新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私の思考体系

2015-02-21 13:41:48 | コラム
以下は2014年2月20日の投稿を基にして私のものの考え方を論じたものです。

私が書くアメリカ論は屡々意図しなかったように解釈され、批判されることがあるのは遺憾に思っている。それは「断言しないからだ」とのご指摘があった。そこで、あらためて私の考え方を述べてみる。

私自身が解っていることは、私は英語で文章を書く際には英語の我が国にはない特徴である二進法的思考が自然に働くようになっていて、断言する文章を書いています。だが、自国語になると「ここまで書けば解ってくれるだろう。以心伝心はあるだろう」式な日本語の思考が基になる記述になってしまうことが多いのです。

何処かで何かを怖れているのか、英語の場合のように断定や断言することを避けてしまう傾向が出てくるのです。ここで敢えて弁解すれば、「英語で話すか書く際には、頭の中のギアが英語に切り替わっているからで、日本語になればギアがまた切り替わっているため」とでもなるでしょうか。この切り替えは英語を学ぶ場合では非常に重要な要素だと長年述べてきました、念のため。

私はこれまでに「アメリカとは」、「アメリカ人とは」、「日米間の文化と思考体系の違いとは」という話題を繰り返して紹介してきました。それは、より多くの人に「アメリカは違う国だよ」と知って貰いたいので「相違点を論じて来た」のであって、アメリカを殊更に礼賛することは滅多にありませんでした。実際に敢えて褒めないことが狙いだったつもりです。

昨年の2月19日に開催された畏友篠宮良幸氏主宰の水曜会での自由討論の中で「我が国が良い国だ」との議論が出ました。私はこの機会でも「外国人の中で過ごしてきたために『愛国者』と言うか『外国人に負けてなるか』といった精神構造に自然になっていきました。だが、そうだからと言って「俺はアメリカ礼賛者ではない。これまでに批判はしても褒めたことは極めて希だ」とまでは断言していなかったのは事実でしょう。

以下は、昨日の自由討論の論点の中から抜粋したものです。

“私は我が国が長く続く天皇制の下に、国が順調に明治維新等を経てあるべき姿の近代化の成長の経緯があって、今日の経済的発展と優れた均一の教育水準を保っている世界的に見て優れた国民で構成されている国になったと思っています。これは中・韓は言うに及ばず、西欧諸国でも為し得ていない立派な成果だと信じています。”

“我が国ほど良い国はありません。何度か言いましたが、某商社の友人は「海外出張から帰ってくる度毎に、こんな良い国はないと心から感じる」と言っています。私の言うことも同じ。私自身もアメリカには何度行っても(50回以上出張したでしょうが)、「あー、また何もかも違う国にきてしまった」と気を引き締めていました。この感覚を知らない多くの有識者か左巻きの連中が反日的非国民になっていると思うのですが。”

“その結果(成果?)で、私が確信する「日本ほど優れていて良い国はない」に結びついていきます。だからこそ、ここ百人町・大久保界隈が代表するかのようなアジア諸国とイスラム教圏内から合法・違法を問わず多くの後進国から流入する者が多いのです。これは短期的には幾らかは誇りに思って良いことかも知れない事実であっても、確固たる規程や規制のない移民の導入は、何時かは国の根幹に悪影響を及ぼすことになりかねいと危惧します。”

(話は変わりますが、曾野綾子さんの先頃の「差別」か「区別」に関する主張は諸外国を見てこられたから出た意見であり、外国の実情を詳しく弁えていない者の反論には疑問を感じざるを得ません。私は「無知の力」を怖れる者の一人です。)

“我が国は中・韓のように紆余曲折というか安定した施政者が統治してこなかった国で、国民が自国を信じていない国と同日に論じてはなりません。また、アメリカのような多くの階層と階級で構成されているだけなら兎も角、そもそも白人(WASP)の国だったところに異教徒と異文化の国からの流入人口が増えては安定出来ません。その非白人からの支持に依存する大統領が2期も在任すると、今日の如き全世界的な不安定な状況に立ち至ってしまったと思うのです。”

私はアメリカの文化と思考体系等の我が国との明らかな相違点とその実情を、普通のと言うかごく一般的な同胞より少しは余計に経験し知り得た者だと自負しています。同時にその経験に基づいて、内側からアメリカのビジネスの世界を飽くまでも我が国と対比して批判するものであります。

私は誰もが承知しているだろうアメリカの我が国にはない優れた点を今更採り上げて褒めるつもりはありません。故に、自分で学び得たアメリカの長所を礼賛はしません。だが、アメリカが世界でも優れた良い国である事を認めるに吝かではありません。でも、永住する気があるかと訊かれれば、断固「ノー」と言うでしょう。何分にも自動車の運転が出来ないからですが、それだけが理由ではありません。


当たらなかった天気予報

2015-02-19 08:58:17 | コラム
天気予報に振り回された:

「頂門の一針」第3575号で主宰者も触れておられたことだが、昨18日は天気予報が病み上がりの当方を振り回してくれた。昨日は退院後1週間目の「外来でのリハビリテーションの予約」があり、雪も降り始めているかも知れない午後3時に国立国際医療研究センター病院(NCGM)に出掛けねばならなかった。テレビ各局の予報士たちは大雪か雨をこれでもかと言わんばかりに予測し、しかも同時に5度以下の寒さを強調し、それでなくてもその悪条件下で出ていかねばならない私を限りない不安に陥れてくれた。いっそ、無断欠席しようかとすら考えた瞬間もあった。

何が怖かったのかと言えば、13年の夏に苦しめられた「気象病」に陥ることで、家の内外での激しい気温の落差で風邪を引く危険性を怖れたのだった。即ち、心臓が弱った身体で風邪を引けば即刻肺炎を誘発し生命の危機を招く危険性があると言うこと。正直に言って心底恐ろしかった。とても600~700メートル先の大久保通りまで歩いてバスに乗る勇気などなく、グリーンキャブのタクシーを呼んでNCGMに出掛けた。一種の賭のような恐ろしさすら感じながら。

寒さに備えて思い切り厚着をしたせいもあったか、外は予報士が言うほど寒くはなく何の問題もなく10分ほどで到着し、無事にリハビリテーション室に向かった。そこには6人ほどの循環器科の患者が集められており、約20分間のストレッチで身体をほぐしてから身体の状況(回復の状況か?)に合わせてペダルに負荷をかけられるようになっているエアロバイク(自転車でも良いか)を心電図をつけて15~20分間こぎ続けるのだ。開始の前後には血圧と心拍数を計る。

当方は退院前の15分間で25ワットの負荷だったものが、20分で30ワットに上げられていた。実は13日に発症していた石灰性腱炎のためにストレッチは一部省略せねばならなかったが、エアロバイクは無事にこぎ終えて心地良い汗までかいていた。前後の血圧も正常で一安心だった。これから先は当分の間、一週間毎にこの外来でのリハビリテーションを続け、本格的な社会復帰?を目指して行くのである。

この約50分ほどの運動には各人の病歴を把握した療法士の他に循環器科のかなり偉い先生が立ち会われ、各人の運動前後の状況を確認しておられるので、安心して運動をしていられるように配慮されているのには「流石、NCGM」感心している。当方の次回は25日が予約されているが、当日の天候が安定していることを切望する。予報士に振り回されるのはもう沢山だ。

ところで、天気予報だが、帰りのタクシーの運転手さんも「今日は恐らく雪など降らない。予報士たちの騒ぎ過ぎだ」と大いにに批判的だった。同感だ。暖房が良く聞いている院内では厚着を反省させられたほどだったが、この場合は「過ぎたるは及ばざるもの」の正反対(テレビに出る連中は何故「真逆
等と言う奇妙な言葉を使うのか!)で、外気温との落差を感じることなく帰宅出来た。

実は、かなり激しく雨が降っていた往路のタクシーは暫くぶりに大久保通りを走ったのだが、新大久保駅に近い東側の歩道には若い女性が寒空をも顧みずに長蛇の列を作っており、運転手さんも「誰か韓国のスターでも来ているのか。それにしても彼等は熱心で懲りていない」という感想を洩らしていた。これにも同感だった。何時まで経っても彼女らの脳裏には日韓関係も何もない模様だ。

昨日が退院以来初の言わば公式の外出だったが、無事に予定を終えた帰宅出来ただけで十分に満足出来た。だが、未だ未だ一般人(健常者か?)の仲間入りにはほど遠い状態にあるのではないかと反省させられる手続きなどの(物理的なとでも言うか)細かい失敗があって、これから先もそういう点に気を配っていかねばならないと痛感させられた2時間半だった。同時に、天気予報を過信してはならないかと痛感している。

無事生還致しました

2015-02-17 08:56:19 | コラム
退院いたしました:

1月14日に三度目の心筋梗塞から折角奇跡とも言える生還を果たして退院出来たにも拘わらず、自分の不注意で18日に何と「心不全」で再入院となりました。この際もかなり危険な状態でしたが、何とか命を取り止めて頂けて2月11日に25日間の病院生活を終えて退院出来ました。色々とご心配をおかけしましたことをお詫び申し上げます。目下のところは完全な社会復帰を目指して努力中です。

なお、「心不全」については何時か詳しい説明をする予定です。

だが、何としたことか13日の金曜日の早朝に左肩と左手に激痛が走り動かせなくまり身体の向きも変えられない上に38度の発熱がありました。急遽、病院の提案もあってタクシーを呼んで国立国際医療研究センターの救急外来に走りました。心臓が関係していれば命取りかと怖れました次第です。

整形外科ではこの痛みは心臓の状態とは関係がなく、肩の関節の骨の上に石灰質がたまり(石灰性腱炎か)、痛さの原因になったと診断され一安心でしたました。言うなれば、高齢化が原因の模様。

何で、退院の2日後にこのような紛らわしい事態が発生したのかと我が身を恨みました。整形外科での応急措置としてブロック注射で直ちに手が上がるようにはなり、何とか立ち直って帰宅出来ました。しかし、未だに肩の辺り痛みは残っておりますし、心臓の力が弱っている身体では入院中から始まっていたリハビリにも通院せねばならず、食事は言うに及ばず歩行の速度も制限があり、行動範囲の制約もあるという状態です。

一昨日には請求書等のメールをチェックすべく何とかPCは開きました。だが、未だ左手には痛みが残り指も思うように動きません。目下のところ、この状態から脱出出来た後にブログを再開するかと考慮中です。また、折角メールを頂戴して素早い対応は出来ないかと危惧しております。暫くは失礼するかと存じますが、何卒事情ご賢察の上でお許しのほどをお願い申し上げます。

真一文字拝