新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月25日 その2 オリンピックの開会式に思う

2021-07-25 17:43:06 | コラム
矢張りオリンピックの試合の中継を観てしまうので:

結果として思うように筆が進まない、じゃなかった、中々PCに向かう時間が取れない。本日も女子のソフトボールのカナダ戦が延長戦になってしまったので、気が付けば午後4時半を回っていた。実は、散々ケチが付いた開会式の見物を見送ってしまっていたが、後からニュースで細切れになったものを見て、矢張り一言二言言っておこうと思っていたものが、本25日になってしまった。

順序不動だが、先ずは非礼のことから。それは菅首相と小池都知事が天皇陛下が開会の辞を述べておられるのに、着席したままで途中から立ち上がったのには驚いた。立ち上がった順番は首相が先で都知事如きが後だったのは言語道断だと言いたい点。マスコミはこの事を余り叩いていないような気がするのだが。

次はMISIAなるポピュラーミュージックか、ジャズか何の範疇の歌手か知らない女性に、事もあろうに国歌を歌わせた感覚には呆れて物も言えなかった。苟も国家行事(なのだろうか)であろうオリンピックで天皇陛下ご臨席の場で、私がその存在をうすボンヤリとしかその知らない程度の言わば流行歌手に、国歌を歌わせる選択をした担当の演出家か組織委員会を軽蔑したい。マスメディアが最も気にする外国に「日本にはクラシカル音楽の歌手はいないのか」とでも言われたらどうする気だったのか。

何年前だったか、サッカー協会が国際試合の前に和田アキ子に国歌を歌わせたことがあった。私は口を極めてその不見識を非難した、国辱的ではないかと。組織委員会だが何処の誰かは知らないが、MISIAとは悪趣味の極みだし、不見識である。尤も、江上剛とやらいう作家は「MISIAが澄んだ声で国歌を歌った」と有り難がっていた。私とは趣味が違うようだ。

法被を着た若い衆を踊らせた感覚は既に批判したが、海老蔵を出したのも如何なものかと思った。私は歌舞伎は詳しくないが、ある批評家は「テレビ局は海老蔵を持ち上げるが、歌舞伎役者としては決して評価できる存在ではない」と言っていた。私はあの奥方を不幸にもガンで失ったことを、マスコミに悲劇として取り上げられなければ、あれほど持て囃されることがなく、あれほど歌舞伎界の寵児の如くに扱われなかっただろうと見ている。諸外国に対して歌舞伎を見せれば感動して貰えるとでも思ったのか。

長嶋茂雄氏、王貞治氏、松井秀喜を登場させた演出は、俗受けを狙った企画だと思って疑問に感じた。あの巨人軍のお三方がどれほどオリンピックに貢献したのだろうか。プロ野球界の大スターであった事は確かだが、野球がそれほど普及していない諸国に、彼らを起用した意義を認めて貰えるのだろうか。まさか、読売新聞に配慮でもしたのではないだろうな。

私は全く知らない世界のことで論評のしようもないが、選手入場の行進曲に「マリオ」だかの音楽を使ったと聞いた。仮令、私が関心がない世界のことだとは言え、またしてもそもような俗受けを狙った企画にはウンザリだった。マリオなるゲームか?は世界にそれほど遍く広まっているものなのか。よしんば広まっていても低俗な企画であると言いたい。私はブラスバンドが良く吹奏する「威風堂々」の方が遙かに良いと思うのだが。

ここまでは「気に入らなかった」事ばかり採り上げたが、全体としては何とかなっていたと思う。とは言うが、あのここからでも見えた花火は二番煎じではないのか。テレビの報道で見た限りでは、褒めた人と貶した人の数は拮抗していたそうだ。「矢張り、そんなものか」と思った。



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