誰しもが先を見通せないものだ(先見の明の有無):
1993年にクリントン政権は米の輸入を迫っていた:
私は「我が国にとってはアメリカに民主党政権が誕生すること即ち“bad news“である」と主張してきた。ここ何日かテレビでは「クリントン政権から米を輸入せよと迫られて難儀な交渉を続けていた」というような回顧談が流されている。画面の背景には「アメリカ産米の輸入絶対反対」の農家のデモが出ていた。
思い起こせば、クリントン政権からは何もこれに限らず「アメリカ製品を輸入せよ」と高飛車に迫られていた。米以外には何度も取り上げてきた話で、我が紙パルプ業界には「パルプやチップだけを買い付けるのではなく、世界最高の品質を誇るアメリカの印刷用紙を輸入せよ。買わなければスーパー301条を適用するぞ」と強硬に迫ってきていた。この姿勢などは飛んだ身の程知らずで、実現したことはなかった。
その米だが、今や一向に収まらない異常気象の悪影響と、米作りの農家の数が減少したことも手伝っていると報道され、かなり深刻な供給不足の状態。結果として、末端価格の上昇は止まるところを知らない事態である。テレビのニュースでは、米販売の専業者が「卸筋からの情報では供給不足は来年にも続くので、価格は未だ上がり続ける」と予測しているのを流していた。
間もなくバイデン政権が終わって共和党政権の時が来るのだが、今更「国産米が不足しているので」とばかりに「カリフォルニア米でも輸入量を増やして欲しい」とでも要望しに行くのだろうか。仮に増量になったとしても、¥150を超えた円安の状況下では、高率の関税もかけてあるのでは、かえって高くつくのではないのかなどと考えている。
30年前には異常気象による米の供給不足などを見通していた人がいただろうか。先のことは読めないものであるという話だ。尤も、トランプ次期大統領は「異常気象は虚構だ」と否定しておられるとか。
プラステイック廃棄物公害:
これなども深刻な問題である事は論を待たないと思う。私は昭和20年代に中学生だったのだが、親戚の勤め人から合成樹脂で出来た美しいベルトを貰って、その何とも言えない美しさと冷たい手触りに感動したものだった。石油からこういうものを創り出したアメリカの先進性に唯々感心していたのを覚えている。
その後から合成樹脂(プラステイックスで良いのか)はあらゆる分野に進出を続け、今やプラステイック製品が街中に、家中に溢れかえっている。街を歩けば空になったペットボトルの2~3本が転がっているし、風が吹けばレジ袋が宙に舞っていると言う状態。合成繊維ではない衣類などは明らかに極く少数派だろう。
プラステイック製品の製造業界も消費者(需要家)も、石油化学製品は経年劣化することは承知していたはずだ。だが、その便利さその特性を活かして作り続けた。念の為に「経年劣化」とは何かを検索すると、
「時間の経過によって品質が低下することをいいます。 たとえば、日光によって壁や床の色が変色する、湿気で窓枠のゴムが傷むなどです。 一方で、カーペットのすり減りなど通常の使い方によって摩滅や汚れが発生する場合は“通常損耗”と呼び、経年劣化とは区別されます。」
とあった。プラステイック製品は劣化してバラバラになってしまっても、プラステイックである性質は変わらないので、木の葉が落ちれば何時かは土になるような訳にはいかないのだ。廃棄物を海に捨てれば微細な浮遊物になり、魚が餌と見間違って食べて死んでしまうような害を及ぼすとのことだ。
だから、公害の基にならないようにゴミ捨ての際には注意するようにと言っても、廃棄物は至る所に転がっている。この使用済みプラステイック製品の処理は、レジ袋を有料にするような手段で解決できる次元を超えてしまっている。即ち、1950年代に合成樹脂製品を開発した科学者か研究者は、今日の「プラステイック製品の廃棄物に起因する公害」の発生など夢にも思っていなかったのではなかろうか。
便利であり応用範囲が広く有効活用が出来ると思って想像した製品も、70年を経れば、人々の悩みの種となってしまったのである。誰にも先見の明がなかったようだと、つくづく感じさせてくれる問題だ。
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