ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

日本経済新聞紙の池澤夏樹さんの「旅に根ざす創作の道 3」を楽しみました

2014年11月01日 | 日記
 2014年10月29日に発行された日本経済新聞紙の夕刊中面に掲載された、小説家の池澤夏樹さんへのインタビュー記事「旅に根ざす創作の道 3」を拝読しました。今回はサブ見出し「ギリシャ気に入り最初の移住 沖縄生活10年重い現実発信」という中身です。

 池澤さんは世界中を旅する内に、どこかの外国に住みたいと思い始め、1974年にギリシャを一度旅行して気に入り、翌年の1975年の夏にギリシャのアテネ市に移住したそうです。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版には見出し「(人間発見)作家池澤夏樹 旅に根ざす創作の道 3」として掲載されています。



 1975年にギリシャのアテネ市に移住した池澤さんは、日本人旅行者の通訳ガイドなどで生計を立てます。ギリシャは季候がよく、食べ物が美味しく、物価が安くて住みやすかったそうです。

 家族の事情と池澤さんの日本語への愛着などの理由で、ギリシャを去り、アフリカを約3カ月間旅行してから、1978年春に日本に帰国します。帰国後はギリシャ人が監督した映画「旅芸人の記録」の日本公開版の字幕作成の仕事を手がけます。

 日本に帰国した後に、池澤さんは沖縄に行ってみると歌や踊りなどの生活が気に入り、1994年に那覇市でアパートを借りて5年間住み、さらに知念村(現在の南城市)に家を建てて、さらに5年間、合計10年間住んだそうです。

 沖縄県に住んでいた10年間には、池澤さんは仕事で欧州に行くことが多くなり、欧州が気に入ったことから、2004年夏にフランスのフォンテンブローに移住します。ここはでは、毎日開催される朝市“マルシェ”で新鮮な食材を買って、料理したことが楽しかったと伝えます。

 日本を含めて、池澤さんは世界各地を数年間ずつ、移住しながら暮らす生活はあこがれますが、現実的にはその実現はかなり難しいことです。現地で生活して、生計を立てるすべが必要になるからです。池澤さんは翻訳などの言葉を武器に各地での生活を成り立たせます。

 “積ん読く棚”に池澤さんが執筆したり、まとめたりした「池澤夏樹の旅地図」(発行は世界文化社)という単行本があります。2007年3月15日に発行されています。

 この単行本を読むと、池澤さんは27歳の時から、ミクロネシアの島々の各地に旅するようになり、この結果、1978年に詩集「塩の道」を出します。ミクロネシアの島々への旅を手がかりに「日本以外の世界を見よう、捉えよう」と考え、世界各地への旅を始め、これがギリシャへの移住につながります。そして、ギリシャ紀行などの著作をその後に執筆します。

 世界各地に移住し、現地の人々の生活を見ながら、いろいろと考えたことが、その後の小説の素になっているようです。うらやましいようですが、現実の生活はかなり厳しかったと思います。でも楽しいようです。

(追記)池澤夏樹さんの紀行記では、1996年に発行された「ハワイイ紀行」(発行は新潮社)と2004年に発行された「パレオマニア」(発行は集英社インターナショナル)が好きで、たまに拾い読みしています。