新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

亡くなっていた野球解説者があれほど多かったとは

2021-07-07 08:46:21 | コラム
強烈なプロ意識の表れだろう:

去る6月30日に2,000本安打を記録されて、故金田正一氏が設立された私的な組織「名球会」会員だった大島康徳氏が亡くなったと報じられていた。私は恐らく大島氏の最後の解説だったのだろうと思われるNHKの中継を見ていた。NHKはその際にアナウンサーと並んでおられた大島氏を映しだしていた。実は、その中継のときには「余り聴いたことがない声だが、もしかすると大島氏か」と感じた程衰えていた。その後で見えた表情は「その状態では非常に無理をされて出演されたのでは」と痛感させられた。そして、旬日を経ずしての訃報だった。ガンであり享年70歳だった。

私はNHKの野球解説の中継では、何年か前に大島氏よりも窶れた声で「これは誰なのだろうか」と思わせられたことがあった。その声の持ち主もその後間もなく亡くなっておられたとの記憶があった。だが、誰だったかがどうしても思い出せなかった。そこで、先ほど検索をかけてみた。そこで驚かされたことは「マスメディアに登場される野球の解説者がこれほど多かったのか」ということと、その中で亡くなっていた方がこれほどまでに多かったのか」という二つの事実だった。

そして判明したのが、あの掠れた声の持ち主が、鉄人と呼ばれていた故衣笠祥雄氏だった事だった。亡くなられたのは2018年で、大島康徳氏同様に未だ未だ若い71歳だった。あの衣笠氏の絞り出すような声を聞いたときには「解説者」という仕事の責務を果たすべく、辛かっただろう状態を耐え忍ばれて登場されていたのだろうと察して板と同時に、そのプロ意識と責任感に非常な感銘を受けていたのだった。

大島康徳氏についても同様な感覚で捉えていた。あの痩せ穂細った体調で出演されただけでも大変な負担だったろうし、見事とでも言いたいプロ意識であり、素晴らしい精神力だと感心しるだけだった。心筋梗塞と心不全で何度も生命の危機に襲われた私には、大島氏の強靱な精神力と責任感と野球に対する情熱は、誠に尊敬に値するものだと思うのだ。

東京に住んで、デイジタル化が進んだ時代に対応しようとも思わずに遅れている私は、野球の中継はNHKとキー局のみに依存している。従ってテレビ・ラジオ・新聞等々のメデイアにはあれほど多くの解説者がいるとは夢にも思っていなかった。目から鱗というよりも、世の中が多様化しているのだったと、あらためて思い知らされたのだった。BSの12チャンネルのプロ野球中継の解説には屡々「そう言えばそういう選手がいたな」と思い出させてくれる人が出ている。そして、そういう解説者の方が「なるほど」と感嘆させてくれるような「野球とは」を聞かせてくれるのだった。



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