新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

第4は襲来の危機に思う

2021-04-08 08:27:15 | コラム
人々の行動に問題が:

これは、尾身茂氏の発言からマスコミを真似て、切り取ったものだ。前後を良く聞いていなかったが、どうやらこの期に及んで新型コロナウイルス(COVID-19)の感染の拡大が全国で止まらなくなった現象を捉えて言われた事のようだった。私は遺憾ながら、その通りだと思っている。緊急事態宣言を解除する前から、テレビの画面で見る大都市の盛り場における人出の異常だとも思える多さこそが「人々の行動」なのである。あれでは如何に政府が後手後手と批判されつつも懸命に講じているウイルス制圧策を台無しにするだけだ。

間抜けなカタカナ語の「ストレス」を使って「その解消の為に出歩く」というのがあるが、あれは「フラストレーション」の誤りなのである。政府の要請を素直に受け入れてずっと自粛していた不満を解消しようと思って、一斉に出歩いた者たちもいるが、それ以前に多くの若者たちは「COVID-19何するものぞ」と誤認識して出歩いていた。飲食の場が9時で閉められれば、野外で群を為して飲む事までするようになっていた。これも「人々の行動の問題」以外の何物でない。性善説の國ならではの失敗だったようにしか、私には思えないのだが。

その「人々の行動」が、大阪での連日の記録的な感染者の増加であり、東京でも同様な流れにあり毎日の感染者が前週の記録を更新し続けている有様だ。それでも、我が国における感染者の数も不幸にも亡くなられた方の数は、他の先進国のそれを遙かに下回っている。だが、私には事態は最早性善説に基づいた要請では抑えきれないほど、変異株の出現によって悪化したのではないかとしか見えないのだ。となれば、要請するのではなく、都市封鎖か罰則を伴う外出禁止令でも発しない事には、収まらないような気がしてならない。飲食街を見回って済む状況かと言う事。

そこに輪をかけたのが、誰が権限を持って決めたのか私には解らない「聖火リレー」を始めてしまった事。これまでに何度か指摘したが英語での表現は“the Olympic flame”であって、何処にも「聖」などという字はない。このリレーを開始する前に当局(JOCそれとも組織委員会、または政府か?)は応援(観覧?)する国民に「沿道で密にならないよう」にお願いしていたと思う。だが、「もうこの機会を逸すれば二度と見られない」と誰にも解っている事なので、案の定「密」などという生易しい状態には収まっていなかった。

未だオリンピックの炎が回った県で感染者が激増したとの報道はないが、あの開始時期が適切だったかどうかとの議論は、何れ出てくるのではないか。我が国ではオリンピックを少し過剰に「神聖なる催し物として崇め奉っているのではないか」という気がしてならない。確かに尊い世界的大運動会であった時期もあったが、今や内容が変貌してきてしまっている。「聖なるもの」とするのは措くが、そうだからと言ってCOVID-19の感染拡大の危険性を否定しきれない催し物を、恰も国事の如くに進める事が果たして良い事なのか、正しいのかを、今から再検討しても良くはないか。

私はここにもまた「人々の行動の問題」が出てくると思っている。そこに「意識」の問題も加えたいのだ。即ち、COVID-19に感染するかも知れない危険を冒してまで沿道に並んで見るべき行事かを考えたらどうなのかと言いたいのだ。私は変異株の蔓延は、政府の不手際も一役買ってると疑っている。即ち、水際で完全に異国の人や帰国者を制限出来ていなかったようだと言いたいのだ。重ねてカタカナ語まで使って言えば「皆様は敢えてその感染と生命のリスクを取ってまで、オリンピックの炎を見たいのですか」と問いかけたいのだ。



コメントを投稿