ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

東京農工大学主催「中村修二教授 特別講演」を拝聴した話の続きです

2015年01月22日 | 汗をかく実務者
 2014年1月16日午後6時から東京農工大学が開催した「中村修二教授 ノーベル物理学賞受賞 特別講演」を聴講した話の続きです。

 特別講演会のタイトルは「青色LEDの開発歴史と、青色が照らす地球の未来」です。





 中村さんは博士号を取得するために、当時製品化が難しいと考えられていた青色LEDの研究開発を研究テーマに選びます。勤務していた日亜化学工業は徳島県阿南市の蛍光体などを手がける中小企業でした。その地方企業が青色LEDを実用化・製品化すれば、その事業の主導権を獲れるのではと考えた研究戦略・事業戦略です。当時は漠然とした戦略だったことと推定できますが・・。

 日亜化学の開発課に所属していた中村さんは、当時の日亜化学の社長の小川信雄さんに直訴し、研究費3億円を出資してもらいます。ノーベル物理学賞を受賞した記者会見時に「当時社長の小川信雄さんは大恩人」と感謝を示しています。

 中村さんは「青色LEDの研究で博士号をとるには、研究者が少なくあまり実験データが発表されていない窒化ガリウム(GaN)による半導体構造の作成を選びました」と、最初の着眼点はあまり研究されていない分野だったことを明かします。

 窒化ガリウムはガリウム原子と窒素原子の結合が強いために、これを作製するには、約1000度(摂氏)の高温下で、アンモニア(NH3)を分解してつくった窒素とガリウムを反応させるという過酷な環境での反応が必要でした。当時のケイ素(シリコン)系の半導体作製では用いない過酷な厳しい環境でした。

 このため、中村さんは2億円ほどするMOCVD(分子化学蒸着、あるいは有機金属気相成長)装置を購入してもらい、改良を加えました。この結果、有名な“ツーフロー法”を実現しました。中村さんが実験装置を自ら改良する“テクニッシャン”としての腕前の持ち主だったことが奏功します。

 以下は、中村さんの研究内容の“さわり”です。実は、中村さんは具体的に自分が発明した技術内容を切々と説明したのですが、東京農工大学の講演運営では会場を真っ暗にしたために、肝心な点をメモすることができませんでした。かなり具体的な説明でしたが、青色LEDを高輝度化する「ダブルヘテロ構造」の仕組みを十分に書き取れませんでした。

 「ダブルヘテロ構造」とは、活性層の両側に活性層よりもエネルギー・ギャップが大きいクラッド層を挟んだ構造のことです。発光する主役の電子と正孔(ホール)を活性層内に閉じ込める効果があります。

 加熱したサファイア(Al2O3、アルミナ)基板に対して、水平方向からGa(ガリウム)化合物を含む原料ガスを、垂直方向から窒素および水素ガスを基板に垂直に送り込むツーフローMOCVD装置を開発しました。この開発した技術は、後に“ 404特許”(特許第2628404号)といわれる、後の日亜化学工業との知財裁判(特許裁判)の争点になったものです。

 このツーフローMOCVD技術と、アモルファスGaNバッファー層の採用によって良質なGaNとInGaN(インジウム・ガリウム・窒素)単結晶を作製できるようになりました。また、Mg(マグネシウム)を添加したGaNを熱処理することによって、Mgと結合していたH(水素)を乖離(かいり)させて活性化し、p型になることを見いだしました。「この二つを発見した」と説明します。これが「ノーベル物理学賞に値すると認められた“発見”内容だ」と解説します。

 この結果、InGaNを発光層に用いたダブルヘテロ構造のLEDを作製し、発光効率2.7パーセントと高輝度の青色LEDを実現し、1993年11月に日亜化学工業は世界で初めて製品化しました。

 以上のことを、中村さんは例によってやや早口で語ります。中村さんは日本の高校生に研究者としての姿勢を伝えたいという意志を持っていました。しかし、高校生の主に物理の知識レベルを考えると、もう少しかみ砕いて説明しないと、高校生は“発見”内容を理解できないと思います。相手の知識レベルを考慮し、自分が伝えたい内容をどのように伝えるかという“科学技術コミュニケーション”の工夫が足りません。

 日亜化学工業を退職されたころから、中村さんの講演会や記者会見などを拝聴し、それなりの理屈はあると感じています。中村さんが“科学技術コミュニケーション術”を会得すると、“鬼に金棒”なのですが。

(追記)
 中村さんは青色LEDを用いた照明器具が普及し始めているが、今後一層高輝度を追究していくと、青色LEDは高輝度化を目指して入力電流を増やすと、限界が見えてくる。これに対して、青色レーザーにはその限界がないので、今後は青色レーザーを用いた照明器具が本命になると説明しました。これも大きな技術革命を起こしそうです。

東京農工大学主催の「中村修二教授 特別講演」を拝聴しました

2015年01月21日 | 汗をかく実務者
 2014年1月16日午後6時から東京農工大学は「中村修二教授 ノーベル物理学賞受賞 特別講演」を東京都府中市で開催しました。東京農工大学によると、中村さん(米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)のノーベル物理学賞受賞後の正式な国内での講演会は、これが初めてだそうです。

 特別講演会のタイトルは「青色LEDの開発歴史と、青色が照らす地球の未来」です。



 講演会場になった府中の森芸術劇場は定員が2000人ですが、会場は満員になりました。その内の「約600人は高校生(さらに加えて約100人は高校生をアテンドする高校教員)だ」と、東京農工大学学長の松永是さんは説明します。

 登壇した中村さんは講演の冒頭から、例のやや甲高い声で、怒りを伝えます。今回の2014年ノーベル物理学賞を中村さんが受賞することが発表された2014年10月8日に発行された日本の大手新聞紙が一面で報じた受賞理由は「赤崎勇さんと天野浩さんが青色LEDの基盤技術を、中村修二さんがその量産技術を開発したと報じた 」と、受賞理由を間違えていることを怒っていると伝えます。テレビもほぼ同様の解説をしたと、怒ります。

 日本の大手マスコミがそろって同じ間違いをした原因を、中村さんは、「学術系の識者が間違った見解を持っているから」と解説します。新聞やテレビなどの大手マスコミは、当時の当該コメントを、東京大学などで半導体の構造を決める結晶構造を研究開発している有名教授に求めました。その有名教授たち(講演会では具体的な個人名を指摘)は「赤崎勇さんと天野浩さんが青色LEDの基盤技術を発見・発明し、中村修二さんがその量産技術を開発した」という内容のコメントをしたと、伝えます。

 その証拠として、10月当時に、日本応用物理学会のWebサイトに載った、赤崎さん、天野さん、中村さんの受賞理由となった発見・発明の具体的な内容の解説を示す、某教授の受賞を祝う見解を“証拠”として見せつけます。

 中村さんは「ノーベル物理学賞の受賞対象の範囲には、製品化の量産技術は含まれていない」と解説します。実際に、ノーベル財団がWebサイトに公表しているノーベル物理学賞の受賞対象のWebサイトを示します。「発見(Discovery)と発明(Invention)と書かれています」と解説します。

 ここからは中村さんの今回の受賞理由についての、本人による解説です。まず、中村さんは日亜化学工業に勤務していた時に、米国のフロリダ大学に一度、留学した時に、博士号を持っていなかった(修士号を持つ)ので、当該研究室の学生たちから、研究員の実験をサポートする“テクニッシャン”扱いされ、当時も怒りました。中村さんは「テクニッシャンは実験に参加しても学術論文に名前も載せてもらいない扱い」と解説します。この留学当時、その研究室の博士課程の学生に「これまで書いた学術論文を教えてほしい」と聞かれ、「論文は書いたことがない」と伝えると、研究仲間にも入れてもらえなかったそうです。

 このため、中村さんは博士号を取得しようと、その研究テーマとして当時から着目されていた青色LEDの研究開発を目指します。青色LEDの開発を始めた1989年当時は、青色LEDの半導体構造をつくる材料として、候補材料は3つありました。第一候補は炭化ケイ素(SiC)で1970年代に基本となるpn接合ができ、少し光っていましたが、明るい青色LEDができないという状況でした。第二候補はセレン化亜鉛(ZnCe)で、当時は世界中の研究者が本命材料と考えていました。第三候補は窒化ガリウム(GaN)でしたが、結晶欠陥の少ない結晶を作製するのが難しく、これを研究対象にする研究者はほとんどいませんでした。

 当時の状況を中村さんは説明します。中村さんが日本応用物理学会の講演の大会に行くと、青色LEDの窒化ガリウム系のセッションは、赤崎さん、天野さん、中村さんなどの学会発表を約10人が聴講する程度の不人気のセッションだったそうです。窒化ガリウム系のセッションは発表件数が少なく、すぐに終わるので、その後はセレン化亜鉛のセッションの部屋に行くと、聴講者が500人以上で、立ち見の方が多かった人気のセッションでした。

 長くなったで、この続きは次回に続きます。

さいたま市桜区の桜草公園の奥で、遠目にトラフズクを見ました

2015年01月20日 | 季節の移ろい
 さいたま市桜区の荒川の河川敷にある桜草公園に久しぶりに行ってみました。

 荒川沿いの河川敷に広がる秋ケ瀬公園の一番下流側にある桜草公園では、2014年1月15日にヨシやススキなどの枯れ野の野焼きがあったので、その後を見に行きました。

 4月半ばに、ニホンサクラソウの花が咲く「田島ヶ原サクラソウの自生地」(特別天然記念物に指定)は、野焼き後の草原で、まだこげた匂いがします。



 この野焼き後の草原部分には、ムクドリやツグミなどが地面をつっいて何かエサを探しています。

 桜草公園の裏側にあるササヤブの中では、トラフズグが寝ています。かなり遠くにいます。さらに、ササの葉で顔がいくらか隠れています。





 フクロウ目フクロウ科トラフズク属のトラフズグを連続して観察している方によると、トラフズグは昼間は寝ていて、深夜になるとネズミやモグラなどを捕っているらしいいるとのことです。

 明るい日中は、ほとんど動かないそうです。いくらか風は吹くと、ササの葉が揺れて運が良ければ、顔が見えるそうです。猛禽類のトラフズクも越冬するのは大変なようです。

 荒川河川敷のヨシ原の中に、セイダカアワダチソウが生えている所があります。このセイダカアワダチソウの実を食べに、ベニマシコが飛来しています。







 セイダカアワダチソウが生えている個所は遠いために、ベニマシコは遠目にしか見えません。

 荒川河川敷のヨシ原を進むと、さくらそう水門が目の前に見える場所にでました。



 4月の桜草公園でのソメイヨシノの開花と、それに続くニホンサクラソウの開花が待ち遠しい気分です。

日本経済新聞紙の中外時評「家電市場を変える『IOT』」を拝読しました

2015年01月19日 | 日記
 2014年1月18日に発行された日本経済新聞紙朝刊の「日曜に考える」の中の中外時評「家電市場を変える『IOT』」というコラムを拝読しました。

 1月上旬に米国ラスベガス市で開催された世界最大の家電ショー「2015国際CES」(2015 International CES)の今回の主役は、いろいろな製品・装置をつなぐIOT(Internet Of Things)と呼ばれる最新技術だったと伝えます。ています。このIOTについては、最近いろいろなメディア(主に雑誌やWebサイト系)が解説記事などを載せています。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版でも中外時評「家電市場を変える『IOT』」と報じています。



 IOT は簡単に(大胆に)いえば、いろいろな製品・装置がインターネットを介して、通信し合って情報を集めたりする技術です。人間を介さずに、機械同士が連絡を取り合う仕組みです(IOTはまだ発展途上の技術で、何が実現するのかまだ分かりません)。いろいろな製品・装置が自分の役割に応じた動作と必要十分な知性を備えた「スマートマシン」になるということです。

 2015 International CESの開催初日に米インテル社のCEO(最高経営責任者)のブライアン・クルザニッチさんは、基調講演の中で「Nixie」(ニクシー)という新製品を紹介し、注目を集めました。彼の腕にまいたヒトデのような機器が空中に舞い上がり、空中で講演に登壇している方々の写真を撮影して、また戻って来るパフォーマンスを見せたのです。

 このカメラ付きブーメランのような装置は、位置情報を基に無人で空中を飛ぶドローン(無人小型飛行機)で、ヒトデの脚の各先端に回転翼がついているものです。インテルが開発した超小型コンピューター「Edison」を利用した、米国のベンチャー企業が開発したドローンです。

 インテル社のCEO(最高経営責任者)のブライアン・クルザニッチさんは「今年のCES2015は展示物がこれまでの(液晶テレビなどの)家電製品からIOTにシフトしたことを示した」と語りました。

 日本のセイコーエプソンはIOTを組み込んだ眼鏡型のディスプレーを展示し、こうしたウエアラブル機器が成長すると訴えたそうです。この眼鏡型のディスプレーについては、具体的な中身が説明されていませんが、2014年6月にセイコーエプソンが発売したカメラやジャイロセンサー、加速度センサー、GPS、マイク入力などを搭載した眼鏡型のディスプレーの延長線の展示品と想像できます。

 例えば、カメラを使ってQRコードを読み取ったり、ジャイロと加速度センサーを使って装着している人の首の動き/体の移動に仮想的な映像を追随させるといったことが可能だそうです。

 ドイツの自動車メーカーのアウディやダイムラーは、自動車の自動運転技術を展示しました。この自動運転技術にもIOTが組み込まれています。

 IOTの進展によって、インターネットを介して、必要な情報を自動的に集め、利用することが当たり前になりそうです。今回の2015 International CESは日本の電機産業に新しい変革力を組み込めるのかが問われる大きな潮流を示したそうです。「日本の技術力は評価するが、経営や開発にもっと多様性を組み込まないと、新しいニーズはつかめない」と、2015 International CESを主催した会長のコメントを載せて、記事は終えています。

さいたま市緑区にある見沼自然公園で、冬鳥のシメに出会いました

2015年01月18日 | 季節の移ろい
 さいたま市緑区にある見沼自然公園にカモ類などの水鳥などを見に行った話の続きです。

 広大な見沼自然公園の真ん中に大きな修景池があり、その奥にこんもりとした雑木林があります。ここに野鳥が集まります。

 今回観察できたのは、冬鳥のシメです。背の高い木の真ん中あたりの太い枝に登場しました。





 大きなクチバシが目立ちます。シメは周囲を慎重に見渡しています。



 見沼自然公園の東側を“見沼代用水の東縁”と呼ばれる農業用水が流れています。かなりの水量がある“見沼代用水の東縁”沿いにはキジなどが出てくるために、期待して少し歩いてみました。

 残念ながら、一番小さいキツツキのコゲラにしか出会えませんでした。



 修景池の周囲には、ロウバイが数本、植えられていて、花を咲かせ始めています。





 周囲にロウバイ独特の香気を漂わせています。

 広大な見沼自然公園には、少しずつ“小さな春”が現れています。