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本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

まなざし : 松山情報発見庫#384

2006-01-12 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
存在と無 上巻

人文書院

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ようやくずっと予告してきた『存在と無』の対他存在についての論述に移れる。
澤田直氏の指摘するようにこの『存在と無』でのモラル感は少しこれまで幾度かここで述べてきたような「個人主義的」な傾向がないわけではない。
*ただ、『存在と無』(下)2おけるサルトルの記述を追うかぎりそれほど個人主義的なものとは思えない。
モラルというものをここでは厳密に定義することはしないが、少なくとも、私という人間が対他的にいかに振舞うかということの教えであるとするならばここでの対他存在としての人間存在のありかたを省みることも、サルトルでのモラル観を考えるうえで参考になるであろう。

ちなみに対他存在というものを考えるに当たり、間もなくここで取り上げる『真理と実存』における贈与と真理ということと比較して述べることは有用であろう。
まず、対他存在の意義というものをじっくり見てみよう。
以前ハイデガーについて論じた際に少し述べたが、サルトルはもちろん彼の用いる語句に対して厳密な定義を与える場合もあるが、たいがいは、あたかも芸術家が彫刻を創作する際のようにあらゆる記述からその概念を顕わにしていくという過程を経ていくことが多いといえる。答えを示すというより、道を示すというイメージであろう。
人間存在はこれまで見てきたようにその対自存在の即自存在への反省的作用により、「自分があるところのもの」(=真理=即自存在)措定しようと試みていく。
しかし、「私の反省の場においては、私は、決して私のものであるところの意識にしか、出会うことができない」(398頁)
それゆえ、他者という存在を現前とさせることが必要となる。
サルトルは、
「他者の出現そのものによって、私は、或る対象について判断を下すのと同様に、私自身字ついて判断を下すことができるようにさせられる。なぜなら、私が他者に対して現れるのは、対象としてであるから」(同)
というように述べる。
このことが意味するのは、以下のまなざし論とでもいうべき論理を追うことによって明らかになる。
ちなみに、ここでのサルトルのまなざし論は、澤田氏がサルトルモラルの「第一期 本来性のモラル」(『真理と実存』所蔵の「贈与としての真理」3頁より,)と呼ぶサルトルモラル論前期の所産であり、サルトルの最も完結されたモラル論における対他観とはかけ離れているといわざるを得ない。

さて、そういうことはさておき、サルトルのまなざし論というものを見ていこう。
サルトルは、
「せいぜいわれわれが言いうることは、〔=即自-対自存在としては〕『私はこの存在であると同時にこの存在であらぬ』ということぐらいである。『私が私のあるところのものである』ためには、他者が私にまなざしを向けているだけで十分である」(463頁)
というように述べている。
このことは、
「《他者によって見られている》ことは、《他者を見ている》こと」(454頁)
という論述こそあるが、まなざしというものが単に人間存在を他有化させるといっているにすぎない。つまり、ただ、実存としての現れの人間存在(=即自存在)が対他存在(他者にとっての存在)のまなざしにより、その姿のまま捉えられるということに他ならない。
つまり、ここでサルトルのモラル論が、嘔吐のそれから何か進歩した点があるとすれば、サルトル自身が、
「人間は、世界との関連において、また私自身との関連において、定義される」(454頁)
といっているように、その無定義性というか、対自による無化(=定義付けの試み)という視点を対他関係における関係性、つまりは、コミュニケートする人間存在というように発展させたということに尽きると思う。
以降の真理と実存における論述においても、そのモラル論の焦点はこの「実存は本質に先立つ」という以下に本質という定義づけを回避しつつも人間存在に根拠を与え、無化ではないニヒリズム的な「無=nihil」を克服するかという点に尽きるといえる。

*なお、ハイデガーについては、その「共存」という<世界-内-存在>における人間存在の特徴から論駁を試みられているものの、結局は、「実存は本質に先立つ」というサルトル哲学の根本律とでもいうべき命題と照らし合わせて結果「共存」といういわば決め付けを与えてしまうことはナンセンスというようなものであるのでっこでは詳述は省く。

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これでようやく、『存在と無』(下)の検証に移ることができる。
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