2014年1月16日午後6時から東京農工大学が開催した「中村修二教授 ノーベル物理学賞受賞 特別講演」を聴講した話の続きです。
特別講演会のタイトルは「青色LEDの開発歴史と、青色が照らす地球の未来」です。
中村さんは博士号を取得するために、当時製品化が難しいと考えられていた青色LEDの研究開発を研究テーマに選びます。勤務していた日亜化学工業は徳島県阿南市の蛍光体などを手がける中小企業でした。その地方企業が青色LEDを実用化・製品化すれば、その事業の主導権を獲れるのではと考えた研究戦略・事業戦略です。当時は漠然とした戦略だったことと推定できますが・・。
日亜化学の開発課に所属していた中村さんは、当時の日亜化学の社長の小川信雄さんに直訴し、研究費3億円を出資してもらいます。ノーベル物理学賞を受賞した記者会見時に「当時社長の小川信雄さんは大恩人」と感謝を示しています。
中村さんは「青色LEDの研究で博士号をとるには、研究者が少なくあまり実験データが発表されていない窒化ガリウム(GaN)による半導体構造の作成を選びました」と、最初の着眼点はあまり研究されていない分野だったことを明かします。
窒化ガリウムはガリウム原子と窒素原子の結合が強いために、これを作製するには、約1000度(摂氏)の高温下で、アンモニア(NH3)を分解してつくった窒素とガリウムを反応させるという過酷な環境での反応が必要でした。当時のケイ素(シリコン)系の半導体作製では用いない過酷な厳しい環境でした。
このため、中村さんは2億円ほどするMOCVD(分子化学蒸着、あるいは有機金属気相成長)装置を購入してもらい、改良を加えました。この結果、有名な“ツーフロー法”を実現しました。中村さんが実験装置を自ら改良する“テクニッシャン”としての腕前の持ち主だったことが奏功します。
以下は、中村さんの研究内容の“さわり”です。実は、中村さんは具体的に自分が発明した技術内容を切々と説明したのですが、東京農工大学の講演運営では会場を真っ暗にしたために、肝心な点をメモすることができませんでした。かなり具体的な説明でしたが、青色LEDを高輝度化する「ダブルヘテロ構造」の仕組みを十分に書き取れませんでした。
「ダブルヘテロ構造」とは、活性層の両側に活性層よりもエネルギー・ギャップが大きいクラッド層を挟んだ構造のことです。発光する主役の電子と正孔(ホール)を活性層内に閉じ込める効果があります。
加熱したサファイア(Al2O3、アルミナ)基板に対して、水平方向からGa(ガリウム)化合物を含む原料ガスを、垂直方向から窒素および水素ガスを基板に垂直に送り込むツーフローMOCVD装置を開発しました。この開発した技術は、後に“ 404特許”(特許第2628404号)といわれる、後の日亜化学工業との知財裁判(特許裁判)の争点になったものです。
このツーフローMOCVD技術と、アモルファスGaNバッファー層の採用によって良質なGaNとInGaN(インジウム・ガリウム・窒素)単結晶を作製できるようになりました。また、Mg(マグネシウム)を添加したGaNを熱処理することによって、Mgと結合していたH(水素)を乖離(かいり)させて活性化し、p型になることを見いだしました。「この二つを発見した」と説明します。これが「ノーベル物理学賞に値すると認められた“発見”内容だ」と解説します。
この結果、InGaNを発光層に用いたダブルヘテロ構造のLEDを作製し、発光効率2.7パーセントと高輝度の青色LEDを実現し、1993年11月に日亜化学工業は世界で初めて製品化しました。
以上のことを、中村さんは例によってやや早口で語ります。中村さんは日本の高校生に研究者としての姿勢を伝えたいという意志を持っていました。しかし、高校生の主に物理の知識レベルを考えると、もう少しかみ砕いて説明しないと、高校生は“発見”内容を理解できないと思います。相手の知識レベルを考慮し、自分が伝えたい内容をどのように伝えるかという“科学技術コミュニケーション”の工夫が足りません。
日亜化学工業を退職されたころから、中村さんの講演会や記者会見などを拝聴し、それなりの理屈はあると感じています。中村さんが“科学技術コミュニケーション術”を会得すると、“鬼に金棒”なのですが。
(追記)
中村さんは青色LEDを用いた照明器具が普及し始めているが、今後一層高輝度を追究していくと、青色LEDは高輝度化を目指して入力電流を増やすと、限界が見えてくる。これに対して、青色レーザーにはその限界がないので、今後は青色レーザーを用いた照明器具が本命になると説明しました。これも大きな技術革命を起こしそうです。
特別講演会のタイトルは「青色LEDの開発歴史と、青色が照らす地球の未来」です。
中村さんは博士号を取得するために、当時製品化が難しいと考えられていた青色LEDの研究開発を研究テーマに選びます。勤務していた日亜化学工業は徳島県阿南市の蛍光体などを手がける中小企業でした。その地方企業が青色LEDを実用化・製品化すれば、その事業の主導権を獲れるのではと考えた研究戦略・事業戦略です。当時は漠然とした戦略だったことと推定できますが・・。
日亜化学の開発課に所属していた中村さんは、当時の日亜化学の社長の小川信雄さんに直訴し、研究費3億円を出資してもらいます。ノーベル物理学賞を受賞した記者会見時に「当時社長の小川信雄さんは大恩人」と感謝を示しています。
中村さんは「青色LEDの研究で博士号をとるには、研究者が少なくあまり実験データが発表されていない窒化ガリウム(GaN)による半導体構造の作成を選びました」と、最初の着眼点はあまり研究されていない分野だったことを明かします。
窒化ガリウムはガリウム原子と窒素原子の結合が強いために、これを作製するには、約1000度(摂氏)の高温下で、アンモニア(NH3)を分解してつくった窒素とガリウムを反応させるという過酷な環境での反応が必要でした。当時のケイ素(シリコン)系の半導体作製では用いない過酷な厳しい環境でした。
このため、中村さんは2億円ほどするMOCVD(分子化学蒸着、あるいは有機金属気相成長)装置を購入してもらい、改良を加えました。この結果、有名な“ツーフロー法”を実現しました。中村さんが実験装置を自ら改良する“テクニッシャン”としての腕前の持ち主だったことが奏功します。
以下は、中村さんの研究内容の“さわり”です。実は、中村さんは具体的に自分が発明した技術内容を切々と説明したのですが、東京農工大学の講演運営では会場を真っ暗にしたために、肝心な点をメモすることができませんでした。かなり具体的な説明でしたが、青色LEDを高輝度化する「ダブルヘテロ構造」の仕組みを十分に書き取れませんでした。
「ダブルヘテロ構造」とは、活性層の両側に活性層よりもエネルギー・ギャップが大きいクラッド層を挟んだ構造のことです。発光する主役の電子と正孔(ホール)を活性層内に閉じ込める効果があります。
加熱したサファイア(Al2O3、アルミナ)基板に対して、水平方向からGa(ガリウム)化合物を含む原料ガスを、垂直方向から窒素および水素ガスを基板に垂直に送り込むツーフローMOCVD装置を開発しました。この開発した技術は、後に“ 404特許”(特許第2628404号)といわれる、後の日亜化学工業との知財裁判(特許裁判)の争点になったものです。
このツーフローMOCVD技術と、アモルファスGaNバッファー層の採用によって良質なGaNとInGaN(インジウム・ガリウム・窒素)単結晶を作製できるようになりました。また、Mg(マグネシウム)を添加したGaNを熱処理することによって、Mgと結合していたH(水素)を乖離(かいり)させて活性化し、p型になることを見いだしました。「この二つを発見した」と説明します。これが「ノーベル物理学賞に値すると認められた“発見”内容だ」と解説します。
この結果、InGaNを発光層に用いたダブルヘテロ構造のLEDを作製し、発光効率2.7パーセントと高輝度の青色LEDを実現し、1993年11月に日亜化学工業は世界で初めて製品化しました。
以上のことを、中村さんは例によってやや早口で語ります。中村さんは日本の高校生に研究者としての姿勢を伝えたいという意志を持っていました。しかし、高校生の主に物理の知識レベルを考えると、もう少しかみ砕いて説明しないと、高校生は“発見”内容を理解できないと思います。相手の知識レベルを考慮し、自分が伝えたい内容をどのように伝えるかという“科学技術コミュニケーション”の工夫が足りません。
日亜化学工業を退職されたころから、中村さんの講演会や記者会見などを拝聴し、それなりの理屈はあると感じています。中村さんが“科学技術コミュニケーション術”を会得すると、“鬼に金棒”なのですが。
(追記)
中村さんは青色LEDを用いた照明器具が普及し始めているが、今後一層高輝度を追究していくと、青色LEDは高輝度化を目指して入力電流を増やすと、限界が見えてくる。これに対して、青色レーザーにはその限界がないので、今後は青色レーザーを用いた照明器具が本命になると説明しました。これも大きな技術革命を起こしそうです。