作品です。

黒いスクリーンは何もない空間のようでしたが、光がもたらす映像が次々と映し出され、このような光の捉え方があるのか・・・と思わず見入りました。花火のように消えては現れる映像は儚い、つかの間の生命や物体の輝きを伝えているのでしょうか。

 

3.仕切りのもたらす空間の美

大きな会場は壁、スクリーン、蚊帳のような囲いなどで仕切られていて、その空間が「光と影をとらえて」魅力的な作品となっていました。

 

(作品とそれを見る人々が新たな魅力的な空間(作品)を生み出しています)

 

4.フィギュア/203

2Fの回廊のような廊下にある作品「フィギュア/203」、作者は金地徹平。

壁面いっぱいの抽象画とアクリルケースの中のフィギュアたち。フィギュアには白い石膏が塗られ、わからないなりに惹きつけられました。

実存の否定なのか、次なる変化の過程なのか・・・きっと重苦しいテーマなのだろうと思いながら、フィギュアの軽みが救いとユーモアさえもたらしている。

この作品をお気に入りの1つにしようっと。

 

 

5.作品に込められたメッセージ

終わり近くなり、頭も足も疲れてきた頃、回廊の壁面に砂時計と鍵束が展示されていた。

「砂時計とガラスの鍵束? これも展示品なのかしら?」

 タイスィール・バトニジ  「無題」(上) 「停止した時間」(下)

解説を読んで作品に込められたメッセージを知り、襟を正して、再度作品を拝見しました。

作品解説から・・・

砂はこぼれて、土地を分ける危険な境界線を越える。わたしたちはバリケードを超え、検問所を通過する。鍵を使っていくつもの壁を通り抜ける。

この鍵の束は、バトニジがアンマンから故郷ガザに帰ろうとしてかなわず、パリにたどり着いたときに持っていた11本のカギを複製したものだ。

鍵を持っていても、それを使って空間を獲得したり、その空間内を移動したりできないなら時間は静止する。

砂時計の中を見てごらん。 沈黙してしまった。

 

「ヨコハマトリエンナーレ2020」(現代アートの国際展)は、作品を通して作者のメッセージを伝える場でもあります。

そのメッセージをきちんと受け取るのも、同じ地球に今を生きる者としてとても大切なこと・・・と思いました。

あまりの暑さに「プロット48」(徒歩7分かかる別会場」は残念ながらパスして帰途につきました。  

 

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