“classic”とは:
昨日佐村河内守の件で「あの音楽がクラシックか」と述べたところ、ブログに
「一応この音楽がクラシックに分類されるのは調性がある音楽と無調のものを混合して使い、クラシックの形式に沿った作り方をしてるところにあります。現代ではこの作り方ならクラシックに分類されます。」
とのコメントを頂戴した。
これに敢えて異を唱えることも論争も挑まない。だが、「クラシック」というカタカナ語をここで見直すというか考え直してみようと思うに至った。そもそも音楽で「クラシック」と言われているものを英語にすると“classical music”になるのだと思っている。HMVという嘗てはレコード屋(今やCDだのDVD等が主力では)だったところでもこの表示になっている。
さて、Oxfordには“classic”は“accepted or deserving be accepted as one of the best or most important”が真っ先に出てくる。用例にも「古典音楽」はなかった。ジーニアス英和には最初に「〈文学・芸術などが〉最高級の、第一級の;見事な」とあり、次ぎに「典型的な(typical)、模本的な、標準的な」とある。すると、クラシック音楽とは「最高級か模範的な音楽」かとなってしまうのでは。
次が“classical”となるが、Oxfordには“widely accepted and used for a long time; traditional in style or idea”とあって用例にも「クラシック音楽」はなかった。だが、3番目には“(of music) written in a Western musical tradition, usually using an established form (for example a SYMPHONY) and not played on electronic instruments. Classical music is generally considered to be serious and to have a lasting value.”とあった。用例には“He plays classical music, as well as pop and jazz.”とあり、何となく納得である。
ジーニアスには先ず「〈文学・芸術・科学か〉古典派の、伝統派(←→Romanic):古典的な、伝統的な」とあり、ここでも用例に古典音楽はない。広辞苑には「クラシック」は①古典、古典的な名作。②古典的、古雅なる様。③西洋の古典音楽。」となっている。
であれば、佐村河内守と新垣隆の音楽は模範的ではない感が濃厚なので所謂「クラシック」の範疇から外しても良いのではないのではと考えて終わりにする。
昨日佐村河内守の件で「あの音楽がクラシックか」と述べたところ、ブログに
「一応この音楽がクラシックに分類されるのは調性がある音楽と無調のものを混合して使い、クラシックの形式に沿った作り方をしてるところにあります。現代ではこの作り方ならクラシックに分類されます。」
とのコメントを頂戴した。
これに敢えて異を唱えることも論争も挑まない。だが、「クラシック」というカタカナ語をここで見直すというか考え直してみようと思うに至った。そもそも音楽で「クラシック」と言われているものを英語にすると“classical music”になるのだと思っている。HMVという嘗てはレコード屋(今やCDだのDVD等が主力では)だったところでもこの表示になっている。
さて、Oxfordには“classic”は“accepted or deserving be accepted as one of the best or most important”が真っ先に出てくる。用例にも「古典音楽」はなかった。ジーニアス英和には最初に「〈文学・芸術などが〉最高級の、第一級の;見事な」とあり、次ぎに「典型的な(typical)、模本的な、標準的な」とある。すると、クラシック音楽とは「最高級か模範的な音楽」かとなってしまうのでは。
次が“classical”となるが、Oxfordには“widely accepted and used for a long time; traditional in style or idea”とあって用例にも「クラシック音楽」はなかった。だが、3番目には“(of music) written in a Western musical tradition, usually using an established form (for example a SYMPHONY) and not played on electronic instruments. Classical music is generally considered to be serious and to have a lasting value.”とあった。用例には“He plays classical music, as well as pop and jazz.”とあり、何となく納得である。
ジーニアスには先ず「〈文学・芸術・科学か〉古典派の、伝統派(←→Romanic):古典的な、伝統的な」とあり、ここでも用例に古典音楽はない。広辞苑には「クラシック」は①古典、古典的な名作。②古典的、古雅なる様。③西洋の古典音楽。」となっている。
であれば、佐村河内守と新垣隆の音楽は模範的ではない感が濃厚なので所謂「クラシック」の範疇から外しても良いのではないのではと考えて終わりにする。
現代英語においてはclassicについ以下の様な用法があります。
http://ejje.weblio.jp/content/classic+music
classicalとはoxfordやジニーアスによるところの古典派というものにあたります。
しかしこれを厳密に考えるならばハイドンからベートーベンに至る極狭い時期のみを指す言葉になります。
すなわちブラームスはromanticになり、バッハはbaroqueということになります。
これでは静養古典音楽全体を指す言葉がなくなりかねません。
だから古典音楽全体をclassic musicという言い方をすることは当然あります。
ここで佐村河内、新垣両氏の音楽は”written in a Western musical tradition, usually using an established form (for example a SYMPHONY) and not played on electronic instruments. Classical music is generally considered to be serious and to have a lasting value”ですからクラシックという分類で間違いはないはずです。
また一例として無調の音楽はestablished formではないという見解もあるのですが調性音楽と込に使われる場合は広義のクラシックと分類されます。
現代音楽の曲目であったとしても形式上そう区別されればクラシックとして扱われるのが一般です。
言葉の正確な使用は重要ですがそれが却って問題を生むという事例でもあります。
静養古典音楽全体がclassicだということでつ変わることはあるはずです。
今回は和製英語(=造語)とカタカナ語の延長線上のつもりで「クラシック」と「クラシカル〉を見直しているのです。
kazkさんがご存じであるとは承知での一般論なのです。
ご理解下さい。もし失礼だったならばお許しを。